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「繊細さん」にこそ、日本舞踊の伝統と「身体の技」を伝えたい~坂東三乃智(みのとも)千葉県船橋市~

「繊細さん」にこそ、日本舞踊の伝統と「身体の技」を伝えたい~坂東三乃智(みのとも)千葉県船橋市~

千葉県・船橋で2020年から日本舞踊教室を開いている、坂東三乃智(みのとも)さんにお話を伺いました。

長年、雑誌の編集者としてご活躍されながら、日本舞踊の先生になるための勉強を続けてこられました。

日本舞踊を通じて「日本人が積み重ねてきた身体の技」を伝えている、という三乃智さん。これからはHSPの子供や若い人への日本舞踊の普及なども目指したいと話します。

そんな三乃智さんの生い立ちから、日本舞踊の先生を目指した理由などを詳しくお伺いしました。

取材内容はこちら。

・お遊戯が好きで・・・はじめた日本舞踊
・鶴見和子先生に憧れて
・激務でも、お稽古はかけがえのない時間
・人生のセカンドステージは「踊り」を教える!
・「コミュニティ」と「日本人の身体の技」
・工夫して人を育て、一緒に喜び合うのが楽しい
・「繊細さん」に、日本舞踊で生きるエネルギーを与えたい

坂東 三乃智(みのとも)プロフィール

3歳で日本舞踊坂東流、坂東三津時師に師事。
1990年より坂東三之喜久師匠に師事し、 2007年坂東流名取試験合格。
坂東三津五郎家元より芸名「三乃智」をいただく。
会社員のかたわら、日本舞踊とともに、きものの着付けと礼法を学ぶ。
三乃喜久師匠の逝去に伴い、17年より坂東春敏師匠に師事。
18年坂東流師範試験に合格。
邦楽囃子方福原百之助師に師事。

お遊戯が好きで・・・はじめた日本舞踊

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うめざわ

三乃智さんが日本舞踊をはじめたきっかけはなんですか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

幼稚園の時、お遊戯が好きで、家で歌ったり踊ったりしていた私を、父が近所の日本舞踊教室に連れて行ったことがきっかけです。

その教室の先生は、きれいでやさしくて、お弟子さんもたくさんいて、ご近所じゅうから憧れられているような立派な先生でした。

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うめざわ

ご両親も日本舞踊に馴染みがおありだったのでしょうか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

父母はまったく馴染みがありません。ただ、母方の祖父が長唄をやっていて、ひいおじいちゃんは私と同じ坂東流でお稽古していたらしいんです。

もっとも、大人になってから知ったので、当時はわからなかったんですけどね。

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うめざわ

小さいころの思い出って、なにか覚えてらっしゃいますか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

「菊づくし」や「鏡獅子」の胡蝶や、「靭猿(うつぼざる)」の猿のお稽古はとても印象深く覚えています。お師匠さんがとてもほめ上手だったので、一生懸命やってほめられることが楽しかったんじゃないかな。その頃の写真は自分にとって、いつまでも見ていたいくらい大切なものです。

ただ小学生ですから、舞台を8ミリビデオに撮影したものをみんなで見たとき、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったのを覚えています。

常磐津「靭猿(うつぼざる)」

 

三乃智さんは中学入学を機に、しばらく日本舞踊から遠ざかる。

日本舞踊を再開したのは29歳の時だった。そのきっかけとは。

鶴見和子先生に憧れて

長唄「藤娘」

坂東 三乃智(みのとも)さん

自分がこれから食べていく仕事を「編集」と決めたのがこのころなんですが、そのときに何か趣味も、と思って。

昭和の頃の知識人の方々は、伝統芸能などにも造詣が深くて、かっこいいなあと思っていました。

大学では鶴見和子先生がいつもお着物姿でした。国際的に活躍される研究者であり、しかも、日本舞踊をなさっていました。私も目指すならこういうふうになりたいと。

鶴見和子とは・・・社会学者、上智大学名誉教授。国際関係や比較文化論で知られる。和歌や日本舞踊、着物などの教養豊かなことでも知られ、著作もある。兄に哲学者・評論家の鶴見俊輔がいる。

