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ソーシャルディスタンスでも心は寄り添って。未来へ種をまき続ける~藤間掬穂(きくほ)・掬美奈(きくみな)~東京都大田区

ソーシャルディスタンスでも心は寄り添って。未来へ種をまき続ける~藤間掬穂(きくほ)・掬美奈(きくみな)~東京都大田区

東京都大田区に日本舞踊教室を構える、藤間掬穂(きくほ)さん、掬美奈(きくみな)さん親子にお話を伺った。

掬穂さんは日本舞踊歴70年、師範歴も57年の経験豊富な先生。

掬美奈さんは2003年に掬穂さんに弟子入りし、その縁で掬穂さんの長男であり三味線奏者の清元美三郎(きよもとよしさぶろう)さんとご結婚。現在、掬穂さんをサポートしてお稽古場を一緒に切り盛りされている。

子供のお弟子さんもたくさんいらっしゃるほか、文化庁と大田区の事業「伝統文化子供教室」にも10年以上に渡って取り組まれている。

お二人の子供たちへのまなざしや、日本舞踊の思い出、コロナ禍での取り組みや公演実現への道のり、これからの展望などを詳しく伺った。

藤間掬穂(きくほ)プロフィール

東京都大田区出身
昭和26年より日本舞踊を始める
昭和39年師範免許取得。現在紫派藤間流幹部
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大田区日本舞踊連盟副会長、日本民俗芸能協会理事、(公社)日本舞踊協会所属、(社)清元協会(清元延志香)所属、NPO法人「日本舞踊を楽しむ掬乃会」代表理事
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日中交流平和文化団派遣により北京・西安・上海で公演
昭和63年より「掬乃会」公演主催
平成2年より「藤間掬穂舞踊会」国立劇場大劇場で主催
文化庁委嘱事業「伝統文化親子教室」実施

藤間掬美奈(きくみな)プロフィール

6歳より日本舞踊を始め「菊づくし」にて初舞台
日本舞踊の他、バレエ、新体操、競技ダンスなどを経験
大学時代に藤間掬穂師と出会い、卒業後に千葉銀行に勤務しながら、本格的に日本舞踊を学び、平成20年に師範を取得
平成27年4月 東京新聞主催「全国舞踊コンクール」邦舞第一部 優勝
その他、文部科学大臣賞、日本舞踊協会賞、みやこ賞、目黒区芸術文化振興財団賞を受賞
NPO法人「日本舞踊を楽しむ掬乃会」理事
読売カルチャースクールなど外部講師を複数務める

母がいたから続けてこれた。掬穂さんの思い出

お稽古場の冠木門(かぶきもん)をくぐると、そこには掬穂さんの人生とほぼ歩みを共にしている樹齢70年の立派な桜の木がある

掬穂さんは大田区生まれ。4歳のとき友達が通っていた近所の日本舞踊のお稽古場に遊びに行ったのがきっかけで踊りに興味を持った。

家に帰って「やってみたい!」と相談すると、日本舞踊のご経験があったお母さまが「私も行こうかな」とおっしゃって、親子でお稽古場に通うことになった。踊りを続けてこられた原点には、このお母さまとお稽古場に通った思い出がある。

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うめざわ

お子様の時のエピソードを教えていただけますか?

藤間掬穂(きくほ)さん

先生は凄く厳しい先生で。でも厳しいけどきれいでステキな先生でね。帯にブローチをつけたりして。おしゃれで憧れだったんですよ。

それに、私は母のおかげで続けてこられたのかもしれないですね。

ステキな先生のご指導の元、お母さまと、お稽古が終わっても「お稽古のあそこがああだった、こうだった」とお話する日々だったのだそうだ。

藤間掬穂(きくほ)さん

いまは道具も、子供用から大人用までいろいろありますでしょう。でも昔は子供用の道具なんてのもないですから、両親が毛槍(けやり)だとか、そういう小道具を作ってくれたりしましてね。
毛槍(けやり)とは・・・槍の先端のさやを、鳥の羽毛でかざった槍。大名行列の先頭などで槍持ちが振るもの。

藤間掬穂(きくほ)さん

そのころは勉強会(踊りの会)をやる場所もいまのようにないですから、検番(けんばん)で会をやったんですよ。

このあたりだと大森と大井に検番がありましてね、私は大井でやりました。全部、地方(じかた)さんでね。テープなんかもない時代ですから。

検番(けんばん)とは・・・芸者さんを料亭へ派遣するための事務所、また芸者さんが踊りや三味線などのお稽古場でもあった。
地方(じかた)さんとは・・・三味線、笛、鼓など踊りの楽器を演奏する人たちのことをいう。

