なぜ日本舞踊には流派がたくさんあるのか、五大流派の違いも解説

なぜ日本舞踊には流派がたくさんあるのか、五大流派の違いも解説

日本舞踊に「流派」はつきもの。

でも実はよく知らない。

そもそもなんで流派があるのか?

有名な流派の教室で習った方がいいのか?

なんか複雑そう・・・

などの疑問を解決します。

この記事でわかること

なぜ日本舞踊には「流派」があるのか

なぜたくさんの流派があるのか

有名な流派(五大流派の紹介)

有名な流派の先生に習った方がいいのか

まず結論です。

なぜ日本舞踊には「流派」があるのか

→「創流者が生み出した芸のスタイル」を崩さず継承していく目的ために「芸の正式な継承者である家元を中心とした流派を作る」やり方が適切だったからです。

なぜたくさんの流派があるのか

流派の枠におさまりきらない人が新しく流派を作るからです。きっかけは、自分独自の芸のスタイルを生み出したから、組織経営のやり方が合わない、後継者問題などさまざまです。

有名な流派(五大流派の紹介)

西川流、花柳流、若柳流、藤間流、坂東流の五つの流派が五大流派と呼ばれています。

数多くある流派も、たどればこれらの流派にたどり着く場合も多いです。それぞれの特徴はあとで解説します。

有名な流派の先生に習った方がいいのか

→ほとんどの人はこだわる必要はありません。なぜなら自分に合った師匠・教室に出会えるかの方が重要だからです。見学や体験レッスンで教室に足を運びましょう。

では、それぞれ詳しく見ていきます。

日本舞踊に「流派」がある理由

流派は「家元制度」と呼ばれる、芸の継承システムの一部です。

日本舞踊の起こりは江戸時代。歌舞伎の振付を専門に行っていた「振付師」と呼ばれる人が、町の人々に教え始めたのが始まりです。歌舞伎役者が自ら教える場合もありました。

これらの「師匠」はそれぞれ個性を活かし、独自の振付など芸のスタイルを持っていました。そして弟子が増えると、組織の決まり事やルールを作っていきました。

そして師匠は「〇〇流」を名乗って、その芸を体現する人として「家元」になり、家元を中心に同じ芸のスタイルを学び受け継いでいく弟子たちのまとまりを「流派」と呼ばれるようになります。

なぜわざわざ「流派」をつくるのか

ここで、わざわざ「流派」にしなくてもいいのでは?という疑問が湧いてきます。自分が弟子に教えて引退したらそれで解散、でもいいわけです。例えばピアノの世界に流派はありません。「ショパン流」とか、「フジコヘミング流」とかはないですよね。

これは文化の違いもあると思いますが、西洋音楽の世界では特定のだれかのスタイルを受け継ぐよりは、演奏者一人一人の個性を重んじるのに対し、伝統芸能の世界では昔から続くスタイルを正確に継承していくことが重視され、それに「家元制度」という仕組みがぴったり当てはまったということなのではないかと思います。

また、流派にすることで、過去の実績や人気を引き継いでいけるというメリットもあります。歌舞伎の世界がわかりやすいですよね。名跡を襲名することで、先代のファンを自分のファンとして引き継いでいけるのです。もちろん、その分、受け継ぐ人には責任やプレッシャーもあります。

なぜたくさんの流派があるのか

芸だけはなく、実績や人気も引き継いで行ける、流派のメリットを紹介しましたが、一方でとてもたくさんの流派に分かれているのはなぜでしょうか。

これには、いくつかの理由があります。

芸のスタイルの違い

流派は、芸の正式継承者である家元を中心とした組織です。そこには当然、守るべき芸のスタイルがあります。しかし中には「自分独自の表現を追究したい!」という人が出てきます。

そういう人は、あくまで流派のスタイルを崩さない範囲で活動するか、組織を出ていくかになります。組織を出た人は自分で流派を立ち上げて家元となります。

ミッションの違いから、大企業を辞めてフリーランスに転身したり、ベンチャーを興すようなものですね。

組織経営への考え方の違い

芸のスタイルだけではなく、守るべきルールや規範もあります。大きな組織となると、家元は大企業を経営するようなものですから、いろんなルールが出てくるのは当然ともいえます。