坂東 三乃智(みのとも)さん

一番最初は、とにかく踊りを見ようと歌舞伎座に行って、中村富十郎さんの「矢車会」で「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」を見ました。

すると、所化(しょけ。僧のこと)が踊る曲のところで「えっ!これ知ってる!」。実家でアルバムを調べたら写真が残っていて、所化をやったことあったんだって、記憶がよみがえりました。

三味線とお囃子と唄の心地よさを思い出しまして、そこからはまっしぐらにお稽古を再開しました。

(五代目)中村富十郎とは・・・歌舞伎役者。屋号は天王寺屋。朗々とした台詞に代表される口跡の良さ、切れのいい動きや舞踊で見せた優れた演技力、鋭い芸の勘と間の良さなどが高く評価され、人気を集めた。重要無形文化財保持者(人間国宝)。「矢車会」は富十郎主催の上演会で、定紋の八本矢車に由来する。

心と身体のバランスを取り戻す

坂東 三乃智(みのとも)さん

あとから分かったことですが、若いころの私は、日本舞踊をやっていなかったことによって、心と身体がアンバランスになっていて、年中、自律神経系の症状を起こしていました。

日本舞踊を再開して、ああ、もっと身体を使うことや、文化・芸能のことをやっておけばよかったなと思いました。

もう一つの趣味、山登りは始めたのもこのころだそうだ

激務でも、お稽古はかけがえのない時間

長唄「新曲浦島」

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うめざわ

三乃智さんは医療系の雑誌で長年、編集者をされてきたと伺いました。

編集というと、かなりお忙しいイメージですが・・・。

坂東 三乃智(みのとも)さん

週刊紙や月刊誌を作っていましたので、入稿前には終電まで仕事をしたり、徹夜ということもありました。

でもお稽古は休みませんでした。

編集の仕事は頭ばかりを使いますが、日本舞踊は身体を使いますから、かけがえのない時間だったんです。そのことによってバランスが取れて、病気にもならなかったと思います。

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うめざわ

そのときの師匠はどんな方でしたか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

昔のお師匠さん、見て覚えろ、というタイプで、口数も少なかったですが、抜群に踊りがお上手な方でした。

私は学生時代、日本舞踊から離れたことで、頭でっかちに生きていましたけど、師匠は身体で生きているというか。踊り一筋、もう踊りしかないっていう感じの方でしたね。

人生のセカンドステージは「踊り」を教える!

お弟子さんと

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うめざわ

「編集で食べていく」と決意されて、日本舞踊も再開されたわけですが、お弟子さんを取り始めたのはいつごろですか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

49歳の時です。会社関係の友人や知り合いに教えるようになったのが最初ですね。

長い人生を考えたら、会社員でバリバリ組織の人間として働けるのは60代までで、そこからも先が長い。そう考えたときに、セカンドステージは踊りを教えられたらいいなと思ったんです。

「コミュニティ」と「日本人の身体の技」

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うめざわ

どうして日本舞踊を教えようと思われたんですか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

日本舞踊のつながりって、家族未満、仕事人以上のものが生まれると思うんです。私も2人目のお師匠さんは看取ったとまでは言いませんが、最後までお世話させていただきました。

日本舞踊を通じて、コミュニティに根ざした仲間を作っていきたいと思ったからです。

坂東 三乃智(みのとも)さん

もう一つは、先人が積み上げてきた「日本人の身体の技」を伝えていきたいからです。

実は私は、過去に流産を経験していて、心のショックで身体中が痛くなってしまったことがあるんです。そのとき野口整体という整体に出会って、立ち直れたという経験があります。

野口整体とは・・・野口晴哉氏(1911~1976)が提唱した整体法。古くからある伝統的な健康法を体系的にまとめあげ、治療法だけでなく、自分で治っていくための方法として普及させた。無意識に健康を守る力を引き出す活元運動や、手の癒やす力を引き出す愉気法などがある。

おさらい会の様子

坂東 三乃智(みのとも)さん

野口整体を通じて、日本人が経験的に積み重ねてきた身体の使い方の技ということを意識するようになりました。

武術やお能などでもそうだと思いますが、そういった身体の技を大切に次の世代へ伝えていっています。そのことによって私は救われたというか、自分自身の身体を取り戻せたのではないかと思いました。

