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日本舞踊の流派一覧【解説・HPリンク付き】

日本舞踊の流派一覧【解説・HPリンク付き】

日本舞踊の流派ってたくさんあるっていうけど、具体的にはどういう流派があるの?

そんなあなたに、日本舞踊の主な流派一覧です。

名称、創流、特徴と公式サイトをまとめました。

公式サイトは弊メディアで確認できたものです。分岐して複数存在している流派、流派の中でさらに「〇〇派」と分かれているものについては、確認できたものを掲載しておりますが、すべてを網羅できていない、またはサイト自体が存在しない場合があります。

*現在更新中の記事です。記事は随時追加されます。

日本舞踊の流派一覧

五大流派

名称 花柳流(はなやぎりゅう)
創流 1849年(嘉永2年)
特徴 花柳流は日本舞踊の流派の中では比較的新しい流派ですが、現在では2万人以上が所属しており突出した規模を誇っており、門弟や演目の数も非常に多い流派です。

花柳流の特徴は振りが多く「小間(細かい間のリズム)」を重要視していることです。その「小間」が全体に大きなうねりを形成し、花柳流の舞踊をリズミカルで大変華やかなものにしています。このことは手数が少なく、ダイナミックで見ごたえのある藤間流の舞踊とよく対比されています。

また、旋回運動を主とする「舞」よりも跳躍に重きを置く「踊り」を重視していることも花柳流の特徴と言えるでしょう。

>>さらに詳しい解説を読む「花柳流(はなやぎりゅう)について解説します」

公式サイト 日本舞踊 花柳流 公式ホームページ
名称 藤間流(ふじまりゅう)
創流 1704年(宝永元年)
*初代藤間勘兵衛が江戸へ出た年
特徴 日本舞踊の五大流派の一つで、300年以上の歴史を持っています。

現在の藤間流宗家・八代目・藤間勘十郎はテレビ出演も多く、日本舞踊に親しみがなかった人でも藤間流の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。

藤間流には大きく二つの特徴があります。

それは「劇場映えする大きな振付であること」と「宗家と家元の二つの系統に大別できる」ということです。また、感情表現や内から発露する表現を重要視しているのも藤間流の特徴です。

現在、勘十郎派、勘右衛門派、紫(むらさき)派など、藤間流の中にいくつかの主流派があります。

>>さらに詳しい解説を読む「藤間流(ふじまりゅう)について解説します」

公式サイト 宗家藤間流 公式ホームページ – 一般社団法人 宗家藤間会
名称 若柳流(わかやぎりゅう)
創流 1895年(明治28年)
特徴 若柳流は他の流派と異なり、創流当初から花街(東京・柳橋)に基盤を置いて発展してきました。このため、繊細で優美な振付が大きな特徴となっています。

また、早くから地方への進出も積極的に行っていたことから、様々な地域で若柳流が振り付けた踊りが伝わっています。

若柳流は花柳流から分離・独立した流派であることから、花柳流の手数の多さも受け継いでいることも若柳流の特徴と言えるでしょう。

現在、「若柳流宗家(家元若柳吉蔵)」「若柳流宗家(家元若柳壽延)」、家元制を廃し理事会制をとる「正派(せいは)若柳流」など複数の流派が存在します。

>>さらに詳しい解説を読む「若柳流(わかやぎりゅう)について解説します」

公式サイト 若柳流宗家(家元若柳吉蔵)

若柳流宗家(家元若柳壽延)

正派若柳流

名称 西川流(にしかわりゅう)
創流 1688~1704年(元禄時代)
特徴 歌舞伎の振付師である西川扇蔵(仙蔵、千蔵とも)によって創始されました。非常に歴史のある流派です。

歌舞伎色が濃く、感情表現を大切にする流派です。

東京を拠点とする「宗家西川流」、名古屋を拠点とする「名古屋の西川流」などがあります。

公式サイト 一般財団法人 西川流(宗家西川流)

一般財団法人 西川会(名古屋の西川流)

名称 坂東流(ばんどうりゅう)
創流 1804~30年ごろ(文化文政時代)
特徴 坂東流は三世 坂東三津五郎を流祖とする、最も歌舞伎色の強い流派です。

歴代の家元が歌舞伎俳優である坂東流は、単に踊るだけではなく、作品を、常に演劇的にとらえ、“演じる”ことを大切に扱うところに特徴があり、その芸風は折り目正しくいたずらに時流に流されないと評されています。

公式サイト 日本舞踊 坂東流

あ行の流派

名称 葵流(あおいりゅう)
創流 1965年(昭和40年)
特徴 若柳流、尾上流に学んだ初代葵七重(ななえ)により創始されました。

「格調はしっかりした基礎力が生み出すものである」という信念のもと、すみずみまでゆるがせにしない折り目正しい芸風が特徴です。

公式サイト 日本舞踊「葵流」–公式ホ-ムペ-ジ
名称 赤堀流(あかほりりゅう)
創流 1941年(昭和16年)
特徴 名古屋の西川流、初代西川鯉三郎に師事し、門弟の「三羽烏」の一人に数えられ天才児と呼ばれた・赤堀鶴吉によって創始されました。西川流の正統を伝える、というのが流派の基本となっているようです。
公式サイト
名称 秋房流(あきふさりゅう)
創流 2009年(平成21年)
特徴 秋房愚樂(あきふさぐらく)により創流されました。