組織の理念、人事、運営の仕組み、お金の流れなど、人が多くなればなるほどいろんな意見が出てきますから、それに対して納得が行かなくて、組織の改革者となる人、または組織から出て、個人で活動したり、組織を作る人も現れます。これも企業をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。企業の世界でも、経営理念や、目的に応じて、別会社を作ったり、独立する人が出てきたりすることがあります。

また、流派が分かれる時は必ずしも対立して分かれるわけではなく、のれん分けのように友好関係を保ったまま別組織を立てる場合もあります。

後継者問題など政治的理由

流派は家元を中心とした組織です。「誰が家元を継ぐのか」という後継者問題は、組織のトップを誰にするのか、ということですから、いつの時代も大きな問題です

そこで意見が分かれて、決着がつかず、流派が分かれるというケースもあります。

こうした政治的な理由よって、流派が増えるというケースもあります。

 

このように、芸のスタイルや組織にまつわる様々な理由から、流派は分かれ、増えていきました。現在では全国に200を超える流派がるといわれています。

有名な流派(五大流派の紹介)

この項では五大流派と呼ばれる、代表的な流派を紹介します。

西川流(にしかわりゅう)

元禄年間(1688年~1704年)に始まり、二代目西川扇蔵が確立。五大流派の中では最も長い300年以上の歴史をもち、多くの流派の源流ともなっています。代表的な振付演目に、「鷺娘」「関の扉」「勧進帳」などがあります。

花柳流(はやなぎりゅう)

嘉永2年(1849年)、花柳壽輔(じゅすけ)が創始。花柳壽輔は四代目西川扇蔵に学び、歌舞伎役者の市川團十郎の弟子として役者としても活動していました。

歌舞伎舞踊の振付師として重きをなしましたが、戦後は流派の舞踊家育成と組織化に尽力。子女の習い事として浸透し、現在では組織力の強さで名取約1万5000名を擁する最大の流派となっています。

若柳流(わかやぎりゅう)

明治26年(1893年)、初代花柳壽輔の門から出た若柳壽童(じゅどう)と改名して創始。柳橋をはじめ花街に一大勢力を築き、花柳界で発展したため手振りが多く、品のある舞踊です。

藤間流(ふじまりゅう)

宝永年間(1704年~1710年)に初代藤間勘兵衛が創始。のち茅場町の勘十郎家と浜町の勘右衛門家に分かれています。また勘右衛門家からは三世藤間勘右衛門(七代目松本幸四郎)が出て松本流を派生させています。舞台映えするおおまかな振りの舞踊が特徴で、花柳流の細かい振付と対照的とされます。

坂東流(ばんどうりゅう)

化政期(1804年~1830年)を代表する歌舞伎役者、三代目坂東三津五郎を流祖とし、代々三津五郎が家元を継承しています。三代目三津五郎は江戸歌舞伎きっての舞踊の名手で、所作事に多くの名作を残しました。単に踊るだけのそれではなく、作品を常に演劇的にとらえ、「演じる」ことを大切に扱うところに特徴があります。代表的な振付演目に、「汐汲み」「願人坊主」「傀儡師」など。

有名な流派の先生に習った方がいいのか

いま日本舞踊教室を探している人は、「やっぱり歴史がある流派とか、有名な流派の先生に習った方いいのかな?」と疑問に思われるかもしれません。

私の意見では、「流派ありき」で教室を探さないほうがいいと思います。

なぜなら、あなたが日本舞踊を楽しく学んでいくためには、良い師匠との出会いが大切だと思うからです。流派の違いより、師匠の人柄や、教え方、あなたとの相性といったことの方があなたの日本舞踊ライフに大きな影響があります。

もちろん、特定の流派にこだわりがあるとか、そういった場合は流派から探す方が良いでしょう。

まとめ

日本舞踊の世界ではなぜ「流派」があるのか、なぜたくさんあるのか、有名な流派の特徴、有名な流派の先生に習った方がいいのか、などを見てきました。「流派」を理解する手助けになれば幸いです。

ちなみに私は教室を選んだとき、流派の知識はほぼゼロでした。でも素直に良い、と思って選んだからこそ、良い師匠の元で学ぶことができ、今の自分があると思います。そして後から流派の違いや歴史を知って、日本舞踊への理解が深まりました。

これから教室を探す皆さんは、あまり流派にこだわりすぎず、自分に合った教室を探しましょう。そして、巡り合った流派についていろいろ質問したり、調べたりしていくと、もっともっと楽しく、日本舞踊にハマっていくと思います!

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