日本舞踊・藤間流について解説します【五大流派】

日本舞踊の五大流派の一つに数えられ、300年以上の歴史を持つ「藤間(ふじま)流」

日本舞踊に興味を持った人なら、一度は名前を聞いたことがあると思います。

この記事では藤間流の特徴や有名な演目、さらに藤間流の有名人や歴史について解説します

藤間流は日本舞踊の五大流派の一つで、300年以上の歴史を持っています。

現在の藤間流宗家・八代目・藤間勘十郎はテレビ出演も多く、日本舞踊に親しみがなかった人でも藤間流の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。

この記事では、藤間流の特徴や代表的な演目、歴史や有名人を解説します。

この記事でわかること

✓藤間流は舞台映えする、大きく分かりすい振付が特徴

✓藤間流の歴史や代表的な演目、有名人

藤間流には非常に多くの系統があります。また、300年以上の歴史を有しており、全てを完全に知ることは簡単ではありません。

そのため、この記事では特に重要なポイントを解説していきます。

1.藤間流の特徴

藤間流には大きく二つの特徴があります。

それは「劇場映えする大きな振付であること」「宗家と家元の二つの系統に大別できる」ということです。

以下の項目でそれぞれについて見ていきましょう。

1-1.劇場映えする大きな振付

藤間流は祖の初代・藤間勘兵衛以来、歌舞伎の振付を多く手がけてきた流派です。

そのため、手数が少なく劇場映えする大きな振付」を特徴として発展してきました。

このことは同じ五大流派の一つである花柳流が手数が多く、振りの間が細かいことを特徴とするのと好対照を成していると言えるでしょう。

また、感情表現や内から発露する表現を重要視しているのも藤間流の特徴です。

1-2.大きく「宗家」と「家元」の二つの系統がある

藤間流の特徴としては宗家藤間流(勘十郎派)(そうけふじまりゅう・かんじゅうろうは)藤間流家元(勘右衛門派)(ふじまりゅういえもと・かんえもんは)の二つに大別できることも挙げられます。

先述したように藤間流は初代・藤間勘兵衛によって確立されましたが、勘兵衛の名は明治時代に断絶してしまいました。

宗家藤間流・勘十郎派とは

三代目・藤間勘兵衛の養子である藤間大助(だいすけ)が1831年に初代・勘十郎を名乗ったことを始まりとし、現在は三世・藤間勘祖(かんそ)と八代目・藤間勘十郎の母子を中心に歌舞伎の振付を数多く手がけています。

なお、藤間勘兵衛の名跡は勘十郎派に預けられています。

藤間流家元・勘右衛門派とは

一方の勘右衛門派は勘十郎派より遅い1845年に、四代目・藤間勘兵衛の門弟であった初代・藤間勘右衛門によって創流されました。

三代目・間勘右衛門からは代々歌舞伎役者が家元を兼ねており、現在は四代目・尾上松緑(おのえしょうろく)が六代目・藤間勘右衛門として家元を務めています。

2.藤間流発祥の代表的な演目

藤間流は長い歴史の中で多くの演目を作り出してきました。

ここでは藤間流発祥の演目の中でも評価が高く、代表的と言われる物を3つご紹介します。

2-1.長唄『藤娘』

長唄「藤娘」は初代・藤間勘十郎によって振付がなされ、1826年に江戸の中村座で初演されました。大津絵から題をとり、初演時は絵から飛び出た娘が踊るという五変化舞踊の一種でした。

昭和に入り六代目・尾上菊五郎(踊りの師匠は五代目・藤間勘兵衛)が娘姿で踊る藤の精という趣向に一新し、今日一般的となる型を確立しています。

その華やかさから「藤娘」は現在も人気の高い演目で、日本舞踊のお稽古でも広く親しまれています。

2-2.常盤津「お夏狂乱」

姫路城下が舞台。いまも地元では毎年、お夏と清十郎を偲ぶ祭りが行われている

常盤津「お夏狂乱」の題材は井原西鶴の「好色五人女」で、恋人・清十郎と死別し狂気となったお夏が彷徨う様を哀切に、豊かな詩情をもって描いています。

坪内逍遥の作詞で、振付は二代目・藤間勘右衛門が振付した演目です。

「お夏狂乱」では、日本舞踊の近代化を目指す坪内逍遥の理論が徹底的に実践されれており、近代における日本舞踊の傑作として挙げられることも多い演目です。

2-3.長唄「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」

九代目市川團十郎の鏡獅子、市川実子の深見、市川富貴子の撫子(明治26年・豊原国周)

