エストニアの「歌う革命」から考える、伝統文化を守る意味

エストニアの「歌う革命」から考える、伝統文化を守る意味

この記事では「エストニアの侵略・独立の歴史」から、伝統文化を守ることの意味を考えてみたいと思います。

エストニアの「歌の祭典」Ordinary Extraordinary World – Laulupidu 2014

この記事の内容

・エストニアの「歌う革命」という独立運動について

・ソビエト支配下のエストニアで伝統文化が担った役割

・伝統文化を守る意味

先日、こんな記事を読みました。

エストニアは現在も「いつか再び国土が支配されるかもしれない」という危機感を強く抱いている。それは政府だけではなく、国民にさえも根付いている。

当然、政府はそうなることは望んでいないが、たとえ国が侵略されて物理的に「領土」がなくなったとしても、国民の「データ」さえあれば国家は再生できる、というのが政府の考えだ。

まさに、これが「Government as a Service」の思想である。そして、この思想こそが国が目指すべき国家安全保障の究極のゴールだと同国政府の前CIOも語っていた。(本文より一部を抜粋)

エストニアはバルト三国のひとつで、「Skype」発祥の地としても知られるIT先進国です。

日本では元大関「把瑠都『ばると』)さんの出身地と言えば、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

コロナ禍の日本においても「ネット選挙」が話題になりましたが、エストニアはすでにネット選挙を導入しています。ネット選挙に象徴される「電子政府」という構想は、侵略者に支配され続けてきたエストニアの歴史が生み出した「生き残り戦略」です。

この記事には、それ以外にもなぜエストニアがIT先進国になったのか、その理由が書かれています。そちらに関しての詳細は記事を読んでいただくとして、ここでは、その最初の理由「エストニアの侵略・独立の歴史」から、伝統文化を守ることの重要性を考えていきます。

始めに、バルト三国の独立運動について簡単に解説します

エストニアはじめバルト三国は、地政学的な要因もあり、常に外国からの侵略に晒されてきまました。

第二次世界大戦下の1940年代以降はソビエト連邦に支配されており、もちろん政治的自由はありません。その中で独立運動はバルト三国の文化である「歌」を通じて行われました。

中でも1988年にエストニアで行われた「歌の祭典」には全国民の四分の一とされる「30万人」が集まり、独立への意思表明と、意識の結束が高められたことで有名です。同様の運動はラトビア、リトアニアにも見られ、一連の独立運動は「歌う革命」と呼ばれています。

そして1991年、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、ソビエトからの無血の独立を果たしています。

独立において無血でそれがなされるということは物凄いことで、近年ではチェチェン紛争やコソボ紛争など独立をめぐって多くの犠牲者が出ています。「戦争」と名がつかなくても、民族の自立をめぐっては世界各地でいまも多くの紛争が起こっています。

エストニアの合唱文化と独立へ果たした役割

エストニアには歌い継がれてきた民謡と、それをは発表し合う民族歌謡祭の伝統があります。そこは、民謡などを合唱することで民族性を確認し合う場であり、政治的な議論が起こる集会でもあり、ソビエトへ抗議するデモの場でもありました。

ソビエトの支配下では国歌や民謡を演奏することも制限されていましたが、1950年の歌の祭典では、「愛国的」とされてプログラムから外されていた「我が祖国 我が愛」という愛唱曲を、数十万の参加者が自然発生的に大合唱する、という出来事が起こりました。ソビエト当局もその状況は止められず、この年以降、歌謡祭の最後に参加者全員がこの歌を歌うことが暗黙の了解になりました。合唱文化という伝統がソビエトの支配を部分的にではありますが、無力化してしまったのです。

実は、ソビエトもこの「歌の祭典」のパワーには気づいていて、「歌の祭典」を逆にソビエトへの帰属意識を高めるイベントとして政治利用しようとしていました。プログラムへの介入などもそれが理由なのですが、結局、エストニアの人々のエネルギーを制御することはできず、結果はお読みいただいた通りです。

伝統文化の力

「歌う革命」は当然、多岐にわたる独立運動の一側面をあらわしたにすぎませんが、この象徴的な出来事は多くのことを示唆してくれています。

人々が集まる仕組み

一つ目は、合唱の文化が、継続的に人々が集まり話し合う機会を提供していたことです。ソビエトの支配についても様々な意見が飛び交ったことでしょう。人々はそこでコミュニティを意識し、民族意識を失うことなく、励まし合いながら抵抗する力を養ったはずです。

民族性を保つ仕組み

次に、「民謡」という民族の伝統文化を受け継ぎ守っていくことで、大国の支配下にあっても「エストニア」という国の意識を持ち続けることができ、独立へエネルギーを保つことにつながったとであろう点です。その土地に固有のものである民謡を歌い継ぐということは民族の歴史・文化の継承そのものです。

私たちも私たちの民謡を歌うとき、私たちの祖先や、昔の風景、人々の苦労や喜びに思いを馳せると思います。

大国の支配からをも自由を勝ち取る原動力になった

20世紀は戦争の世紀といわれます。そして21世紀になっても戦争は終わっていません。その前に一人の人間の力はあまりにも無力ですが、かつてソビエトという超大国の支配をも、伝統文化の力がひるませたことがあるという事実を、私たちは覚えておく必要があると思います。

「伝統文化を守る意味」とは

文化と政治を結びつけて話すと、いささか生々しい感じはしますが、しかし文化が民族を守った大きな要因になったことは事実で、あらためて「伝統文化を守る意味」の深さについて考えるきっかけになると思います。

伝統文化を守りたい・受け継ぎたい、と多くの人は考えるでしょう。では、なぜ守るのか?

・伝統だから?

・自分が好きだから?

・長い間、続いてきたものには価値があるから?

いろんな考え方があると思います。

変化が激しいこの時代、伝統文化も変化したり、消えて行ったり、まったく形を変えてしまうかもしれません。今当たり前にあるものは10年後にはなくなっているかも。それが「時代の流れ」だと言ってしまえばそれまでですが、エストニアをはじめ、バルト三国の独立運動に伝統文化が果たした役割は、伝統文化を守る意味を考えるうえで、たくさんのヒントを与えてくれるような気がします。

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