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#02 はじめて触れた世界は、あまりにも鮮やかだった

お稽古場の見学日は、運が良いのか悪いのか、大きなお舞台直前のお稽古の日でした。

午前10時ごろ、少しきれい目の、いわゆる他所行き用の洋服を着て、事前に指定されていた場所へと向かいます。その足取りは、決して軽くはありませんでした。
未知の世界に触れにいくわけですから、当たり前です。

もしかしたら先生はつり目で、への字口のおっかない人ひとかもしれない。
おこりんぼうで、扇子でビシバシ叩く人だったらどうしよう。
そうだったら、挨拶だけして帰ろう。
なんて事をぐるぐると考えながら、一階に白粉やお扇子などのお道具を売っているお店が入った、昭和に建てられたであろうビルの5階にエレベーターでのぼりました。
とはいえ、この時は“おっかない先生”を想像するのに忙しくて、お道具屋さんには気がついていませんでしたけれど。

エレベーターを降りるとすぐに格子戸があって、格子戸の前には色とりどりの、本当に個性豊かなお草履があちこちに咲いていました。きちんと整理されているわけではなく、ドタバタと出入りをしていたであろう様子が読み取れて、少し安心したのを覚えています。

ここで大量のお草履がきれいに並べられていたら、私はきっと怯えて逃げ出していたでしょうね。緊張のあとの程よい緩みは、人を安心させます。

乱れたお草履達を少しきれいに整えて、靴を脱ぐスペースを作った後、ガラガラと音を立て、格子戸をひいて中に入ると、お草履と同じく色とりどりの着物を着た大勢の方がいらっしゃいました。

「よくいらっしゃいましたね。他のお弟子さんと一緒に、ご見学なさって」

現れたのは、私が通う予定のお稽古場を運営するY先生。着流し姿の、小柄で優しそうな男性が笑顔を浮かべ、丁寧に輪を揃えて並べられた紫色のお座布団へ、私を案内してくださいました。

このとき、居場所を与えられた安心感と、想像していた“おっかない先生”ではなかったことの安心感で、一気に緊張がほぐれたのを覚えています。

まもなくお弟子さん達は、それぞれ丁寧にY先生と、そのお師匠さんのK先生、お囃子の先生方にお辞儀をして、踊り始めます。それは、中学生の私が想像していたほど華やかなものでは無かったけれど、今まで触れたことの無い世界観が拡がっていました。

まだ大道具も無いお稽古場なのに、江戸の街並みがみえる。遊郭が見える。林がみえる。雪が見える。

お稽古が始まってから、何人ものお弟子さんが入れ代わり立ち代わりに踊られていたのに、お弟子さんたちの演じるドラマの中に入り込んでしまった私は、石のように、ただじっと座っていることしか出来ません。お水を飲むことさえも忘れていたほど。

お稽古場に入ったときはまだ、陽が高い位置にいたのに、気がついた頃には窓の外は真っ暗に。

「それでは少し、休みましょうか」
Y先生の声と共に、夢の世界から目を覚ましたばかりの私の元へ、K師匠がいらっしゃいました。
「貴女、じっと見て可愛いらしいわね。前にきなさいよ。正面からみるほうがずっと面白いわよ」
そうおっしゃって、今までK師匠が座られていた場所、舞台前方のど真ん中へと連れていかれたのです。

日本舞踊をご経験されている方からすれば、その場に座るなんてどれほど厚かましくて恐ろしいことか、おわかりになるでしょう。 師匠や、先生方の定位置なのですから。 弟子が座るなんて言語道断です。

お行儀も何も知らない当時の私でさえ、そんなことは出来ないと思いましたもの。でも、これはチャンスだと思い、厚かましくもそこへ座ることを選択しました。なんて生意気なのだと思われてしまうのか、勉強熱心だと思ってもらえるのか、賭けでもありましたが、K先生はニコリと満足そうに微笑んでくださいました。

K先生は、私が席に座ったのを確認したあと、Y先生と一緒にお稽古場の中央に座り、同時に「お願いします」と礼をして踊り始めたその瞬間、風が吹いたように、一瞬にしてお稽古場の空気が変わりました。

K師匠とY先生の気迫なのか、お弟子さん達の芸を自分のものにしようという熱意なのか、はたまた両方なのかは、分かりません。 そこに緩みはありませんでした。

少女漫画ではぜったいに描かれることのない、男と女の物語。愛と憎しみを、70歳を過ぎた男性と、40代の男性が演じる。歌舞伎も知らない当時の幼い私には、そのことに驚きもあったはずですけれど、違和感は少しも覚えませんでした。そこに居たのはまちがいなく、美しい遊女と、その遊女に恋い焦がれる一人の男でしたから。

生身の人間とは思えないほどの滑らかさで動くK師匠とY先生の姿を見て、私は祖父母の家に飾っていた日本人形がうごき動きだしたのか、誰かが糸でもたらして、人形を動かしているのかと思いました。

観客にもひしひしと伝わる”本気”。
本番というわけでもないのに、”全力”。

今までその場で踊っていたのお弟子さんとは、やはりなにかが違います。

舞台上だけではなく、普段のお稽古から、すべての力を出し尽くし、芸に臨む人。だからこそ、一つひとつの所作が美しく、心にダイレクトに感情が伝わるのでしょう。

芸の辞書には、「手抜き」と「ほどほど」という言葉は無いのだと、のちにY先生に教えていただいた事があります。踊っている時だけがお稽古なのではなく、常日頃の生活もお稽古なのだと。

私はその言葉に、妙に納得したのです。美しい人が、何故普段から美しいのか。

この芸の厳しさと芸への愛を知れば、私も少しは吉野太夫に近づけるのではと、確信に近いなにかを感じました。

だって、お化粧もない素顔で、汗が光る先生、師匠たちが、あんなにも美しかったのですもの。

芸と心は繋がっている。
芸があるから心が養われるのか。
心があるから芸が養われるのか。

私はそれを知るために、日本舞踊の世界に飛び込むことを決めました。

(続く)


桐貴 清羽(きりたか きよは)  フリーライター
幼少期に舞台子役やローカルアイドルとして活躍後、日本舞踊の経験を通して京都舞妓の世界へ。その後、北新地や銀座でのホステスとして働く。今現在は、『小さな声を届ける』をモットーに社会活動家 / フリーライターとしてLGBTQ、吃音、ADHDを含む発達障害や、社会問題の課題解決に取り組む。

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