
私が日本舞踊に出会ったのは、美しい人間になりたいと模索していた中学生の頃。
小学校低学年の頃から、容姿が理由でイジメを受け、容姿を磨けば良いのだと思い、容姿を磨くことに努力をすれば、今度は「自分を可愛いと思っている」という理由で同級生からまたイジメられました。担任の先生は、クラスメイトに私の嫌いな部分を一人ずつ挙げさせ、それを黒板に書くと写真を撮り、不登校になっていた私の元へと届けに来ることも。
それでは中身を磨き性格がよくなればいい、そうすれば人に好かれるのだ、と思った私は、本を読むようになりました。中身を磨くと言っても、何をしていいのかすら、わからなかったから。
小説、エッセイ、自己啓発、ビジネス、ジャンルを問わずに読んでみたら、どの本の中にも、人間達のストーリーがあり、本来の目的を忘れて楽しんでしまうほどのめり込んでいきました。
ここで一つの疑問が浮かびます。
“性格がいい”は、結局は他人にとって“都合がいい”という意味だったのでは?
中身を磨こうとも、外見を磨こうとも、評価は他人が決めるもの。
他人の顔色を伺うことは、本当に美しいと言えるのでしょうか?
本当に美しいというのは、圧倒的な存在感を放つものであり、損得も関係なく、誰もが黙ってしまうようなものではないかと、当時の私は思い至ったのです。
そんな時、当時流行っていた歴史物のゲームや、歴史小説の影響で、日本史に興味を持ち、何となく手に取った小説が、「宮本武蔵(著者:吉川英治)」でした。
この物語に登場する、二代目吉野太夫という、京都にあった遊郭の遊女の存在を知ったのが、私の運命が動いた瞬間だったのではないかと、今では思います。
この二代目吉野太夫は実在した人物で、太夫というのは、最高格の遊女のことです。この人物は、寝所から出てきたそのままという、身なりを整えていない状態でさえも、息を飲むほど美しい人だったのだそうです。
そんな人が本当にいたのなら、美を求めていた私が惹かれるのは当然だったのかもしれません。
寝起き姿など、どんな美人であれ、お世辞にも息を呑むほど美しいとは言えぬはずです。
それでも吉野太夫は、その場にいた全員が見惚れてしまうほどであったというではありませんか。
このことは、私に“美とは造形だけに左右されるものではない”と教えてくれました。
しかし、それほどまで人の心を掴むということは、何か理由があるはず。
私はその“何か”が知りたくて、吉野太夫の少ない史料を読み漁りました。
史料には、吉野太夫は、日本舞踊、琵琶、琴、笙、和歌、連歌、俳諧、書道、茶道、香道、貝覆い、囲碁、双六など、あらゆる事に秀でていたと記してあり、あまりにも多才な人物でした。
読むだけでも目が回りそうですが、当時の私はここから一筋の光を見ます。
それは “芸を知れば、極めれば、身も心も美しくなれるのではないか” という仮説。
いつしか、イジメられないようにという理由は忘れ去っていて、ただ吉野太夫のように、見た目ではなく、内側から滲み出る圧倒的な美しさがほしいと思うようになっていました。
芸を極めたくても、私の家庭は貧乏で、楽器やお道具を買うことが出来ず、お稽古代を用意するので精一杯。ですから、とりあえずお扇子と体ひとつさえあれば日本舞踊はお稽古できると、何処かの誰かが言っていたのを思い出し、美しい人間になりたいという単純な気持ちで、本物の美しさを探しに、日本舞踊のお稽古場へお邪魔することにしたのです。
(続く)
桐貴 清羽(きりたか きよは) フリーライター
幼少期に舞台子役やローカルアイドルとして活躍後、日本舞踊の経験を通して京都舞妓の世界へ。その後、北新地や銀座でのホステスとして働く。今現在は、『小さな声を届ける』をモットーに社会活動家 / フリーライターとしてLGBTQ、吃音、ADHDを含む発達障害や、社会問題の課題解決に取り組む。
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