【取材】地元・佐賀で親子三代90年。次の舞台は「世界」~藤間勘光(かんこう)~佐賀県佐賀市

【取材】地元・佐賀で親子三代90年。次の舞台は「世界」~藤間勘光(かんこう)~佐賀県佐賀市

佐賀県佐賀市で日本舞踊教室を開いている、藤間勘光(かんこう)さんに取材しました。

子供のころから日本舞踊を学び、大学卒業後、一度は証券マンとして会社員を経験するも、再び踊りの世界へ戻ります。勘光さんの稽古場は、地元に根差し親子三代にわたって、なんと90年以上続いています。所属団体では役職も歴任された勘光さんですが、次の活躍の舞台を、海外に定めているといいます。

稽古場の歴史、踊りへのこだわり、海外へ挑戦する理由と展望などを伺いました。

藤間勘光(かんこう)プロフィール

佐賀県佐賀市出身 藤間流勘右衞門派
幼少のころより、祖母と母より日舞の手ほどきをうける。
11歳で初舞台。日本大学卒業後、証券会社に就職。
25歳で藤間流名取・30歳で教授免許取得
母亡き後、三代目藤園会・会主として門弟の指導・舞踊公演等を行う。
今後は世界へ目を向けて活動する予定

(公社)日本舞踊協会福岡県支部役員
元・佐賀市文化連盟常任理事
元・藤間流藤盛会九州支部佐賀ブロック常任世話役
佐賀市文化連盟 内山文化賞受賞

地元・佐賀で90年愛されて

勘光さんの稽古場の歴史は古い。

藤間勘光さんが主催する会、藤園会(とうえんかい)」は、勘光さんの祖母・藤間吉彌(きちや)さんが昭和5年に発会した。昭和21年より郷里・佐賀の地で娘・初代・勘光と共に藤園会舞踊公演を開催し、来年の舞踊公演で36回、稽古場が始まってからは90周年を迎える。

「祖母は若いころ祖父に先立たれて、それがきっかけで踊りの師匠を志しました。東京へ修業へ出て、蒲田の松竹撮影所で女優さんたちに教えていたこともあり、その中には田中絹代さん*もいらっしゃったそうです。」

戦争で地元・佐賀に疎開し、佐賀で本格的に日本舞踊を教えるようになる。その後、勘光さんのお母様が後を継ぎ、初代・勘光を名乗る。勘光さんはその名をお母様から引き継いだ二代目・藤間勘光だ。

勘光さんは物心ついたころからおばあさまの手ほどきで踊りを習っていた。

そのころから踊るのが大好きでしかたなかったのかというと、実はそうでもなかったらしい。

*田中絹代 大正~昭和にかけて活躍したの日本映画史を代表する大女優。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。

踊るより見る方が好き?会社員を経て日本舞踊の世界に戻った理由とは

長唄「花は藤」

「どちらかというと見る方が好きでした。勉強になって。」

大学卒業後、オーストラリアへ1年間ワーキングホリデー留学に行き、帰国後は日本舞踊ではなく、会社員として就職する。証券会社の営業マンとして働いていた。

オーストラリアへの留学時代

「会社員を2~3年やったんですけど、証券会社の営業は、どんなにがんばっても販売員にしか過ぎないと思ったんです。それは肌に合わないなあ、と思って辞めました。

日本舞踊の世界で生きると決めて会社を辞め、すぐに名取を取得。以降、初代・勘光のサポートをしながら教室を切り盛りしていくことになる。

そんな勘光さんの教室はどんなところ?

現在、勘光さんの稽古場には20名ほどのお弟子さんがいる。稽古場の歴史が長いだけに、すでに師範となって自分の教室をお持ちのお弟子さんも多数。90歳を超えるお弟子さんもいるし、なんと一番長い方では6歳から通い、現在75歳、70年にわたって通われているお弟子さんもいるのだそうだ。

数年に1回行われる「藤園会舞踊公演」は、昭和21年から続き、2021年には36回目を迎える。

「普段の着物を着て踊るのと違い、歌舞伎役者と同じように化粧、かつら、衣装を付けて踊りますので、踊り勝手が違いますし、何より1,000人位の観客を前に踊ることは何より緊張します。

でも、一度舞台を踏むと何とも言えない満足感があります。だいたい舞踊会の1年前から稽古を始めて本番の舞台に臨みます。舞踊家にとっては一番の喜びです!