日本舞踊の可能性を広めるべく古典的技法を守りながらも新舞踊や創作舞踊などの振り付け演出に加え、地歌舞伎」の指導や劇団の振り付け、演出等にも積極的に取り組んでいます。

公式サイト 日本舞踊 秋房流(Facebookページ)
名称 旭流(あさひりゅう)
創流 1980年(昭和55年)
特徴 若柳流、尾上流、葵流を経てきた旭七彦により、創流されました。
公式サイト 公式|日本舞踊 旭流ホームページ
名称 飛鳥流(あすかりゅう)
創流 1980年(昭和55年)
特徴 花柳流で学んだ飛鳥峯王(みねお)により1980年創流。
公式サイト 日本舞踊 飛鳥流
名称 東流(あずまりゅう)
創流 1861年(万延2年)
特徴 吾妻藤十郎が東昶藤を名乗り創流。昭和45年、継承問題により叶流が分岐。
公式サイト
名称 吾妻流(あずまりゅう)
創流 1688~1704年(元禄時代)ごろ
特徴 歌舞伎役者である吾妻藤蔵(とうぞう)が、町師匠としてはじめたようです。三代目以降、しばらく途絶えていましたが、十五世市村羽左衛門の娘である藤間春枝が中興の祖として、吾妻流四代目家元「吾妻春枝(のちに徳穂)」を継承し復興しました。

「初代吾妻徳穂以来、吾妻流はどれだけ女の特徴を出して踊れるか、骨格や体型、衣裳などを総動員して女性舞踊家としての踊りを、という魂でやってきました」とは二代目吾妻徳穂。

公式サイト 日本舞踊 吾妻流
名称 東路流(あずまじりゅう)
創流 1986年(昭和61年)
特徴 市山流で学んだ初代家元東路寿美により創流されました。
公式サイト
名称 泉流(いずみりゅう)
創流 1941年(昭和16年)
特徴 花柳流の分家、花柳徳太郎の長男により創流。徳太郎の父である骨董屋「泉屋徳右衛門」の屋号を踏襲した名、初代泉徳右衛門を名乗りました。

品格と洒脱を備えた芸風で、全国におよっそ2,000人の門弟を持ちます。

公式サイト 日本舞踊 泉流 公式サイト
名称 出雲流(いずもりゅう)
創流 1974年(昭和49年)
特徴 上方舞の名手・神崎ひでに師事した神崎蓉(よう)が「出雲蓉」として独立。東京を中心に地唄舞、独自のパントマイムである「舞夢」の公演を行っています。
公式サイト 出雲蓉 地唄舞・舞夢の世界
名称 市川流(いちかわりゅう)
創流 1850~1900年(幕末明治期)ごろ
特徴 七代目市川團十郎の芸を、市川宗家の舞踊として磨き上げ継承してきた九代目市川團十郎を流祖とする流派。

品格と力強さを兼ね備えた踊りが特徴。

公式サイト
名称 市山流(いちやまりゅう)
創流 1853年(嘉永5年)以前
特徴 大阪の俳優、市山助五郎の弟子で踊りに長けた市山七十郎(なそろう)が振付師に転向して興した流派です。

七十郎の息子には、狂言作者・瀬川如皐、女形の三代目瀬川菊之丞らがいました。
現在、新潟を中心とする宗家、江戸市山流系統、正派、松派系統などいくつかに分かれています。

公式サイト 日本舞踊東京市山流
名称 岩井流(いわいりゅう)
創流 1688~1704年(元禄時代)ごろ(初代岩井半四郎の活躍期)
特徴 歌舞伎俳優の名跡「岩井半四郎」は代々、役者として活躍する傍ら、舞踊でも優れた力量を発揮した人が多く、江戸の町師匠でも「岩井」姓の師匠がしばしばあったそうです。

十代目岩井半四郎(花柳壽太郎の長男)のとき、正派岩井流一門会が組織されました。

一方、五代目岩井粂三郎(九代目岩井半四郎)を始祖とする紫若(しじゃく)派があります。

公式サイト 日本舞踊 正派 岩井流

日本舞踊 岩井流 宗家(紫若派)

名称 内田流(うちだりゅう)
創流 1954年(昭和29年)
特徴 藤間流勘右衛門派から独立した内田るり子によって創流。東海エリアを中心に活動している。
公式サイト 日本舞踊 内田流
名称 梅園流(うめぞのりゅう)
創流 1872年(明治5年)
特徴 毛利家の御狂言師(おきょうげんし。大奥や大名家に参じて踊りを披露したり指南したりした女師匠)の流れをくむとされる流派です。
公式サイト
名称 楳茂都流(うめもとりゅう)
創流 1870年ごろ(明治初期)
特徴 上方舞四流のうちのひとつ。始祖の初代・楳茂都扇性(うめもとせんしょう)は、「能でも、歌舞伎でも、踊りでもない風流舞を」と創流しました。天満に咲く梅に想いを込めて「楳茂都流」と命名。

