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日本舞踊「京の四季」に出てくる「華頂山・知恩院」に行ってみた

日本舞踊「京の四季」に出てくる「華頂山・知恩院」に行ってみた

「京の四季」に出てくる、華頂山・知恩院に行ってきました。写真とともに、レポートします。

華頂山(かちょうざん)とは?

端唄「京の四季」に、「真葛ヶ原に そよそよと秋は色ます 華頂山(かちょうざん)」という歌詞が出てきます。

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「華頂山」って何?と思った方も多いのではないでしょうか?これは「山号(さんごう)」と言って、お寺につけられる称号の一種です。有名なところでは「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」や、「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」など。「華頂山」は京都の「知恩院(ちおんいん)」の山号で、「華頂山知恩院」と称します。

かつてこの辺りは真葛や蒲、茅が一面に茂る原野だったため「真葛ヶ原」と呼ばれていました。したがって、秋の色深まるこのあたりの風景を「真葛ヶ原に そよそよと秋は色ます 華頂山(かちょうざん)」と詠まれたのですね。

華頂山知恩院の歴史

知恩院の歴史は古く、承安5年(1175年)に浄土宗の開祖である法然上人(1133〜1212年)が、いまの知恩院の場所に草庵を営んだことに由来します。正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」と言います。浄土宗の総本山です。

法然上人は後生の大半をこの地で布教に費やします。以降、弟子たちにより廟がつくられ守られていくのですが、反対派の焼き討ちや火災などで幾度も焼失。今日に至る道筋は決して安泰なるものではありませんでした。

浄土宗徒であった徳川家康、続く秀忠、家光らによって造営が進められ、ほぼ現在の形が出来上がったのは江戸時代です。徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であったこともありますが、ここを京都における徳川家の拠点とし、朝廷を牽制するといった、政治的な意味合いもあったようです。

法然上人の教え

浄土宗の開祖である法然上人ですが、その教えの概要を振り返ってみましょう。

一言で言うと、「身分や能力、男女を問わず、一心に念仏をとなえればみんな極楽浄土へ成仏できる」という教えです。これを「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」と呼びます。

法然上人が生まれた平安時代末の長承二年(1133年)は、戦乱や天災、飢饉が続き不安定な時代でした。当時の仏教は厳しい修行を積んだ人や、多くの寄進をした人が救われるという教えが主流で、庶民は仏教とは縁遠い状態でした。そんな中で身分や貧富の差別なく救われる道を説いた法然上人の専修念仏の教えが広く受け入れられることとなり、現在まで続く浄土宗が広まることとなりました。

国宝「三門」にかかる「華頂山」の額

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知恩院の入り口にあたる「三門」(中央、その左右に門があることから、三つの門で『三門』と呼ばれます)。これは二代将軍徳川秀忠が寄進したもので国宝です。この三門の上に掲げられた額に「華頂山」が見られます。

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国宝、知恩院の本堂(御影堂)」

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知恩院 – Wikipedia

間口44.8メートル、奥行34.5メートルの巨大な建築物です。いまの建物は1639年、徳川家光によって作られたものです。

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知恩院の大鐘楼。
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知恩院の方丈庭園。ここを臨む「方丈の間(撮影禁止)では将軍と大名の謁見が行われました。

知恩院の七不思議

知恩院には七不思議と呼ばれる伝説があります。

①鶯張りの廊下(うぐいすばりのろうか)

歩くと鶯の鳴き声に似た音が出ます。忍者もその音を消せなかったと言います。

②白木の棺(しらきのひつぎ)

三門の普請奉行、五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められています。五味は三門を見事完成させましたが、予算超過の責任を感じ、自刃したと伝えられます。

③忘れ傘

左甚五郎が置いたと言われ、知恩院を火災から守ると信じられています(傘は雨に通じるため)。

④抜け雀

狩野信政筆。襖に描かれた菊と雀の絵がありました。あまりによく描かれていたため、雀が生を受けどこかへ飛び立ってしまったそうです。

⑤三方正面向きの猫(さんぽうしょうめんむきのねこ)

狩野信政筆。どこから見ても、見る人を正面から見据えているように描かれた猫です。誠心誠意人に向き合うこと、また子猫を傍らに置いていることから、親の慈愛を表した絵です。

⑥大杓子(おおしゃくし)

長さ2.5m、重さ30kgの大きな杓子です。全ての人を救いとるという阿弥陀の慈悲の深さを表すとされています。

⑦瓜生石(うりゅうせき)

その昔、この石から瓜が青々と実ったと言われています。

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知恩院から京都市街を臨む。

知恩院を訪れて

知恩院を訪れてみて感じたのは、まず建物の大きさ!まず三門の大きさに圧倒され、本堂の大きさに圧倒され、大鐘楼の大きさに(以下略)

とにかく巨大で、しかも端正。市街地を見下ろす立地も、将軍家が朝廷の牽制に建てたと言われたのがうなづけます。また瓦のいたるところに三つ葉葵があしらわれており、徳川家の影響を感じました。

華頂山知恩院へのアクセス

知恩院は京都駅の北東、祇園エリアになります。八坂神社のすぐ近くです。電車なら、阪急「河原町」駅から徒歩約20分、地下鉄なら「祇園四条」駅から約10分。境内が非常に広いので、じっくり見て回りたい人は2時間は見ておいた方がいいでしょう。

知恩院
日本、〒605-8686 京都府京都市東山区林下町400
+81 75-531-2111
https://goo.gl/maps/jR844AenRuk