踊りを通じた「輪」をつくる!~若柳絵莉香 東京都新宿区神楽坂~
東京の神楽坂(新宿区)で日本舞踊教室を開かれている若柳絵莉香さんを取材しました。
たくさんのお弟子さんに囲まれ、踊りを通じた「輪」をつくり、みんなで公演を作りあげることを大切にしている絵莉香さんですが、ここまで順風満帆だったわけではありません。
母・吉寿海(きちすみ)先生の急逝や、近年は大きな公演を控えての、新型コロナウィルスの影響など・・・これまでの危機をどう乗り切ってきたかを伺う中で、絵莉香さんや、お弟子さんたちの人柄が感じられたインタビューとなりました。
若柳 絵莉香 (わかやぎ えりか) プロフィール
1972年 東京生まれ。
幼少より母・若柳吉寿海に師事。
1988年 名取を許される。
1996年 若柳流師範免状取得。
現在は五世宗家家元若柳吉蔵に師事。
以降、日本舞踊の普及に努めている。
常磐津「京人形」若柳流宗家五代目家元 若柳吉蔵と(©夏生かれん)
「友達と遊べる!」とにかく楽しかった日本舞踊の思い出

うめざわ
絵莉香さんが日本舞踊を始められたきっかけは何ですか?

若柳 絵莉香さん
あるあるなんですけれど、母が日本舞踊教室をやっていて、母から習い始めました。
小さいころは、同じお稽古場の子供たちと遊んでいた楽しい思い出が残っています。箱根で泊りがけの踊り初めと新年会をして、がんばって覚えて踊ったら、褒められるし、お友達と遊べる!みたいな。そういう思い出しかないですね(笑)
また、そんな母のやり方や、そのときの経験は、いまのお稽古場づくりにも生きています。
日本舞踊を離れ、演劇の道へ進んだことも

うめざわ
ありがとうございます。お稽古場については、また後で詳しくお伺いしたいと思います。
日本舞踊のお稽古は休まず、ずっと続けられていたんですか?

若柳 絵莉香さん
いいえ、これもあるあるだと思うんですが、大きくなると反抗期でやらなくなりまして(笑)
演劇に興味があったので、大学在学中には演劇サークルに入って活動していたのですが、逆にこの演劇がきっかけで、日本舞踊すごいな、って思うことがあって、また真剣に取り組むようになりました。
「日本舞踊をやってたから」演出家に認められる

うめざわ
どんなきっかけがあったんですか?

若柳 絵莉香さん
日本舞踊を経験していたことで、舞台上の立ち振る舞いが他の人と違っていたらしんです。それで演出家に褒められて、それまで自分ではまったく意識していなかっただけに、「日本舞踊ってすごいんだ」と驚きました。
それから稽古にも真剣に取り組むようになり、母が高齢だったこともあって、舞台の勉強にもなるし、ということで稽古場の手伝いなどもするようになりました。
優しい母の「活」でさらに気合が入る。教える道へ
お稽古風景。神楽坂のお稽古場にて

うめざわ
いつごろからお弟子さんを教えるようになったんですか?

若柳 絵莉香さん
20代、母の手伝いをしていたときに、いつも優しい母がふとこんなことを言ったんです。
「どういうつもりで私を手伝ってるかわからないけど、私のお弟子さんをそのまま教えられると思ったら、大間違いよ。」
「みんな、私の踊りが素敵だなって思ってきてくれてるんだから、あなたみたいなへたくそな人に習うとは限らないわよ。」

若柳 絵莉香さん
それで、がーん!となりまして(笑)
稽古場は使っていいから、自分でお弟子をとりなさい、と言われて、始めは友人に声をかけることからはじめて、自分の会をつくりました。
お母さまの若柳吉寿海(きちすみ)先生のサポートをしつつ、20代でご自身の会を立ち上げた絵莉香さん。しかし、吉寿海先生の急逝で、大きく状況が変わる。
母・吉寿海(きちすみ)先生の急逝
莉利の会のみなさん