坂東 三乃智(みのとも)さん

日本舞踊も同じく「日本人の身体の技」の一つの表現です。

自分を救ってくれた、この「日本人の身体の技」を次の世代にちゃんと伝えたい、残していきたい、って思っています。

工夫して人を育て、一緒に喜び合うのが楽しい

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うめざわ

習う側から、教える立場になって、三乃智さんになにか変化はありましたか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

私は、表舞台で踊るより、裏方として人を育てる、人を支える方が向いていると思っています。

お稽古を通じて、できない人がどういう風にできるようになっていくのかを工夫するのが好きですね。

扇子の持ち方一つでも、できるようになるのに結構時間がかかります。例えば、その方が美容師さんでしたら、たぶんハサミなどの道具を手の延長のように使っていると思うんです。扇子の持ち方も、手の延長として持てるように、持ち方の共通点はないか、小指や親指をどのように使うかというのを、一緒に考えながら身につけていってもらいます。

坂東 三乃智(みのとも)さん

身体で覚えるものって、やってもやってもなかなかできない、という段階から、あるとき突然、ポンとできるようになりますよね。

「あれっ?できてる!」と気がついたら、どんなに小さいことでも、「とってもきれいにできましたね!」と指摘して、一緒に喜び合うのが楽しいんです。

坂東 三乃智(みのとも)さん

つい自分の「できる」「できない」という目線で教えていないか?!と自戒しています。

その方が自分なりにつかんでいっていかれるよう、どうしたらいいかなぁと考えるのが好きです。一人一人違うから、私がそれを教えてもらっている感じです。その方から思いもよらない質問が出てくるのが、本当に面白いですね。

「繊細さん」に、日本舞踊で生きるエネルギーを与えたい

船橋のお稽古場の庭には藤を植えた

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うめざわ

この先、やってみたいことなどはありますか?

坂東 三乃智(みのとも)さん

「HSP」「HSC」という言葉が注目されています。

「繊細さん」とも言われますが、私も昔を振り返ると「HSP」という言葉はなかったですけど、その傾向が強かったと感じます。

HSP(highly sensitive Person)とは・・・聴覚、嗅覚などが人より敏感である、他人の影響を受けやすい、細かいことにとらわれすぎるなど、敏感すぎる、繊細すぎる気質を持つ人のこと。HSCのCは Childで、そうした気質をもつ子どものこと。1990年代に米国の心理学者が発見し、日本では2年前、カウンセラー武田友紀さんの「『気がつきすぎて疲れる』が驚くほどなくなる『繊細さん』の本」で広く知られるようになった。

坂東 三乃智(みのとも)さん

今のコロナの時代、感受性が強い人は世間の空気を人一倍感じて、辛くなってしまうと思うんです。

感受性をオフにするほうが、楽に生きられると思うかもしれません。でも、それでは自分の個性を殺すことになってしまいます。

坂東 三乃智(みのとも)さん

「繊細さん」には、その個性を思い切り発揮し、楽しく生きられる一つの方法として、日本舞踊をはじめとした伝統芸能に取り組んでみることをおすすすめしたいです。

「繊細さん」は美しいものに深く感動するので、芸術系に向いています。しかも何百年もの間、伝統として続いてきたものの深さ、普遍性をHSPの人は感じ取りやすいと思うんです。

坂東 三乃智(みのとも)さん

それに、日本舞踊が表現している対象は、人の感情です。主には恋、そして親子の情など、いつの時代も変わらない人の情を、しかも美しい言葉によってうたっています。

それを身体全体で感じることで、生きるエネルギーがもらえるように感じます。

 

坂東 三乃智(みのとも)さん

お稽古を通じて、できないことができるようになり、発表会ではいろいろな人に見ていただく。そのこと自体が、人生の勉強になるというか、お稽古は、先人から幸せに生きるための智恵を教えていただくお稽古でもあるというのが、私の思いなんです。

坂東 三乃智(みのとも)さん

私と同じ「繊細さん」たちが、元気で楽しくその個性を発揮して生きるヒントをもらえる、日本舞踊を知っていただき、教える機会を作っていきたいです。

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うめざわ

日本舞踊の力が、今の時代に求められているのかもしれませんね。

今日は貴重なお話ありがとうございました!