日本版DBSが習い事業界に与える影響と制度枠外の小規模事業者に求められること
日本版DBSが習い事業界に与える影響と制度枠外の小規模事業者に求められることを考えます。
日本版DBSとは、簡単に言うと「性犯罪者をこどもに近づけないための仕組み」です。性犯罪を防止するための安全対策を講じる義務と合わせて、こどもに接する講師やスタッフを雇い入れる際などに、過去の性犯罪歴の照会を事業者に義務付けます。雇用契約だけでなく、アルバイトや業務委託、ボランティアスタッフも広く対象となります。
この制度の背景には、教育・保育などの現場でこどもへの性暴力事件が後を絶たない深刻な現状があります(子どもが主な被害者となった性犯罪の認知件数は5,000件以上、児童ポルノ犯罪の検挙件数は2,700件以上、被害児童数は1,200人を超えます(いずれも令和6年)。
これを受け、学校の教員を対象とした「教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律」(令和五年七月十三日 施行)が成立しました。その後、政府内で学習塾やスポーツクラブなどでも働く際に性犯罪歴等の証明を求める仕組みの導入検討が進められ、2024年6月に「こども性暴力防止法(学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律)」が成立しました。この法律は、2026年12月25日に施行される予定です。
習い事教室は対象か
学校や認可保育所、児童福祉施設などは、法律により性暴力防止の取組が義務付けられる「義務対象事業者」となります。
一方、学習塾、スポーツクラブ、ダンススクールなどの民間習い事教室(民間教育保育等事業者)は、国(こども家庭庁)の「認定」を受けることで、この制度を利用できる「認定対象事業者」になります。認定の取得は任意です。 習い事教室が認定を受けるためには以下の要件を満たす必要があります。
要件① 児童等に対して技芸又は知識の教授を行う事業であること
要件② 当該技芸又は知識を習得するための標準的な修業期間が、6月以上であること
要件③ 児童等に対して対面による指導を行うものであること
要件④ 当該事業を営む者が当該事業を行うために用意する場所(事業所等)において指導を行うものであること
要件⑤ 当該技芸又は知識の教授を行う者の人数が、政令で定める人数以上であること
要件⑤の「政令で定める人数以上」とは「3人以上」です。
小規模事業者は対象にならず
上記の要件にある通り、指導者が2人以下の小規模事業者は、現在のところ認定制度の対象になりません。塾や英会話教室のフランチャイジーであっても、その教室に属する指導者が2名以下なら制度の対象外となります。
しかし、小規模事業者こそ、こどもへの性暴力の潜在的要因と言われる「支配性」「継続性」「閉鎖性」のリスクが高い環境になりがちです。
講師が「指導する・教える」という優越的立場(支配性)にあり、こどもと日常的・定期的に顔を合わせる関係(継続性)を持ち、しかも小規模な教室や個人レッスンでは、他の講師や保護者の目が届かない密室状態(閉鎖性)が生じやすいためです。
小規模事業者には何が必要か
講師が2人以下の小規模事業者は、国に性犯罪歴の照会(犯罪事実確認)を請求できる認定事業者になることはできません。
しかし、性犯罪歴の有無にかかわらず、こどもの安全を守るための安全対策(安全確保措置)を実施することは非常に重要であり、かつ有効です。 性犯罪歴の照会はあくまで過去に罪を犯した者を遠ざける仕組みであり、性犯罪の約9割を占めるとされる「初犯」を防ぐことはできないといわれています。初犯を防ぐためには、日頃の現場の安全対策が不可欠で、これは当然どの事業者でも取り組むことができる、取り組むべき課題です。具体的には以下のような取組が求められます。
研修動画の視聴・受講:こども家庭庁が制作・公開する研修動画や教材等を活用し、性暴力防止に関する知識を身につける。
内部規定の作成と誓約書:「児童対象性暴力等対処規程」などのルールを作成し、雇い入れ時や契約時に誓約書を取得する。