藤間掬穂(きくほ)さん

そのあとは三越劇場やスミダ劇場で踊らせてもらったり、いい思い出ですね。スミダ劇場は、いま浅草の松屋があるところね。あと渋谷の東横ホールだとか。いまは売り場にした方が儲かるから、なくなっちゃいましたけどね。
スミダ劇場とは・・・浅草・松屋デパート6階にかつて存在した劇場。
東横ホールとは・・・渋谷の東急百貨店内にあった劇場。歌舞伎公演などが行われていた。

掬穂さんは17歳で師範を取り、1968年(昭和43年)、21歳の時にご自分の稽古場をスタートされた。以降、50年以上にわたって後進を育て続けている。

第28回掬乃会にて(2020年)

競技ダンスに明け暮れた学生時代。自分の限界と向き合った結果、日本舞踊に戻ってきた

掬美奈さんも6歳から日本舞踊を習い始めたが、14歳で一度中断。大学時代は競技ダンスに打ち込んだ。

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うめざわ

掬美奈さんが大学生のとき、日本舞踊を再スタートされたきっかけはなんですか?

藤間掬美奈(きくみな)さん

学生競技ダンスは大学4年12月の全日本選手権で卒業が決まっております。

小さい頃から踊る事が大好きで社会人になっても踊る事で自分を表現し続けたいと考えていました。

いままで学んできた踊りの中で自分の小さい身体でも最大限表現することが出来て、おばあちゃんになっても踊る事が出来るのは何かと考えて、小さい頃に習っていた日本舞踊にたどり着きました。

掬穂先生と大学4年の時に初めてお会いしたのもご縁が繋がっていたのかなと感じています。

知人から掬美奈さんを紹介された掬穂さん、その第一印象は・・・

藤間掬穂(きくほ)さん

楽屋挨拶に来たんですけど、頭に金粉、銀粉がついていて、競技ダンスなんて知らなかったからびっくりしちゃって(笑)

翌日が掬美奈さんの出場する競技ダンスの全日本大会だったので、そのヘアメイクにびっくり、というのが初対面の出来事だった。しかしその7年後には掬美奈さんが嫁いでくることになるのだから、縁というものは不思議だ。

藤間掬美奈(きくみな)さん

そのときから名取になろうという目標があったから、初任給から少しずつお金も貯めて、仕事もがんばれました。相乗効果ですね。

藤間掬美奈(きくみな)さん

私のように、小さいときに日本舞踊をやっていれば、大人になっても『そういえば昔やってたな』と趣味で戻ってくる人もいます。子どもたちに教えることは、そういう種まきでもあるんです。

お二人ともこういったご自身の経験から、子どもが日本舞踊に触れる機会を作ることを大切にされている。

子供たちに教えるということ

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うめざわ

お子様に教えるときのこだわりや、気を付けていることなどはありますか?

藤間掬穂(きくほ)さん

お稽古の度に必ずお子さんのいい所を見つけてほめる事を大切にしています。やっぱりまずは踊りが好きになるように。やる気になったら、また指導もかわりますけど。

藤間掬美奈(きくみな)さん

先生は、子供たちのいいところを見つけて教えてあげていますよね。

藤間掬穂(きくほ)さん

そうね。子どもが家でお稽古してきた、って言ったら『ああ、やっぱり!上手になったもんね』って言ってあげたりね。
 

子どもだけではなく、親子のコミュニケーションが生まれるような工夫もしている。

親子のコミュニケーションが生まれる工夫

藤間掬穂(きくほ)さん

うちはお稽古を動画に撮るのをOKにしてるんですよ、そうすると家でお稽古の会話ができて親子のコミュニケーションが生まれますよね。

藤間掬美奈(きくみな)さん

あと、親御さんにはお子さんの髪結いを教えて差し上げたりもしているんです。発表会のときにはお母さんも一生懸命にしてくださって。
小道具作りも勧めている。このきれいな箱も百均ショップやお菓子の包装紙などで親御さんが作られたそう。なかなかのクオリティ!

