【取材】”夢中になれる”を追究して、日本舞踊の常識を変えていく人~睦静紀(むつみしずき)~京都府京都市・兵庫県尼崎市

【取材】”夢中になれる”を追究して、日本舞踊の常識を変えていく人~睦静紀(むつみしずき)~京都府京都市・兵庫県尼崎市

Twitter、Facebook、Instagram、Youtube・・・最近流行りのSNSで、ひときわ存在感を放っている日本舞踊家がいます。

それが、今回お話を伺った睦静紀(むつみしずき)さんです。

へアメイク:上田美江子(M.U)/衣装:YUYA COLLECTION/撮影:岡本卓也(studio plus be)

睦静紀(むつみしずき) プロフィール(公式HPより)

舞踊家としてだけでなく、振付や舞台の企画・演出・スタイリングなども手がける
兵庫県尼崎市出身
2歳より、祖母・母と同じ師である若柳冬紀師に師事
現在は自身も師範として伝統芸能としての日本舞踊の魅力を伝えると同時に現代に響くアート・エンターテインメントとしてより身近にまた広く世界中に発信すべく古典・邦楽にとどまらない現代音楽での活動も行なう。

​睦静紀さんは、尼崎と京都で日本舞踊を教える師匠でありつつ、舞踊家として「静紀社中」とともに国内外で精力的に公演活動をされています。

これまで海外ではパリ、アムステルダム(オランダ)、ウランバートル(モンゴル)で公演。国内でも毎年、教室の発表会とは別に、公演を開催しています。

「興行としては成り立たない」と言われる日本舞踊界で、静紀さんはその常識を変えつつあります。

その活動をSNSで積極的に発信しファンも多い静紀さん。

華やかな印象がある半面、とても冷静に、客観的に踊りと向き合われている一面も。その活動の詳細、日本舞踊への想いなどを伺いました。

睦静紀さんにとって日本舞踊とは「夢中になれるもの」

睦静紀さんは2歳で日本舞踊を始めました。おばあさまとお母様がともに通われていた、近所の日本舞踊教室です。お母様は静紀さんがおなかの中にいたときもお稽古に通われていたので、静紀さんと日本舞踊との出会いは「生まれる前から」といっても言い過ぎではないかもしれません。

お母様、妹さんと(6歳)

大好きだけど仕事にはならない

日本舞踊に通うのが当たり前という生活が続きましたが、日本舞踊と仕事について本格的に考えたのは静紀さんが大学生の時。日本舞踊の仕事がしたいという気持ちもありつつ、

「大学生の自分には、日本舞踊で独立できるとは思えませんでした。」

と当時を振り返ります。

日本舞踊は江戸時代、歌舞伎から生まれた芸能ですが、歌舞伎との違いは、「興行」という産業として成り立っていないことです。したがって、日本舞踊家として、独り立ちして食べていける人はほんの一握り。副業をしたり、家庭を持ちつつ、その傍らで教室を開き教えている、といった方がほとんどです。

しかし一方で、割り切れない思いもありました。

「モヤモヤはしてました。自分がかけてきたものに対するプライドみたいなものがありました。」

とにかく続けよう

最初はOLをしながら教室を続けた

人生のほとんどを日本舞踊とともに過ごしてきた静紀さんは、一つの決断をします。

「たとえプロにはなれなかったとしても、何かしらの形で日舞は続けようと思いました。」

進学、就職をして、OLをしながら副業として日本舞踊を教えるうちに、少しづつ発表会以外の場で出演、着物モデルや映像作品へ声がかかるようになります。

また教室も順調に成長。お弟子さんが増えるに伴って、教室の発表会以外にも、「静紀社中」として公演活動も行うようになっていきます。公演ではお弟子さんも出演者としてチケット売上からギャラが出るのだとか。

職業としての舞踊家へ

「Artistic Ballet Gala2017」にて(バレエ×日本舞踊のコラボ)写真:BALLET OFFICE JAPAN

活動はSNSやホームページで積極的に発信。インターネットで活躍を見た人から、舞踊家としてのお仕事も直接依頼が来るようになります。

そして2018年、ついに独立を決意。静紀さんは「職業としての舞踊家」の道を歩き始めます。

心に残る舞台

「Christmas Show & Party『月世界へようこそ』」

2019年12月神戸の元キャバレー「月世界」で行った自主公演「月世界へようこそ」で踊った椎名林檎

直前に体調を崩して入院してしまい、退院できたのはなんと公演の1週間前。でもお弟子さんたちの頑張りや成長に支えられ、舞台としては大成功を収めたそうです。

パリ、アムステルダム、ウランバートル・・・海外公演の数々

静紀さんの活動でも目を引くのが2016年から毎年行っている海外公演。これまでパリ、アムステルダム(オランダ)、ウランバートル(モンゴル)で公演を実現されています。

