日本舞踊界で過去の所属流派を紹介するとクレームが来ることへの疑問

日本舞踊界で過去の所属流派を紹介するとクレームが来ることへの疑問

かねてより疑問があります。過去に所属した流派を離れ、独立したり今は別の流派に属している方の複数から、

「プロフィールに出身の流派を書くと、前の流派にはばかられる」

「クレームが来かねない」

「教えてくださった師匠に迷惑がかかる」

という声を聞いています。私には理解し難いことだったので、今日はこのことについて書きます。

  • 個人が過去の出身流派を公開する理由
  • 流派が離脱者に所属歴を書かれたくない理由
  • 流派側にはデメリットしかないのか?
  • 「マッキンゼー出身」の「敏腕社長」、評価されるのはどっち?
  • そもそも流派をどのように評価するのか
  • 流動性をどこまで認めるか

個人が過去の出身流派を公開する理由

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1.自分を知ってもらうため

プロフィールの役割は、その人の経歴を公開し、どのような人であるかを知ってもらうことです。日本舞踊家としては、過去どの流派に属し研鑽を積んできたかを記載することはメリット以前に、当然のことのように思えます。

横のつながりもありますから、「◯◯流で◯◯師匠についていました」と言えば「その師匠知ってます!」とか、「◯◯さんはご存知ですか?」など、知人のつながりを発見できることもあるでしょう。共通の知人があれば、親近感がわき、距離は一気に縮まります。

2.ブランディングになる

また、自分のブランディングになる、という側面もあります。ビジネスの世界であれば、名のある企業で役職についていた経験があれば、それなりに優秀、実力ある人なんだな、と一目置かれる可能性が高くなります。

流派が離脱者に所属歴を書かれたくない理由

「なぜ書かれたくないのですか?」と直接インタビューさせてもらったわけではないので、複数の人から聞き取った結果の推測になります。

「流派」がそもそも固定的なものである

最近は比較サイトや口コミサイトが全盛です。その裏にあるユーザーの気持ちは「失敗したくない」「少しでもコスパの良い買い物をしたい」。たくさんのものを並べてみて見比べて、自分にとって一番いいものを選ぶ。ある意味当然の思考です。

一方で日本の伝統的な家元制度は、ある意味その対極にあります。多くの人は、所属する流派を「偶然」で選びますが、そこから離脱する際のプレッシャーは非常に大きいものです。師匠と弟子の力関係には大きな違いがあり、弟子が師匠を選ぶ、ということは不可能に近い。ある意味、流派に固定化されるわけで、当然それにもメリットはあるのですが、反面、そのプレッシャーに勝って流派を離れるのには相当の根拠や建前が必要です。

それが「相当の理由」と見なされなかった場合、冒頭に挙げた例のような逆風にさらされることになります。

所属する「流派」は変わらないことが前提であり、変えることはそれだけで、異端視されているのです。

固定化は価値観を絶対評価にしがち

これは日本舞踊に限らず企業などでもそうですが、人材が固定化すると人の多様性が失われ、組織全体で同質化が起こり、自分たちの価値観を絶対視しがちになります。

そこから離脱した人は自分たちと価値観を異にする人なので、たとえ過去のことであったとしても、自分たちの看板を掲げることが受け入れられません。彼らは「虎の威を借る狐」という風に見えてしまうのではないでしょうか。

流派側にはデメリットしかないのか?

断っておきますが、私は、このような考え方を否定するつもりはありません。

同一組織内で価値観が固定化されることはとても理解できます。それだけ組織の団結は強くなりますし、所属している人たちには居心地が良いでしょう。

そして、人を育てることにはたいへんな労力とリソースが必要です。育てあげた人材が、受けた教育という資産を持ってスピンアウトし、さらに自分たちの流派を傘にして出世していけば、面白くない気持ちもわかります。

「マッキンゼー出身」の「敏腕社長」、評価されるのはどっち?

しかし、本当に流派としてメリットはないのでしょうか?

外資系コンサルティング会社のマッキンゼーは、多くの社長を輩出しています。

一例を挙げると、オリックス、日本交通(Japan Taxi)、DeNA、オイシックス、ヤフー、ヤクルト、大和証券…他にも沢山あります(興味があったら検索してみてください)。

では、マッキンゼーは「お前ら、辞めた挙句にマッキンゼーのブランド利用して出世しやがってふざけるな!」と思っているか?そんなことないですよね。たぶんそんなこと全く気にしていないと思います。そんなことをしても辞める人は辞めるし、批判する暇があったら本業に専念した方がいいですからね。

では、世間はどう思うか?「マッキンゼー出身」の「敏腕社長」がいたとして、マッキンゼーで勤め上げず、退職して別会社の社長におさまるなんてケシカラン!…って思いませんよね。むしろ、こんなすごい社長を生み出すなんて、マッキンゼーってなんてすごい会社だろう、って育ての親であるマッキンゼーに尊敬を抱くのではないでしょうか。将来の企業を見据えてマッキンゼーを目指す人もたくさんいるでしょう。

流派の側にもメリットがある

つまり、離脱したとしても、その人自体の評価が高ければ、その人を育て世に送り出した存在として、流派の評価自体が上がる可能性があるということです。評価が上がるということは、そこで学びたい人も増えるということです。

そもそも流派をどのように評価するのか

これは、日本舞踊の流派というものを、どう評価するのか、というテーマにつながってきます。

流派に対して絶対的なコミットメントを求める流派が、離脱者を認めることはないでしょう。

一方で日本舞踊の流派の評価軸は、「人が辞めない」ことだけではないはずです。

人が多いとか、毎年国立劇場や歌舞伎座で発表会やってますとかだけじゃなくて「人材育成がうまい」とか「プロの芸能人をたくさん輩出してる」とか「個性的な活動をしてる人が多い」とかそういう評価軸もありえるんじゃないかと思っています。

流動性をどこまで認めるか

日本舞踊の世界は、私

から見るとかなり流動性の低い世界に見えます。

同じ伝統芸能でも、落語の世界は比較的流動性が高いと言えます。例えば、自分の師匠以外の師匠にも教わりにいける「出稽古」という仕組みがあります。これは、「師匠と弟子」という固定化の中にも、「他の師匠に習ってもいい」という流動性を認めているために、実現できることです。

流動性が高いと情報やノウハウが流出する恐れもありますが、逆もまた然りです。自らの組織が活性化するきっかけにもなりうるのです。

業界全体が沈む前に

日本舞踊業界で過去の流派を紹介するとクレームが来る場合があります。私はこれを日本舞踊界の

組織の流動性のなさが生んだものだと考えます。いま日本舞踊人口は減りつつあります。日本の人口自体が減っていますし、日本舞踊以外にも魅力的な習い事がたくさんあります。日本舞踊界の中だけで潰しあっている場合ではありません。

離れた人が過去の流派を名乗ってもいいじゃないですか。うちの流派は、こんな立派な舞踊家を育てられるすごいところなんだぞ、と堂々としていればいいと思います。その人が勝手に宣伝してくれてると思えばいいのです。クレームなんか入れると余計に評判を落とします。

それよりも人の移動も情報やノウハウも、もっと流動性を高めて業界全体の体力を上げなければ、業界全体が沈んでいってしまう、そういう時期に来ているのではないかと思います。

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