長唄「春興鏡獅子」は二代目・藤間勘右衛門と九代目・市川團十郎が振付を手がけ、後に九代目・團十郎が制定した「新歌舞伎十八番」にも選ばれています。

内容は江戸城大奥のお鏡曵きの余興で女小姓・弥生が手獅子を持って踊るうちに獅子の精が乗移り、踊り狂うというものです。

前半の女小姓と後半の獅子を一人で踊り分けるため、かなりの技量と体力を必要とする難曲ですが、クライマックスの「毛振り」は圧巻です。

九代目・團十郎は生涯一度しか「春興鏡獅子」を踊りませんでしたが、今日までに六代目・尾上菊五郎をはじめ、多くの歌舞伎役者が踊っています。

3.藤間流の歴史

藤間流には江戸時代から今日まで300年近い歴史があります。

ここからは、時代を四つに分けて藤間流の大まかな歴史を解説していきます。

3-1.江戸時代

1704年は元禄文化の時代。歌舞伎図屏風(菱川師宣)

藤間流は初代・藤間勘兵衛によって江戸時代の1704年頃に確立されました。

初代・藤間勘兵衛は武蔵国 入間郡 藤間村(むさしこく・いるまぐん・ふじまむら。現在の埼玉県川越市)に生まれ、家は狂言師または浄瑠璃師だったと言われています。

初代・勘兵衛は中村傳次郎(でんじろう)に師事し舞踊を学んだ後に劇場の振付師となり、故郷の地名をとって「藤間」と名乗りました。

勘兵衛の系統は三代目までは男性が継承していましたが、四代目以降は女性が継ぐこととなり舞台の振付から遠ざかってしまいます。そして明治15年には断絶してしまいました。

「勘十郎派」の起こり

初代・藤間勘十郎は大坂の生まれで三代目・勘兵衛の養子となり、16歳で初めて振付を任せられるなど将来を嘱望されていました。

しかし、養母(四代目勘兵衛)との折り合いがどうも悪かったようで、一度大坂へ出て修行をして回り、一時は藤間の姓を捨て「岩井」を名乗ります。

三代目・勘兵衛の死後に藤間一門と和解し再び藤間を称するようになりますが、養母を憚(はばか)り、勘兵衛ではなく「勘十郎」を名乗り別家を興したのでした。

初代・藤間勘十郎は振付師としての生涯30年余りで百曲を優に超える振付をしたと言われています。

勘十郎の名もその後五代目まで女性が継承し、舞台の振付から町の踊りの師匠へ活躍の場を移してゆきます。

「勘右衛門派」の起こり

藤間流家元・勘右衛門派の祖である初代・藤間勘右衛門は、長唄の名手・富士田勘右衞門の子として生まれ6歳で藤間流に入門しました。

一時は七代目・市川團十郎の門弟となりますが、その後舞踊に専念するようになりますが若くしてこの世を去ってしまいました。

初代勘右衛門は夭折してしまいますが、その長男で「浜町の師匠」「大藤間」と呼ばれた二代目・藤間勘右衛門が藤間流に黄金期をもたらすことになるのです。

3-2.戦前

明治の日本橋

江戸時代が終わりをつげ、新たに明治の世になると藤間流は大きく躍進することになります。

名師匠「五代目・勘十郎」の活躍

勘十郎派では、名師匠の誉れ高い五代目・藤間勘十郎が六代目・尾上菊五郎を幼少期から厳しく稽古をつけました。菊五郎が成人しても振付を多く手掛けたことから、いかに菊五郎が五代目・勘十郎を信頼し、慕っていたかが分かります。

