端唄「上げ汐(あげしお)」歌詞と解説

端唄「上げ汐(あげしお)」歌詞と解説

日本舞踊でおなじみの端唄「上げ汐(あげしお)」の歌詞と解説です(上汐とも表記)。

stand.fm」にて、音声解説始めました。音声で聞きたい方はこちらをどうぞ。


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端唄「上げ汐」の解説

江戸時代から行われていた両国の「川開き」。月と花火の見物にわくわくしながら納涼船で漕ぎ出します。後半はやや慇懃無礼な口上にのせて、両国橋の東西が見世物や物売り、うろうろ舟や花火でにぎわう様子を描き出します。

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「上げ汐」は潮が満ちること。上げ汐とともにの江戸っ子たちが船で繰り出します。

「エエ西瓜にまくわ瓜はようがすかな  玉子や玉子豆や枝豆」。江戸では物売りが、元手が少なく始められる商売として人気でした。ここでは舟に「スイカ」「まくわ瓜」「ゆで卵」「枝豆」などを載せて売りまわっています。

「東西写し絵の儀は手元を離れ」ここからは「写し絵屋」の口上になります。「写し絵」は関西では「錦影絵」とも呼ばれ、絵に強い光を当てて壁に投影するもので、影絵のようなものです。

「お目まだるき」は、「お目間怠るき」と書き、影絵が見にくいところがあってもご容赦ください、という意味になります。

ちょっと面白いのは、「ご覧にいれまするは江戸三景の内  両国は川開きのていとござい」と言っているところで、「両国の川開き」の影絵を見せているんですね。外では本当に川開きをやっていて、陸の見世物小屋でも写し絵で川開きを見せている、という二重構造になっていて、聞く人に不思議な感覚を与えます。

「玉屋」「鍵屋(『上げ汐』には登場しません)」と言えば江戸で大変繁盛した花火屋です。両国橋の東岸、浅草橋から蔵前にかけては今でも多くの花火問屋が存在します。地元の小学校が行事用の花火を買いに来たり、社会科見学で子供たちが訪れたりするそうですよ。

「両国」の名の由来は、隅田川に架かる「両国橋」から来ています。「明暦の大火(1657年・明暦3年)」では多くの人が逃げ場を失い、隅田川に落ち亡くなりました。江戸幕府はこのことから隅田川に大橋を架けました。この橋は「武蔵国(東京都中央区))と「下総国(東京都墨田区」の二つの国を結ぶことから「両国橋」と呼ばれるようになり、大橋東岸はいつしか「両国」と言われるようになりました。

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一方、「上げ汐」に登場する「花火」は両国橋の誕生から少し時代が進んで、1733年・享保18年にルーツがあります(明暦の大火から約80年後)。当時、大飢饉とコレラの流行により江戸の町には多くの死者が出ました。将軍徳川吉宗は隅田川の水神祭に合わせて死者を弔う慰霊祭を行い、その際に花火を打ち上げたのが始まりとされています。以後、「両国の花火大会」として定着し、明治維新や戦争などで中断はあったものの、現在まで続いています。

端唄「上げ汐」の歌詞

上汐につれて繰り出す数々の

舟は面舵とりかじよ

向こう鉢巻片肌ぬいで 勢いを競う江戸っ子が

月と花火に浮かれつつ 急いで漕ぎ出す川開き

エエ西瓜にまくわ瓜はようがすかな  玉子や玉子豆や枝豆

東西写し絵の儀は手元を離れ

灯り先の芸当にござりますれば

お目まだるき処は幾重にもご容赦の程

こい願いあげ奉ります

従いましてここもとご覧にいれまするは

江戸三景の内  両国は川開きのていとござい

ちょいときなせ エエ押すな押すなじゃまだじゃまだそれ上がった

玉屋とほめてやろうじゃないかいな

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