平成20年、歌舞伎役者の片岡愛之助が四代目・楳茂都扇性を襲名し家元になりました。

サイト 楳茂都流について(楳茂都梅咲HP)
名称 井上流(いのうえりゅう)
創流 1800年ごろ
特徴 上方舞四流のうちのひとつ。現在、京舞の代名詞ともなっている井上流は、始祖の井上サトが、公家の近衛家から「八千代」の名と「近衛菱」の紋をもらって一流を立てたのが始まりです。

三代目・井上八千代がはじめた「都をどり」や、京都五花街(ごかがい)の一つ「祇園甲部」で舞の教授を行っていることでも知られています。四世~五世(現家元)・井上八千代が人間国宝に認定。

公式サイト
名称 楳若流(うめわかりゅう)
創流 1961年(昭和36年)
特徴 楳若勧二郎が創流、頭取である楳若勧助とともに独立独歩で発展させた。1977年(昭和52年)には新舞踊の流派である高嶺流を分流している。
公式サイト 梅若一門公式ホームページ
名称 扇流(おうぎりゅう)
創流 1969年(昭和44年)
特徴 歌舞伎の家柄「音羽屋」の流れをくむ流派です。人間国宝でもある七代目尾上梅幸により創流されました。

2019年から金沢工業大学と、AIによる舞踊の解析プロジェクトを開始するなど、伝統とテックの融合にも取り組んでいます。

公式サイト 日本舞踊「扇流」扇梅芳(ばいほう)オフィシャルサイト
名称 大河流(おおがりゅう)
創流 1865年(元治元年)ごろ
特徴 若狭藩小浜城酒井家に御狂言師として仕えた岩井うめは、奥女中の「大河(おおが)」からその名を与えられました。

うめと婚約するはずだった酒井家家臣・壬生忠治が蛤御門の変で戦死したことをきっかけに酒井家を辞することになったうめは、「大河うめ」として深川芝翫河岸(江東区常磐町)で町師匠となります。二代目はうめの娘よしが継いだが、若くして逝去、大河流はしばらく途絶えていました。

以来、文学博士松本亀松氏の預かりとなっていた大河流は、昭和59年、坂東三津寛郎氏(大河寛十郎)によって継承され、現在に続きます。

公式サイト 日本舞踊・新舞踊 大河流
名称 音羽流(おとわりゅう)
創流 1937年(昭和12年)
特徴 六代目尾上菊五郎の門下に七人組と称される将来を期待された新人たちがいました。その中にはしげる(のちの二代目西川鯉三郎)、琴次郎(のちに初代尾上菊之丞)らとともに、尾上菊蔵がいました。

菊蔵は幼いころから西川喜尾八や花柳壽輔について踊りを学び「地味ではあるがしっかりした芸」と評されていました。菊蔵が俳優を辞めて舞踊で身を立てることを志すにあたって、菊五郎は尾上家の屋号「音羽屋」にちなんで「音羽流」の名を許しました。

公式サイト
名称 尾上流(おのえりゅう)
創流 1948年(昭和23年)
特徴 六代目尾上菊五郎が創流し、弟子の琴次郎(のちに初代尾上菊之丞)に継がせました。それ以来、家元は尾上菊之丞の名を継承しています。現在は四代目尾上菊之丞が家元となり「上品な舞踊、格調の高い舞踊芸術」を掲げて活動しています。

琴次郎(初代菊之丞)は、六代目菊五郎のもとで役者修行をしていたのを、途中から舞踊に専念し、一時は藤間勘十郎門下で学んでいました。菊五郎は尾上流創流に当たり、琴次郎を藤間流から呼び戻しています。その創流の経緯が琴次郎を家元とする披露公演の挨拶の中で語られています。

「私たちは役者で、役者と舞踊家は違う。(中略)三代目のお祖父さん(三代目菊五郎)が、尾上流を作ろうとしていたのを聞いていたので、今度私は、その遺志をついで、尾上流の舞踊の方面をこれ(琴次郎)に預からせて、はっきり役者と振付の別、分業ということを確立させてやろうと思う。子供の時から育てた琴次郎を、永代の藤間に懇望して返してもらったので、これに尾上流二代目の家元を授けることにした」

六代目尾上菊五郎門下からは、
・尾上流の初代尾上菊之丞(琴次郎)
・名古屋西川流の二代目西川鯉三郎(しげる)
・音羽流の音羽菊蔵(菊蔵)
の三家元が誕生したことになります。

公式サイト 日本舞踊 尾上流

か行の流派

さ行の流派

た行の流派

な行の流派

は行の流派

ま行の流派

や行の流派

ら行の流派

わ行の流派

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