五代目・勘十郎は六代目・尾上菊五郎の他にも多くの歌舞伎役者の振付を手がけており、このことは日本舞踊界における藤間流の地位向上に繋がりました。

傑物「二代目・勘右衛門」が時代を築く

勘右衛門派では「浜町の師匠」「大藤間」のあだ名で呼ばれる傑物、二代目・藤間勘右衛門が登場します。

明治初期は花柳流が隆盛しており「踊りは花柳」と謳われるほどで、藤間流は花柳流の後塵を拝していました。

しかし、初代・花柳壽輔が表現を巡って九代目市川團十郎と対立するようになると、二代目・勘右衛門は團十郎から後釜に迎え入れられます。

新しい歌舞伎を確立しようとする團十郎と新進気鋭の勘右衛門のコンビは一時代を築き、藤間流を花柳流に匹敵する流派へと押し上げたのでした。

「新舞踊運動」の担い手たちを輩出

また、明治から昭和にかけて舞踊を改良しようとする「新舞踊運動」が盛り上がりを見せており、藤間流からは後の藤間静枝(後の藤蔭静樹)や藤間喜与恵、藤間勘素娥(かんそが)などの多くの人材が「新舞踊運動」の担い手として活躍しました。

3-3.戦後

東京オリンピック。日本の戦後復興と成長を印象付けた(Bundesarchiv, Bild 183-C1012-0001-026 / Kohls, Ulrich / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de)

太平洋戦争後は藤間流のみならず日本舞踊全体が危機の時代でした。

アメリカの文化が大量に流れ込んだことと、高度成長に伴い娯楽や趣味が多様化し、相対的に日本舞踊の地位が低下してしまったからです。

このような中で、藤間流は歌舞伎の振付に基礎を置きつつも、七代目・藤間勘十郎(現三代目・藤間勘祖)を中心としてテレビや新派、商業演劇の振付にも進出し活路を見出します。

また、勘右衛門派では歌舞伎役者として人間国宝になり、舞踊の名手としても知られる四代目・藤間勘右衛門(二代目・尾上松緑)が活躍し、着実に活動を続けました。

また、1963年には一般に広く日本舞踊を普及することを目的とした藤間流東扇会が発足し、現在まで活動を続けています。

3-4.現在

現在、藤間流宗家・八代目藤間勘十郎は、母の七代目・勘十郎以上に貪欲に新しいことへ挑戦しています。

歌舞伎の振付を数多く手がける傍ら、アニメ・マンガといったサブカルチャーや西洋のオペラなどと恐れることなくコラボレーションし、日本舞踊の可能性を追求しているのです。

また、素踊りを重要視しており革新と伝統を高いレベルで達成しようと意欲的に取り組んでいます。

八代目・勘十郎は2020年に公式Youtubeチャンネルを開設し、積極的に情報発信しています。

また、勘右衛門派の家元・六代目・藤間勘右衛門(四代目・尾上松緑(しょうろく))も歌舞伎役者としての活動する一方で、舞踊家としても精力的に活動中です。

4.藤間流の有名人

日本舞踊屈指の名門である藤間流には多くの有名人がその名を残しています。

ここでは藤間流に属して活躍した有名人を5人ピックアップしてご紹介します。

4-1.八代目藤間勘十郎

八代目・藤間勘十郎は七代目・藤間勘十郎(三代目藤間勘祖)と観世流能楽師の五十六代目・梅若六郎の間に生まれ、現在の藤間流勘十郎派の宗家を務めています。

幼いころは子役俳優としても活躍し、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では主人公・伊達政宗の幼少期を演じていました。

若手から人間国宝まで幅広く歌舞伎役者の振付を担当しており、歌舞伎界と日本舞踊界の双方において無くてはならない存在として活躍中です。

さらに、シンプルな素踊りを重視する一方でボーカロイド「初音ミク」とコラボレーションしたり、2018年の「通し狂言 源氏物語」では歌舞伎と能楽、オペラを織り交ぜた演出を試みるなど、伝統に囚われず新たな日本舞踊の創造に向けて挑戦を続けています。

4-2.藤間紫(ふじまむらさき)

藤間紫は日本医科大学創設者で、六代目・尾上菊五郎の主治医でもあった河野勝斎の長女として1923年に生まれました。12歳の時に六代目・藤間勘十郎の踊りを見たことがきっかけで、これに師事し、1941年に名取を許され、その後六代目・勘十郎と結婚します。六代目は紫の24歳年上でした。

戦後は女優として舞台、映画、テレビに出演し活躍。女優として得た収入のほとんどを戦争で打撃を被った藤間流の復興に費したと言います。

六代目・勘十郎とは俳優の藤間文彦と七代目・藤間勘十郎の一男一女をもうけましたが、1960年頃から16歳年下の三代目・市川猿之助と生活を共にしており、1985年に六代目・勘十郎と離婚。この時訴訟にまで発展してしまい、1987年に紫派藤間流を旗揚げして宗家藤間流から独立します。

