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日本舞踊の資格制度批判を試みる

日本舞踊の資格制度批判を試みる

日本舞踊は「名取(なとり。名執とも表記。以下、名取で統一)」「師範」からなる二段階の資格制度を設けていることがほとんどである。

二百余と言われる日本舞踊の流派のほとんどでそうなのだから不思議と言えば不思議である。もちろん例外もあり、日本舞踊界で最大流派と称される花柳流は「普通部」「専門部(さらに等級が分かれる)」であったり、楳茂都流は「許扇の制度」とし、三階級(かつては八階級)の資格制度となっている。ほかにも名古屋を拠点とする西川流も独自のグレード試験制度を持つ。

 

とはいえ、ほとんどの流派は「名取」「師範」からなる二段階の資格制度である。この資格制度の合理性を二つの観点から批判的に検証してみたい。一つが「評価基準の観点」もう一つは「経営の観点」だ。

 

まず簡単にほとんどの流派が採用しているこの二段階資格制度について説明しておきたい。

 

流派に入門した弟子は一定以上の経験を経て技術を身に着けるとまず名取試験の受検資格を得る。受検資格はおおよそ以下の通り。

満〇歳以上であること

〇年以上の経験があること

他流の名を持っていないこと

受験料〇円を納めること

名取試験では、流派から提示された課題曲一曲または複数曲を家元や幹部の舞踊家の前で披露し、その日のうちに合否が決定する。

 

師範試験も同じく課題曲を演舞するのであるが、名取試験より高度な技術や解釈が必要な課題となる。日本舞踊や演目の歴史、知識を問う筆記試験を課す流派もある。

 

試験に合格すると、試験料とは別に「名取料」または「師範料」を流派に納める。併せて師匠にも礼金を納める場合がある。これは流派や、場合によっては師匠によって異なり、合計で数十万円から百万円を超えることもある。

 

名取になると流派の名前を名乗り、その名前で芸能活動をすることができるが、他流の名前と併存はできない。他流の名前を名乗る場合は現流派の名前は返上する。

 

詳しくはこちらの記事も参照されたい。

日本舞踊の名取・師範ってなに?仕事や、なるための条件・費用などを解説しますhttps://oreno-nihonbuyou.com/natori-shihan/

 

「資格」とは、あることを行うために必要な、またはふさわしい地位や立場のことである。

 

日本舞踊においては、名取は「流派の名を名乗る」「それを用いて芸能活動ができる」、師範は「弟子を取ることができる」と一般的に定義できる(もちろん流派によって、流派内の特定の役職につく権利が与えられる、特定の行事や公演に参加できるなどさまざまなバリエーションがある)。

 

そして、資格を得るためには試験があり、試験には合否の「評価基準」が存在する。その評価基準は当然、試験を受ける人間が資格を得ることで可能になる、行為や立場に必要な能力や資質に関するものでなければならない。

 

では現行の資格制度は本当にそうなっているのだろうか?

 

私がこれまで取材してきた限り、適切な運用がなされているとは言えない流派がしばしば存在するようだ。

 

まずは「名ばかり名取」の問題。

 

言葉を選ばずに言うと名取料、それに伴う礼金ほしさに、流派や師匠が弟子に「名取になりなさい」と勧め、たとえ未熟であっても名取を与えてしまうということだ。この場合、試験は形式的なものに過ぎず、とんでもない間違いを犯さなければ合格する仕組みになっている。この問題がなくならないのは資格を与える側だけでなく弟子側の「名取になりたい」という強いニーズに支えられていることにある。いわば金銭で名取という地位と立場を買うわけだ。この場合、以下の名取試験の受検資格を持っていることと、名取料を支払うことが重要なのであって、「評価基準」はないか、著しく低く設定される。

満〇歳以上であること

〇年以上の経験があること

他流の名を持っていないこと

受験料〇円を納めること

 

この問題は少なくとも戦前から指摘されている「伝統的な」問題だ。

1943年(昭和18年)刊行の「舞踊の歩み」(小寺融吉著)には以下の記述がある。

名取の濫造は実際問題として、今日の如く甚だしき時代はなかつたやうだ。従つてこんにちは舞踊の家元の或る者は、昔は想像もできなかつたほどの多額の名取料金の収入がある。

濫造とは「質を考えずにむやみやたらにつくること」の意である。

 

念のため付け加えておくと、すべての流派、すべての稽古場でこのような運用がなされているわけではもちろんない。多くの場合、弟子は懸命に稽古し、技芸の上達に邁進し、師匠はそれを後押し、その一定の到達点として名取があるのだ。

 

「師範」にも問題がある。名取試験のハードルが「柔軟」であるのと違い、師範試験のハードルは比較的高く厳格に設定されているようだ。活動が個人で完結する名取と違い、弟子を取るためには必要な舞踊の技術も高くないとさすがにまずいということだろう。