若柳 絵莉香さん
私が27歳の時です。小田原に出稽古に行っていたとき、稽古中に母が急逝したんです。
本当に亡くなる直前まで教えていて「あと一回さらったら終わりなんだけど、胸が苦しくて、ちょっと待ってね」といって倒れて、そのまま。本当に急で。

若柳 絵莉香さん
そこからは、実はあまり記憶がないんですけれど、それが大きな転機になりました。
やりたい、やりたくない、とかではなく、目の前のことを「やる」しか選択肢がない中で、数年は夢中で過ぎていきました。
地方のお弟子さんも合わせると4,50人の門下生を突然、引き継ぐことになった絵莉香さん。新しくお弟子さんも入り、無我夢中で稽古場を切り盛りされました。

若柳 絵莉香さん
数年が過ぎて、母の追善公演をして、私には荷が重いし、そこで一区切りかな、とも思っていました。
でも、そこまで乗りこえたときに、古いお弟子さんが続けてくださることになったり、母が亡くなった後に入ってきた新しいお弟子さんたちも、舞台を経験して「なんて面白いんだ!」「次は鷺娘やります!」って楽しさに目覚めてくれて。

若柳 絵莉香さん
母が亡くなったことは悲しいけど、ここまでやってきたってことは、これは「やれ」ってことなんだな、て思って、1年1年やれることを積み重ねて、いままできました。
心に残る舞台はなんですか?:運命の「操り三番叟(さんばそう)」
流儀の会である「若柳会」に出させていただいたときに踊った「操り三番叟」が心に残る舞台です。
操り三番叟とは・・・五穀豊穣の舞である「三番叟(さんばそう)」を、操り人形が踊るという趣向の演目。
母が亡くなる日の小田原へ向かう電車の中で、「次の公演何やる?」っていう話になったんです。私は人形振りをやりたかったので「女だから『櫓のお七』」かなあ、って話したら母が「いやいや、操り三番叟でしょう」と言いまして。
人形振りとは・・・舞踊の演出の一つで、役者が人形芝居の人形の動きをまねて演技するもの。
その母の最後の言葉もあって、難しい演目だったのですが、1年以上稽古して、やらせていただきました。踊っているときに、時間がゆっくりになるような不思議な感覚があったんですね。あのときは、母がいてくれたのかもしれない・・・と思います。

うめざわ
大変な中、絵莉香さんご自身が一生懸命にやってこられたことはもちろん、お母さまの吉寿海先生のお弟子さんたちが支えれくださったこと、そこへまた新しい良いお弟子さんが集まってこられたこと、すべて、とても貴重なことだと感じます。
こだわりは「みんなでひとつのものを作る!」

うめざわ
長年、教えてこられた絵莉香さんですが、お稽古場を運営されるうえで、こだわっていることはありますか?

若柳 絵莉香さん
これは、演劇をやっていたからかもしれないんですが、「みんなでひとつのものを作る」という意識を大切にしています。演劇の世界にいたときは、自分のことだけやってればいい、というものではありませんでした。空き時間があったら、大道具さんとか、別の人の仕事も手伝う、それでみんなで公演を作るんです。

若柳 絵莉香さん
そのためにお稽古場でも「踊りを通じた輪」を大切にしたくて。
例えば、発表会が終わったらみんなで打ち上げをやります。打ち上げは、普段は別々に稽古している弟子達が、1つの会を終えた喜びを共有できる貴重な交流の場だと考えています。
最初のころは、発表会をしても、自分の呼んだお客さんとご飯を食べるからと、先に帰る人もいたんですが、少しずつ浸透してきて、みんなで打ち上げができるようになりました。

若柳 絵莉香さん
そして新年会では、強制ではないですが、お弟子さんのご家族にも参加してもらっています。
習い事を続けるにはご家族のご理解も不可欠です。みんなで新年会を楽しむことで、日本舞踊を続けることを快く応援していただけます。
「旦那テーブル」を作って、そこでご主人同士が仲良くなったりもしていますよ(笑)
新年会のようす