三代目・市川猿之助を公私ともに支え続け「スーパー歌舞伎」のプロデューサーを務め、三代目・猿之助がパーキンソン病で倒れると代わりに一門の指導にも力を尽くしました。

なお、八代目・藤間勘十郎は藤間紫の孫にあたります。

4-3.藤間勘素娥(ふじまかんそが)

藤間勘素娥(かんそが)は1910年に「だるま蔵相」の愛称で知られる高橋是清の次男・是福の三女として生まれました。

父の是福は大変な舞踊好きで、勘素娥を五代目・藤間勘十郎に弟子入りさせました。華族の家に生まれた勘素娥は麻布の豪邸から下町の稽古場まで牛車で通っていたといいます。

当時は日本舞踊の近代化を目指す「新舞踊運動」が盛んで、これに感化された勘素娥は自身の舞踊会「茂登女会(もとめかい)」を主催し新たな舞踊の担い手として精力的に活動を続けました。

特に「雪折竹(ゆきおれだけ)」という演目は大和楽(昭和初期に成立した新邦楽)を取り入れた初の演目であり、今日の日本舞踊に大きな影響を与えています。

4-4.七代目・松本幸四郎

七代目・松本幸四郎は元々、三重県の土建屋の家に生まれました。

一家が上京し饅頭を売っていたところ、店の常連となっていた三代目・藤間勘右衛門に見込まれ、わずか4歳で三代目・勘右衛門の養子となります。

歌舞伎役者として頭角をあらわし「勧進帳」の武蔵坊弁慶役が最大の当たり役とされる一方、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」や「オセロー」にも出演しており、開明的な一面も持ち合わせていました。

舞踊家としても優れた才能を持っており、藤間流家元・四代目・藤間勘右衛門として活動する傍ら、従来の藤間流の型に囚われない、自身が発案した舞踊を後世に伝えるために「松本流」を立ち上げ、次男の松本白鸚(まつもと はくおう)を家元としました。

なお、七代目・松本幸四郎のひ孫である女優の松たか子も松本流の名取として「初代・松本幸華(まつもとこうか)」を名乗っています。

4-5.四代目尾上松緑(おのえしょうろく)

四代目・尾上松緑は1975年に初代・尾上辰之助の長男として生まれ、1989年に藤間流家元・藤間勘右衛門を襲名しました。

2000年に歌舞伎座で上演された「源氏物語」の頭中将役が大人気となったことがきっかけで、十一代目・市川海老蔵や五代目・尾上菊之助らと共に歌舞伎ブームを巻きおこしています。

歌舞伎役者としては豪快な荒事や時代物の大役、江戸っ子らしい世話物役を得意とする一方、舞踊家としては品格と基本を大切にする姿勢は高く評価されています。

また、日本舞踊協会の理事も務めており、流派を越えて日本舞踊の発展の為に大きく貢献しています。

まとめ

藤間流の特徴や歴史、代表的な演目、有名人を紹介しました。

踊りとしては大きくわかりやすい振りが特徴、300年以上の歴史の中では、「藤娘」「お夏狂乱」「春興鏡獅子」など多くの名作が生まれました。多くの有名人が活躍し、江戸から戦後まで藤間流の日本舞踊界、歌舞伎界での存在感は非常に大きなものです。

藤間流には宗家藤間流、藤間流家元の大きく二派がありますが、ともに現代に合わせた新しいことに挑戦し続け、活躍しています。

藤間流は、これからも業界をリードし続ける存在になることでしょう!

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参考文献

郡司正勝・編 「日本舞踊辞典」 東京堂出版 1977
西形節子・著「近代日本舞踊史」 演劇出版社 2006
藤田洋・著「日本舞踊ハンドブック改訂版」 三省堂 2010

この記事を書いた人:石川りんたろう

大学で演劇学を専攻し歌舞伎について研究する傍ら、社交ダンス部に所属していた。大学卒業後、会社員時代を経て現在はフリーランスのライターとして活動中。ダンス記事の制作を通して日本舞踊に興味を持ち、調べていく中でその奥深さに魅了される。日本舞踊の世界に触れて間もないが日々勉強中。好きな演目は「三社祭」。

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