江戸時代の鰹売りはどんな姿?鰹は鎌倉が最高だった?
魚河岸があった日本橋(安藤広重『日本橋 朝之景』東海道五十三次)
江戸の魚売りの姿
江戸の魚売りは楕円形が円形の「はん台」という木桶の中に干し魚や鮮魚を入れ、天秤で担ぎ、売り手は向こう鉢巻、片肌あるいはもろ肌ぬぎで威勢良く売り歩きました。
日本舞踊で魚売りといえば常磐津「かつを売り」(『松魚売り』と表記する場合も)。この絵は江戸っ子が袷(あわせ)の着物を質に入れて初鰹を買うシーン。
足元に質屋の通帳が見えますね。四月の初鰹はご祝儀相場(新年の始まりや初物が出た時に期待を込めて相場全体が値上がりすること)もあって高値になりました。
鰹は鎌倉が最高だった?
鰹は鎌倉が最上級とされ、魚屋は、「鎌倉のつりいを(釣り魚。『いを』は魚のこと)でござりやす、みなせへ(見なせえ)、いをのたち(質)がちがひやす」とタンカを切ったと言います。
日本橋「新場の夜鰹」
鎌倉海岸で取れた鰹は「押し送り舟」という二艇櫓の舟で三浦三崎の沿岸沿いに漕ぎ、日本橋新場の魚問屋へ納められました。問屋はそれを「新場の夜鰹」と言って、深夜でも燈をたいて販売し、魚河岸の名物となっていました。
鰹をさばく魚売り。
参考記事
常磐津「かつを売り(かつおうり)」の歌詞と解説 – 俺の日本舞踊
参考文献(一部引用)
江戸行商百姿(花咲一男著)