若柳 絵莉香さん
昔はどのお稽古場でもそういう雰囲気があったと思うんですよね。家族ぐるみで付き合うような。私もそういう思い出しかないですし。
そういった「踊りを通じた輪」ができてくると、「みんなで作る」というところへつながってくるんです。

うめざわ
子どもたちが家族以外の大人たちと触れ合う経験とかって、とても大事ですよね。
私もお稽古場というコミュニティはとても貴重で大切だと思っていますので、とても共感できます。
舞台では責任をもって踊る。それが成長につながる
浴衣ざらえ(四谷の須賀神社にて)

うめざわ
普段のお稽古で大切にされていることはありますか?

若柳 絵莉香さん
舞台に立ったら、絶対に責任をもって最後まで踊る、絶対途中で諦めない、っていうことを口酸っぱくして言っています。
お客さんは、ベストを尽くしてがんばってるあなたを見に来るのだから、たとえ振りを間違えたとしても、照れてやめてしまっては絶対にいけないんです。
たとえ恥ずかしくても、その空気に打ち勝って踊ることが成長だから。
周りの人にもいい影響が
吉寿海(きちすみ)先生の代からのお弟子さんと

若柳 絵莉香さん
ですから、発表会にはお客さんを呼んでください、とも言っています。自分が呼ばなくて他の人が呼んだお客さんの前で踊るのは「客泥棒」です(笑)
恥ずかしくても、自分を鍛錬するつもりでそうすると、その姿を見ることで、周りの身近な人にも、実はいい影響があります。自分のため、自分を磨くためだけど、人のためでもあるんです。
家族を呼んだら、呼んだ本人がびっくりするくらい喜んでくれて、思わぬ「家族孝行」ができた、という人もいました(笑)
新型コロナウィルスの影響は・・・

うめざわ
新型コロナウィルスの影響がまだまだ大きいですが、いかがですか?(2021年2月現在)

若柳 絵莉香さん
日本舞踊のようなものは、世の中が不要不急だと思っているのではないかという不安の中、あらためて存在意義を考える時期が長く、辛かったですね。出稽古にいけないとか、お辞めになる方もいらっしゃいました。
でも、緊急事態宣言が出ていても、オンラインで稽古してくれるお弟子さんがいて、そうして続けてくれる方がいたから乗り切ってこれました。
文字通り「みんなで作った」公演
長唄「藤娘」(2020年 若柳吉寿海二十三回忌追善公演 莉利の会(©夏生かれん))

うめざわ
2020年の12月にはお母さまである吉寿海(きちすみ)先生の追善公演を開催されましたね。

若柳 絵莉香さん
スタッフのみなさまも一緒に、みんなでこの公演をやりきりましょう、という雰囲気の中で、公演を実現することができました。
コロナで、今年の仕事はこの公演以外、全部キャンセルだったというスタッフさんもいる中、「舞台ができる」ということを楽しんで作り上げられました。
お客さんもそうで、いつもなら知り合いを見たら帰られる方も多くいるのですが、みなさん帰らないんですよね。食い入るように、生の空気を味わうように見てくださって。

若柳 絵莉香さん
それを目の当たりにしたときに、「これは、不急じゃないかもしれないけど、不要では決してない」と思いました。
それで、やってよかったな、まだがんばれるな!という気持ちになれました。
集合写真(2020年 若柳吉寿海二十三回忌追善公演 莉利の会(©夏生かれん))
インタビューを終えて・・・

うめざわ
若柳絵莉香さんは、多くの良いお弟子さんたちに囲まれていらっしゃる、ということを強く感じました。
それはお母さまの吉寿海先生の代から受け継いできたものでもあるし、絵莉香さん自身が一生懸命作り上げてこられてたものでもあるし、だからこそ、そのような絵莉香さんに共感し、集まる方がやはりとても良い方が多いんだろうと思います。
大変な中で公演を実現されたことで、関係者を含め、たくさんの人たちを勇気づけられたことも、とても印象的でした。
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