常磐津「戻橋(もどりばし)」の舞台「一条戻橋」を訪ねました

常磐津「戻橋(もどりばし)」の舞台「一条戻橋」を訪ねました

京都、一条通りにあり、堀川を渡る「戻橋」は、常磐津「戻橋(もどりばし)」の舞台となったところです。今回はこの戻橋に伝わる、数々の伝説や、現在の様子などをお伝えします。戻橋をこれからお稽古する方、戻橋は知っているけど、見たことはなくて実際の今の様子を見てみたい方、日本舞踊に取り上げられた以外のエピソードも知ってみたい方におすすめです。

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戻橋は逸話・伝説てんこ盛り。エピソードの宝庫

戻橋(一条戻橋)には数多くの逸話・伝説が残されています。順番に見ていきますね。

常磐津「戻橋(もどりばし)」(渡辺綱と鬼女伝説)あらすじ

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まずは、日本舞踊で演じられる、常磐津「戻橋」のお話です。

平家物語の時代。摂津源氏の源頼光(よりみつ)の部下で、「頼光四天王」と呼ばれた優秀な側近たちがいました。その中でも筆頭とされた渡辺綱(わたなべのつな)が、夜中に戻橋のたもとを通りかかりました。すると、一人の美しい女がうずくまっています。綱は、こんな夜更けに女が一人でいることをいぶかしみつつも声をかけます。すると、「家へ帰る途中、こんな夜更けになってしまい、恐ろしいので家まで送ってほしい」と言います。綱は月光により、堀川の水面に映った影から、鬼女の正体を見破ります。引き受け、本性を暴かれた女はたちまち鬼に姿を変え、綱の襟をつかんで飛んで行こうとしました。しかし、綱は名刀「髭切丸」によって鬼の右腕を切り落とし逃げることができたということです。

戻橋の名前の由来となった死者蘇生の「清行・浄蔵の伝説」

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漢学者・三善清行

戻橋は、794年の平安京造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として作られました。平安京の建築資材を運ぶ川としても活躍したようです。

名前の由来は、この橋の上で死者があの世から戻ってきた、という伝説によります。延喜18年(918年)12月に漢学者・三善清行(みよしのきよゆき)の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の子・浄蔵(じょうぞう)が棺にすがって祈ると、雷鳴とともに父・清行が生き返ったということです。

応仁の乱・最初の合戦地は戻橋

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応仁の乱

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1478年)までの約11年間にわたって起こった内乱です。

応仁の乱は、東軍の細川勝元の家臣・京極持清軍が、この戻橋をわたって、西軍へ攻め込んだことから始まります。このあたり一帯が、応仁の乱の初戦地となったのです。この戦争を境に、時代は室町時代から戦国時代へと移行していきます。

安倍晴明の式神が戻橋に住んでいた

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安倍晴明と式神

戻橋のすぐ近くには、安倍晴明がまつられる「晴明神社」があります。

かつて、「陰陽師」として有名な安倍晴明の屋敷がここにありました。安倍晴明は、「十二神将」とよばれる式神(陰陽師の使役する神で、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めたとされる)っを従えており、その式神が、この戻橋の下に住んでいたとされています。最初は屋敷の中に住んでいましたが、なんでも、晴明の家族が式神の顔を怖がったため、橋の下に住まわせたのだとか。

キリシタン二十六聖人・耳切の刑の場所

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キリシタン二十六聖人

豊臣秀吉が天下を収めていた時代、キリスト教は日本で禁じられていました。キリスト教により強く結びついた人々が、権力を脅かす存在になることが恐れられたためです。キリスト教を信仰する人はキリシタンと呼ばれ、見つかると厳しく罰せられました。当時、日本でキリスト教の熱心な布教を行った26人のキリシタンが捕らえられ、「耳切の刑(耳たぶを切り落とされる)」という残酷な刑を受けたのが、ここ戻橋でした。その後、彼らは九州に送られて最後は処刑されてしまうのですが、いまではカトリック教会により「聖人」とされ、「日本26聖人」と呼ばれ信仰されています。

千利休の首が晒された場所

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千利休

千利休(せんのりきゅう)のことは、一度は耳にされたことがあると思います。商人であるとともに、文化人として、今日まで続く茶道の源流「茶の湯」を大成しました。豊臣秀吉の側近として政治的にも活躍した人ですが、晩年は秀吉の不興を買い、切腹を命じられてしまいます。なぜ秀吉の不興を買ったのか、山門に自分の像を飾り、下を通る秀吉が、履物を履いた利休の下をくぐらないといけなかったことに対し、秀吉が激怒したなど、諸説あるようですが、いまだに真相は分かっていません。

秀吉により切腹させられてしまった利休の首が晒されたのがこの戻橋です。

そのほかの戻橋の禁忌と縁起

戻橋は死者の魂が返ってくる、という意味から「戻橋」と名付けられました。したがって、嫁入り前や縁談の関係者はここを通ってはいけない(嫁入りした後に戻ってきてはいけないから)というタブーや、逆に、戦時中は、戦場から無事に帰ってこれるようにと、出征前にここを訪れる人があったりしたようです。

現在の戻橋(写真レポート)

京都駅から地下鉄で約10分の今出川駅から歩いてさらに10分ほど。堀川と一条通の交差するところに「一条戻橋」があります。

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戻橋は、散策路もある市民の憩いの場になっている

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一条戻橋から南側は遊歩道が整備されています。訪れたのは2020年の3月ですが、橋のたもとにきれいな河津桜が咲いていました。

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戻橋の北側は木々が生え、しっとりとした雰囲気です。

すぐ近くにある晴明神社には戻橋のミニチュアがある

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かつては安倍晴明の屋敷があり、いまは晴明を祀っている晴明神社。戻橋からは、堀川通を渡ってすぐ、徒歩2分の場所にあります。ここに、かつての戻橋の部材を使って作られた戻橋のミニチュアがあります。

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ミニチュア戻橋の横には「式神」の石像が。

昔の戻橋の様子

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都市計画の中で、戻橋のかかる堀川の水も枯れてしまったこともあったそうです。しかし町のシンボルとして堀川の流れを復活させようと、今では水流が復活しています。

まとめ

戻橋は、常磐津の渡辺綱・鬼女伝説の他にも数々の逸話・伝説が残されている不思議な場所でした。いまは昔の面影はほとんどないようですが、人々に語り継がれていた物語から往時を偲ぶことができました。

アクセス

一条戻橋(いちじょうもどりばし)

〒602-8232 京都府京都市上京区1条通19丁目
https://goo.gl/maps/Eqpm9vChYt8ZiuidA

地下鉄・今出川駅から徒歩約10分。

今出川駅へは京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、約10分です。

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