初の海外公演パリ(2016年)

モンマルトルの丘にて(2016年 フランス パリ)

初の海外公演となったパリ公演は2016年。京都で一緒に仕事をしているヘアメイクの方とパリで仕事をすることになったことをきっかけに現地公演を構想。こちらも京都で知り合った、パリで着物の普及活動をしている方とタッグを組んで、公演を企画・実現されました。

観客はほとんどがフランス人というなかで、古典作品、現代邦楽、洋楽で舞踊を披露。

「現地の方が、とても魅入ってくださったのが嬉しかったです。」

翌年にはオランダ公演も実現。同じヨーロッパでも公演の印象は異なったようです。

アムステルダム公演にて(2017年 オランダ)

「国によって感想が違うのが印象的でした。フランスの方は伝統的なもの、オリジナルなものを好まれるので、古典作品が喜ばれ、逆にオランダでは洋楽をリクエストされました。」

公演終了後も、現地の方からはたくさんの質問が出て、とても盛り上がったそうです。

JAPAN EXPO18にて(2017年 フランス パリ)

2019年のモンゴル公演は国立博物館とのコラボ

静紀社中(2019年 モンゴル ウランバートル)

2019年には静紀さんとそのお弟子さんによる「静紀社中」により、モンゴル国立博物館で行われた「日本酒アートラベルの展覧会」とのコラボ公演が開催されています。

静紀さんがその日本酒ラベルのモデルとなったことがきっかけです。

静紀さんがモデルとなった日本酒ラベル

博物館公演だけではなく、現地教育機関(モンゴル学園)での公演や、日本センターでワークショップも開催。お弟子さんたちにとっても、非常に貴重な経験になったそうです。

日本舞踊の常識を変えていく

イルミネーションコンサートにて(2017年 京都)

発表会を行う日本舞踊教室はたくさんありますが、その99%は身内の会で、費用などは出演者が応分に負担することが普通です。また海外へ活動の場を広げられるところはごく限られているでしょう。

睦静紀さんは、ご自身が舞踊家やモデルとして活躍するだけではなく、お弟子さんたちにも報酬の出る舞台に出たり、海外で公演する機会を設けています。これは日本舞踊の世界では、とっても稀で貴重な経験です。

「職業としての舞踊家」として興行は成り立たないと言われる日本舞踊の常識を変えつつある静紀さん。そしてその背中を見、一緒に活動するお弟子さんから、それに続く人たちが次々と生まれるのも、もうすぐかもしれません。

「教える」ことは自分にとって欠かせない要素

睦静紀日本舞踊教室のみなさん(明石城築城四〇〇年 秋の能舞台公演)

舞踊家としてのご活躍に触れてきましたが、一方で静紀さんは約25人のお弟子さんを抱える日本舞踊教室の先生でもあります。尼崎と京都に教室を構え、日々指導にあたられている静紀さんにとって、「日本舞踊を教えること」とは。

舞台の仕事と、教える仕事はどっちも欠かせない要素です。」

「よく言われることなんですが、教える事で、教わることも多いんです。自分の動きはお弟子さんに移ります。自分の姿が、お弟子さんを通して分かるんです。また、教える時に、言語化する作業も自分にとって重要です。」

「『教えること』だけでは、より美しいもの、良いものを追求し続けることは難しいと思うんですけど、かといって、自分が踊るだけでもだめなんです。お弟子さんに動きや物語を、言葉で教えるということによって、自分にとっても理解が深まります。」

お弟子さんについて語られる静紀さんからは、芸能の師匠として冷静に、客観的に指導について考える一面を見せていただきました。

これからの展望や目標

最後に、静紀さんの今後の展望について聞きました。

日本舞踊をもっとショーとして、エンターテイメントとして成立させていけたらいいなと思います。

個人としては私の表現する日本舞踊の美を高めていきたいです。

そして、それを多くの人に楽しんでもらうために、認知度も上げていきたい。

来年は海外公演もまた行きたいですし、対面で見てもらえる舞台は来年を考えたほうがいいかなと思っているんですけど、オンラインの形で、実験的な形になるかもしれないですけど、見てもらえる舞台などもできたらいいなあと思っています。」

日本舞踊の常識を変えていく、睦静紀さんの活躍に、今後も注目です。

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