しかしここにも問題はある。先の問題と表現を合わせるなら「名ばかり師範」である。師範資格の特権は「弟子をとれること」である。とすると師範資格は「指導者としてふさわしい」ことを証明するものでなければならない。すなわち試験においても「指導者に必要な能力・資質」を証明することが必要なはずだ。

にもかかわらず私の知る限り師範試験は舞踊の技術もしくは併せて知識を問うもので「指導者に必要な能力・資質」を問う試験を行っている流派はない。日本では学校で教鞭をとるには大学で教職課程を履修し指導について学び、実地で教育実習を受けることが必要である。もちろん教員として世に出る段階で指導者として一人前かというとそうではない。しかし一通りの知識と訓練を受けているのである。これに照らし合わせると、新米日本舞踊師範はそこに至る過程で指導に関する知識も訓練も必要とされない点で「名ばかり師範」と形容するしかないのではないか。

 

名取、師範に共通する問題は「評価基準」のあいまいさ、あるいは欠如である。

 

評価基準が厳格であれば「名ばかり名取」は生まれようがない。評価基準に舞踊の技術・知識と同様、「指導者としての能力・資質」が考慮されていればあれば「名ばかり師範」は生まれようがない。

 

これに関する反論も頂戴したことがある。「名取なり師範なりの資格を得ることは、スタートラインである。名取になることで自覚が生まれ一層の研鑽を積むようになる。師範になることで弟子を指導するという新たな経験を得て成長できる。だから今の資格制度にも合理性があるのだ」

「柔軟」すぎる名取の評価基準の裏付けにはならない気もするが、一理あるようにも思える。

 

確かに多くの流派では名取や師範向けに「講習会」を開催し、技術や新しい曲目の振り付けなどを学べる仕組みを持っている。新米教員がその後も実務や研修を経て徐々に腕をあげていくのと同じだ。

 

一方で、師範の指導者としての能力・資質については、知る限り、流派として研修の機会は用意されず、すべて個人の自助努力に委ねられているようだ。これは資格の「あることを行うために必要な、またはふさわしい地位や立場」という定義からすればやはり片手落ち感が否めない。

 

知る限り唯一、名古屋を拠点とする西川流がこれを行っており、新師範に数年に渡り師範としての心がまえや指導のフレームワーク、教室業の運営ノウハウなどを研修している。

 

日本舞踊家のほとんどはステージプロではなくレッスンプロとして活動していることからも、指導技術は「商売道具」そのものとも言えるわけで、欠くことのできない能力である。

 

評価基準は、評価者側から見れば「どう成長してほしいか」というメッセージであるし、評価される側から見れば「何を目指すのか」の指針である。評価基準があいまいであれば、日々の稽古で何を目指し、どう成長するのかを見定めることは難しい。ただ漫然と目の前の稽古をこなすだけともなりかねない。目標があるからこそ、現状との差異が「課題」となるのである。課題を明確にするためにも「評価基準」の再考が求められているのではないだろうか。

 

経営の観点からも現行の資格制度は課題を持っている。

日本舞踊の「安すぎる月謝」に師匠はどう向き合えばいいのか(https://oreno-nihonbuyou.com/cost/)

この記事で、月謝が安い代わりに発表会で大きく利益を出してつじつまを合わせる「売上先送り」の収益構造の問題を書いた。これは資格制度についても同じことが言えるのではないだろうか。つまり、月謝が安い代わりに名取・師範の資格取得料で大きく利益を出すという側面があるのではないか。これもやはり売上の先送りである。

書道や茶道、水泳などのほかの稽古ごとに目を転じればよくわかる。

茶道表千家では9、裏千家では16の等級がある。

書道では一般的に1級~10級まで、さらに段位がある。

競泳(日本水泳連盟)では年齢ごと、種目ごとにタイムによってそれぞれAA~Bの15の等級がある。

団体や組織によって等級の仕組みはことなるが、評価基準がより細分化され、試験の数も頻度も多い(個人的には子供のころ書道を習っており、毎月のように昇級試験に課題を提出していた記憶がある)。

 

試験が多いということは、それだけ受験料を受領する機会が多く、売上は分散するが、いまの二段階より、前もって売上が上がるので経営として健全化する。

 

日本舞踊の多くの流派で採用されている二段階の資格制度「名取」「師範」には、評価基準のあいまいさと経営的な課題がある。名取は未熟な者にも授与される例があり、師範は指導力の評価が行われないなどの問題を抱えている。また、二つのみの資格取得料に依存する収益構造は経営の健全性を損なっている。今後はさらに段階的かつ継続的で明確な評価制度の導入が求められているのではないだろうか。