受験準備や進学のタイミングで習い事を辞める子どもたちも多い中、このお稽古場では長く続く子が多いという。その理由には、このような、家族を巻き込んで子どもたちの成長を見守る稽古場の姿勢があるのかもしれない。

コロナ禍で、公演実施決断の背景には・・・

藤間掬穂・清元美三郎親子会より(2021年3月30日)

子供たちへの思いは、昨今の新型コロナウィルス対応にも現れている。

2020年から始まった新型コロナウィルスの影響は、いわずもがな、日本舞踊界にも大きな影響を与えている。中でも度重なる公演の延期や中止は、これをやりがい、目標としている人たちに経済的にも心理的にも大きなショックを与えた。

そんな中、掬穂さんの「日本舞踊を楽しむ掬の会」は、2021年3月30日に国立劇場で公演を行い、出演者、来場者に感染者を出すこともなく無事に公演を終えた。

お稽古場の温習会と、掬穂さん・清元美三郎(よしさぶろう)さんの親子会の二本立て公演で行われた

この公演、会主である掬穂さんは当初、あまり前向きではなく、早々に延期や中止も視野に入れていたという。そんな掬穂さんに掬美奈さんが言った言葉とは・・・

藤間掬穂(きくほ)さん

『コロナ禍だからこそ諦めずに公演を実現する事を目標に準備していきましょう。もしこれが実現出来れば、きっと未来を担う方々にも大きな勇気になると信じています』といわれましてね。
『そうか、それじゃあ頑張らないと!』と思いまして、その言葉がなかったら、止めていたと思うんですよね。
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うめざわ

そう進言するのも、なかなか勇気がいることではないかと思うのですが、どのような気持ちでそう提案されたのですか?

藤間掬美奈(きくみな)さん

(延期や中止が相次ぐ中で)いま、日本舞踊界の中でも芯になっている先生方が会をやってくださることで、若い人たちの勇気になると思ったんです。

また、お稽古場には子どもさんが多くて、これが終わったら受験に入る子もいました。コロナでも受験は待ってくれないので・・・。

藤間掬穂(きくほ)さん

これに出られないと、もう当分出られない、という子もいましたのでね。

緊急事態宣言でお稽古場を閉めているときも、YouTubeで掬穂さんからのメッセージを送ったり、お稽古動画を発信したりと、お弟子さん達とのコミュニケーションを絶やさないようにしていたという。

藤間掬美奈(きくみな)さん

ソーシャルディスタンスで距離があっても、その分、心は寄り添っていかないと、っていうことはすごく気を使っていました。

これからの日本舞踊について

文化庁と大田区の助成による伝統文化子供教室は、もう10年以上にわたり取り組んでいる

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うめざわ

長年、日本舞踊に取り組まれてきたわけですが、これから日本舞踊をする人が増えていくために、なにをしていったらよいと思われますか?

藤間掬美奈(きくみな)さん

10年以上、伝統文化子供教室に取り組んできて、今年初めて3日という速さで定員が埋まったんです。問い合わせ方法にGoogleフォームを使ったり、魅力が伝わるようにチラシに講師の写真を入れたりと工夫をしてきた結果、今年はじめて正解が見えたような気がします。

伝統文化子供教室は手間もかかるので敬遠される先生もいらっしゃるのですが、やれば日本舞踊を体験する子どもたちは必ず増えます。こうやったらうまくいったよ、ということなどもSNSで発信していきたいですね。

藤間掬穂(きくほ)さん

どうやったら日本舞踊をやる人たちが増えるか、いつも考えていますよね。日本舞踊だけじゃなくても、日本舞踊や、書道や、まぜこぜでもいいから、コンクールとかをやって、賞状やなんかが出るとね、もらえるから頑張ろう、というきっかけになるんじゃないでしょうか。

伝統文化子供教室でも、去年は「修了証」を作って出してあげたんです。そういうものがあると嬉しいでしょう。

いまは東京新聞がコンクールをやってますけども。なにかそういう伝統のものを大切にすることができたらいいですね。

掬穂さんは50年以上にわたり多くのお弟子さんを育ててこられた。いまもたくさんのお弟子さんに囲まれている。しかしそれに満足せず、もっとしてあげたい、もっと日本舞踊に出会う人が増えてほしい、掬穂さんと、掬穂さんをサポートする掬美奈さんからは、そんな真摯な気持ちが伝わってきた。

藤間掬穂さんに日本舞踊を習ってみたい方はこちら

藤間流紫派 藤間掬穂日本舞踊教室