生徒・保護者との合意形成:指導方針やルールについて事前に説明し理解を得る。これは、現場の講師が過度に萎縮することを防ぎ、冤罪リスクを避ける意味でも重要です。
問い合わせ窓口の設置:こどもや保護者が容易に相談できる窓口を設ける。内部の窓口だけでは隠蔽リスクもあるため、外部の公的な相談窓口もあわせて周知することが望ましいです。
参考:SNS相談「Cure time(キュアタイム)」内閣府、「こどもの人権110番」法務省、子供(こども)のSOSの相談窓口 文部科学省
密室を避ける工夫と監視カメラの設置:物理的な死角をなくす間取りの工夫、ドアを開けたままにする、防犯カメラやドライブレコーダーを設置・活用し、密室状態を回避する。
定期的な面談・アンケートの実施:こどもの発達段階に応じた面談やアンケートを定期的に行い、被害や違和感のサインを早期に把握する。
業界別ガイドライン作成の必要性
安全対策の中核となるのが「不適切な行為」の定義と防止です。「不適切な行為」とは、その行為自体はただちに性犯罪・性暴力には該当しなくても、業務上必ずしも必要な行為とは言えず、継続・エスカレートすることによって性暴力につながりかねない行為のことです。 例えば、以下のような行為が挙げられます。
・こどもとSNS等で私的な連絡先を交換し、やり取りを行う
・休日や放課後に、こどもと1対1で私的に会う
・不必要にこどもを1人で車に乗せて送迎を行う
・私物のスマートフォンで、業務外の目的でこどもの写真や動画を撮影する
しかし、どのような行為が「不適切な行為」に当たるかは、スポーツ、音楽、学習塾などのジャンルや、スタンダードな指導の仕方によって大きく異なります。そのため、汎用的な基準を参考にしつつも、業界や事業者ごとに実態に応じた独自のガイドラインを検討し、ルールを明確化する必要があります。
*「こども性暴力防止法施行ガイドライン」にも「対象となる児童等の発達段階や特性、現場の状況等によって、不適切であるか否かが変わり得るものであり、これらの行為に該当することで一律に不適切であると判断されるものではないことに留意が必要である」との記載がある。
ガイドラインの生徒・保護者・指導者間での共有
作成したガイドラインや「不適切な行為」のルールは、指導者内だけでなく、生徒や保護者との間でも共有し、合意形成を図ることが何より重要です。
スポーツや楽器の指導など、どうしても身体接触を伴う指導が必要な場面は存在します。講師が「まったく生徒に触れられないのか?」と極端に解釈し現場の委縮につながったり、講師は必要最低限の接触のつもりであっても生徒が「先生に不必要に触られた」と誤解が生じ、指導への支障やトラブルに発展する可能性があります。 そのため、「ここを触って指導するよ」と事前に伝える、あるいは書面等で身体接触の有無や範囲について合意しておくなど、透明性のあるコミュニケーションが求められます。
※例えば、芸能従事者協会の「触ってほしくないチェックリスト」のような具体的な指標を紹介・活用し、指導者と生徒間で認識をすり合わせることもありえる
小規模事業者に求められること
制度の対象外となる小規模事業者であっても、「こどもの性犯罪防止」という社会全体の責任を免れるわけではありません。むしろ、目の前のこどもたちを直接守る立場として、密室化の回避、ルールの明文化、保護者との風通しの良いコミュニケーションなど、自主的な安全対策に真摯に取り組む姿勢が強く求められます。
業界に求められること
習い事業界全体としても、個々の事業者の努力に任せるだけでなく、業界団体などが主導して多様なステークホルダーを交えた実用的なガイドラインを作成することが必要ではないでしょうか。そして、社会情勢や現場の課題に合わせて定期的な見直しや研修を行い、業界全体の安全基準を底上げしていくことが必要です。
すべてはこどもの安全のために
日本版DBS(こども性暴力防止法)の導入は大きな一歩ですが、それだけで性暴力が根絶されるわけではありません。法律の対象事業者であるかどうかにかかわらず、すべての教育・保育事業者が「こどもの心と身体を守る」という目的を共有し、日々の現場で具体的な安全対策を実践していくこと。すべては、こどもたちが安心して学び、育つことができる安全な環境を社会全体で守っていくために他なりません。