大野屋總本店で足袋を買う
桜も満開になりつつある3月下旬、3日後に控えた発表会用に、新品の足袋を手に入れるため、江戸時代から続く老舗和装雑貨店「大野屋總本店」を訪れた。一般人だけでなく、舞踊家、能楽師、文楽の太夫さんなどプロに愛されている足袋店である。あいにくの雨だったが、ここは弊社オフィスから徒歩3分。傘をさして向かった。
創業は250年以上前の江戸時代は安永年間(1772年~1780年)。信州から来た創業者が三田(港区)で、肌着を作って売り始めたのが最初らしい。当時、武家屋敷が立ち並んでいたエリアだけに、取引先には武士が多かったのだろうか。
1849年(嘉永2年)、いまの銀座・新富町に移ってきた。いまもそうだが、ここはその頃もかなり華やかだったらしい。関東大震災が起こる1923年までは芝居小屋・新富座があった。新富町からほど近い明石町には外国人居留地が立ち並び、新島原という花街が形成されていた。いまでも歌舞伎役者さんや新橋はじめ芸者さんの足袋を作っているというが、そもそも足袋は生活必需品だった。役者や芸者さんだけでなく多くの人が大野屋で足袋を買い求めたことだろう。
大野屋總本店は新富座とともに関東大震災で焼失したが、その後再建された現店舗は、戦火を免れ、顕在だ。大型再開発で賑やかな八重洲や、グローバルな高級店が軒を争う銀座の中央通りからほんの徒歩5分、10分の場所である。この地に来てから170年、建物はもう築100年程になるだろう大野屋總本店は、そこだけ周囲の音を吸収して、ひっそりと息をひそめているかのようだ。
▲「舞えば足元 語れば目元 足袋は大野屋新富形」とある。新富形とは大野屋オリジナルの型。
さて、大野屋總本店で扱われている足袋は、サイズごとに4種類がある。特別に細い足袋「細」、細めの普通足袋「柳」、やや甲高の足袋「梅」、特別甲高の足袋「牡丹」である。私は普通足袋の「梅」を購入した。足袋のバリエーションは多岐にわたり、詳細はぜひHPを見てほしいが、ストレッチ足袋で2,500円から、白キャラコ足袋で4,000円からとなっている。ワゴンセールの足袋と比べれば高いが、職人による手縫いの足袋である。さらに自分の足に合う4種類から選択できるのは足袋の専門店ならではだろう。プロの舞踊家さんは手縫いの足袋を重宝している。量産品との違いを一言でいうと、「踏ん張りがきく」らしい。
私自身も数年前、京都の老舗足袋店で足袋を買ってみたところ、包み込まれるような感覚と、たしかに踏ん張りがきく、その違いに驚いて、京都に行くたびに購入している(今回の大野屋訪問は、ご近所さん開拓である)。
庶民は、普段使いにはちょっと気が引けるかもしれないが、舞台の時など特別気合が入るときにはこのような「本格足袋」を使ってみてはどうだろうか?
御多分に漏れず、足袋業界も職人さんの後継者不足などで廃業が相次いでいるらしい。伝統産業が縮小するのは、時代の変化や価値観の移ろいがあるため、どうしても避けられない側面もある。しかし、違いを知れば手放せなくなる、私のような人間もいる。魅力を正しく知ってもらい、必要な人の所へ届くようになれば、細く長く、続いていくものではないだろうか。
幸い、まだ大野屋總本店のような老舗、職人さんはまだたくさん残っている。まずは試しに体験してみる、そんな人が増えると良いなと思う。
大野屋も被災した関東大震災後、すぐそばに帝都復興事業で「楓川・築地川連絡運河」が採掘され新富橋が架けられた。その水路も今は再び埋め立てられ、首都高になっている。
首都高直上の「楓川新富橋公園」▲
数々の変化を見届けてきた老舗は、これからの時代、いかなる価値を提供するだろうか。私たちはいかなる価値を見出せるだろうか。
参考記事
「楓川・築地川連絡運河跡を歩く!」(中央区観光協会特派員ブログ)
「大野屋總本店」(公式サイト)
「新富座」(文化庁デジタルライブラリー)