清元「神田祭(かんだまつり)」歌詞と解説

清元「神田祭(かんだまつり)」歌詞と解説

日本舞踊で有名な清元「神田祭(かんだまつり)」の歌詞と解説です。

清元「神田祭」の解説

いまも続いている神田祭

神田祭(公式HPより)

「神田祭」とは現在も、東京・神田明神(神田神社)にて2年に一度行われるお祭りです。神田明神はおよそ1,300年前に建てられ、「大黒様」「恵比寿様」「平将門公」が祀られております。あの徳川家康が関ヶ原の戦勝祈願に訪れ、神田祭のその日に、見事、天下分け目の戦いに勝利しました。

家康は神田祭を縁起の良い祭りとして、絶やさず執り行うように命じたと言います。徳川将軍や御台所も祭りを見物したことから江戸時代には「天下祭り」と呼ばれていた時もあります。

神田祭(公式HP)より

清元「神田祭」の解説

鳶頭と芸者の手古舞(てこまい。これは踊りではなく、神輿や山車の警護をすること)の踊り。祭りの情景描写というよりは、夫婦の人間模様のおかしみ、江戸っ子の粋な感覚、などが曲の主題となっています。

二年に一度のお祭りに当たった今年の景気の良さを喜ぶところから始まります。手古舞にからませながら、女房は鳶を夫に持つことの誇らしさと、夫の外遊びの派手さ、浮気の不満などを語ります。

犬も食わない喧嘩もそのうちに仲直り。華やかな手踊りや鳶頭の投げ節などがあって、最後は木遣り歌で終わります。木遣り歌は全国に存在する労働歌ですが、江戸鳶が江戸風の木遣り歌を広めていきました。

天保十年(1839年)江戸三座の一つ・河原崎座(かわらさきざ。今の銀座のあたりにあった)で市川海老蔵により初演されました。

清元「神田祭」の歌詞

秦の始皇の阿房宮 その全盛にあらねども 粋な心も三浦屋の茶屋は上総屋両助と 機転も菊の籬さえ山谷風流あらましを 松のくらいの品定め

一歳を今日ぞ祭に当り年 警固手古舞華やかに 飾る桟敷の毛氈も 色に出にけり酒機嫌 神田ばやしも勢いよく きても見よかし花の江戸

祭に対の派手模様 牡丹 寒菊 裏菊の 由縁もちょうど花尽し

祭のなァ 派手な若い衆が 勇みに勇み 身なりを揃えて ヤレ囃せ ソレ囃せ 花山車 手古舞 警固に行列 よんやさ

男伊達じゃの ヤレコラサ 達引きじゃのと 言うちゃ私に困らせる 色の欲ならこっ ちでも

常から主の仇な気を 知っていながら女房に なって見たいの欲が出て 神や仏を頼まずに 義理もへちまの皮羽織 親分さんのお世話にて 渡りもつけて これからは世間構わず 人さんの前はばからず 引き寄せて 楽しむ内に またほかへ それから闇と口癖に

森の小烏我はまた 尾羽をからすの羽さえも なぞとあいつが得手物の ここが木遣りの家の株

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ やっと抱き締め 床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ 何でもこっちを向かしゃんせ よういようい よんやな 良い仲同士の 恋諍いなら 痴話と口説は 何でもかんでも今夜もせ オゝ東雲の 明けの鐘ゴンと鳴るので 仲直り済んました よういようい よんやな そよが締めかけ中網 えんや えんや これは あれはさのえ オゝえんやりょう

げにも上なき獅子王の 万歳千秋限りなく 牡丹は家のものにして お江戸の恵みぞ 有り難き

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