長唄「京鹿の子娘道成寺」

九州は日本舞踊が盛んで、勘光さんの所属する、藤間流勘右衛門派の舞踊家さんたちも、そのおよそ1/3が九州に集中するそうだ。それほど舞踊が身近にある環境とはいえ、毎回1,000人の動員とはすごい。

勘光さんの稽古場が、祖母の代から地域とともに90年の歴史を歩んできた証拠だろう。

舞踊公演の他にも気軽な発表の場として、年に一回年始に行われる「初舞会(はつまいかい)」がある。地元のホテルで開催されるこの会は一門の新年会も兼ねる。これもおばあさまの代から続く大切な恒例行事だ。

初舞会の様子

勘光さんが証券マンを辞めて日本舞踊を教えるようになって30年以上がたつ。勘光さんが教える上で大切にしていることとは。

教える上で、大切にしていること

佐賀の稽古場にて

お稽古については「基礎」が大切。間を大切に、きっちり踊ってもらうことを心がけているそうだ。そして、お弟子さんの個性を見極めることが大事だという。

「振りはとれても、踊り方には人ぞれぞれ個性があります。」

勘光さん自身は、女形の流れのある踊りが得意なのだそうだが、お弟子さんには「適材適所」で、その方にあった演目があるという。その個性を見極めるもの師匠の大事な仕事だ。

一番やりがいを感じる瞬間

そして、そんな勘光さんがもっともやりがいを感じる瞬間は、お弟子さんが満足して踊れて、喜んでいるときなのだそうだ。

「発表会で『上手く踊れました!』という嬉しそうな顔を見るのが一番嬉しいんです。

勘光さんの心に残る舞台

長唄「時雨西行(しぐれさいぎょう)」*

佐賀県の舞踊家の合同の会にて。

「母の一番好きだった踊りです。そして、母との最初で最後の共演でした。なんとも言えない、儚さのある、遊女のクドキがあり、曲もいいんです。」

*長唄「時雨西行」 旅の僧・西行が、降りしきる雨の道すがら、遊女の家に宿を乞う。世の無常を受け入れて生きる遊女の中に西行は、普賢菩薩の姿を見る。1864年、謡曲「江口」から取材し、河竹黙阿弥作。

好きな演目は?

大和楽「月慈童(つきじどう)」

これまで多くの演目を演じてきた勘光さん。実に400曲を越えるレパートリーをお持ちなのだそうだ。そんな勘光さんに好きな演目を聞いた。

「初代・勘光が好きだった長唄『時雨西行』、その他には、大和楽『月慈童(つきじどう)』や同じく大和楽『蒼い鶴』などが好きですね。」

大和楽「月慈童(つきじどう)」は、月に住んでいた子供が、皇帝の枕を踏んで地球に降ろされ、月に戻りたいが叶わず、地球の竹林で月での生活を懐かしんだり、月に照らされた自分の影と戯れたりというストーリー。

大和楽「蒼い鶴」は北方領土をテーマにした曲。母の形見の折り鶴を、本土引揚のときに忘れてきてしまった主人公。望郷の念に駆られ北方領土を眺めて座っていると、一羽の鶴が形見の鶴を運んでくるという話だ。

大和楽「蒼い鶴」

人間の内面性をテーマにしたものが、特に好きかもしれません。」

地元で長きにわたり日本舞踊を教えてきた勘光さんだが、実は、これからの活動の場を、海外へと決めている。それについて伺った。

海外で日本舞踊を通じて実現したいこと

長年、海外で踊りを教えたいと思っていて、2021年からフィリピンにビザを取り、現地で生活しながら日本舞踊を教える予定です。

コロナ禍の状況で渡航の予定は保留中だが、当面は現地と日本の2重生活をして、日本の稽古場を続けながら、フィリピンでも足場を築いていく計画だそうだ。

フィリピンへ行く理由は、日本舞踊をいろんな人に知ってもらいたい、フィリピンには日本が好きな人が多いため、日本文化を知ってほしい、という理由もある。私には、最後に聞いた理由が、とても勘光さんらしいと思った。

「これまで何度かフィリピンを訪れましたが、現地に住んでいる日本人は少なからず、日本を恋しいと感じているし、望郷の念があります。日本舞踊を踊ることで、日本のことを思い出してもらいたいと思っています。

人の内面を見つめ、言葉では表現できないものを、音楽や身体表現で表し人の心を癒すことが、舞踊の一つの役割だと思う。

先が見えない現代だからこそ、日本人として海外で生活する人たちの不安は計り知れない。勘光さんの活動が一日も早く実って、日本舞踊が海外で根付き、その役割を果たしていくことを願っている。

御家元宅前にて

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