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単眼カメラによる映像記録を⽤いた⽇本舞踊の3次元再構築の試み―⽇本舞踊の⽂化資源化によるデジタル世界への埋め込みを⽬指して―

単眼カメラによる映像記録を⽤いた⽇本舞踊の3次元再構築の試み―⽇本舞踊の⽂化資源化によるデジタル世界への埋め込みを⽬指して―

田宮 彩加氏が執筆された日本舞踊に関する論文を、許可を得て掲載しています。この記事は予告なく掲載終了する場合がございます。

なお、論文テキストをWEB記事として公開している都合上、ページ番号は割愛しています。

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2022年度  修士学位申請論文

指導教員 大島 正嗣

題 目

和文 単眼カメラによる映像記録を⽤いた⽇本舞踊の3次元再構築の試み―⽇本舞踊の⽂化資源化によるデジタル世界への埋め込みを⽬指して―
欧文 Dancing Nihon-buyō into the Digital World:An Attempt to Reconstruct Traditional Japanese Dance in 3D Using Monocular Video Recordings

研 究 科 総合文化政策学研究科
専 攻 文化創造マネジメント専攻
氏 名 田宮 彩加

Abstract

⽇本の伝統的舞台芸術の中でも⽇本舞踊は、過去のさまざまな種類の芸能の上に成り⽴つことから⽇本の伝統芸能の⼀⾓をになう⽂化的価値のある重要な伝統舞踊だといえるだろう。しかし、⽇本舞踊を継承していくにあたって、⽇本舞踊には名称と定義の不明瞭さ、⼈気の低迷、⼈⼝減少、教育への不参⼊などの巨⼤な問題があり、これらはもはや⽇本舞踊者の努⼒によって解決できる範疇を⼤いに超えている。モーションキャプチャや姿勢推定技術を利⽤して⽇本舞踊を取り扱った先⾏研究はアーカイブとしての保存・活⽤、舞踊研究のための作品理解や⽐較分析、教育、舞踊の創作など様々に貢献してきたが、⾐装とその着⾐の動きの記録が取れない課題が指摘されている。着物を着⽤して演じられる芸能は舞踊研究において⼀般に使⽤されるオープンソースのデータセットを⽤いてモーションを取得することが困難である。

この問題を解決するために本研究では、姿勢推定を⽤いた⽇本舞踊の 3 次元化において学習データの作成と適応のボトルネックとなっている⽇本舞踊の⾐装に着⽬して、⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化の地盤を固めることを⽬的に、舞踊のモーションと着⾐のシミュレーションを合わせて着物の動きを含めた⽇本舞踊の三次元データを再構築しようと試みる。

本研究では、⽇本舞踊家の師範 3 名の協⼒を得て撮影した 5 本の映像を⽤意し、モーションを姿勢推定によって抽出したものを CG アバターと CG で作成した現実に即した着物に適応してシミュレーションを実施した。

本研究は最終的に、実践者⾃らの⼿による⽇本舞踊のデジタル⽂化資源の作成と公開を⽬指した際に、どのような⼿順を踏めば⽇本舞踊を三次元デジタル⽂化資源化することができるかを実験し、結果として 5 つの⽇本舞踊映像を三次元で再構築し、三次元化のプロセスの中でどのような問題が⽴ちはだかるかを明らかにした。

結論として、本研究は⽇本舞踊の発展と活性化を⽬指した伝達には、ただデジタルアーカイブするだけでなく、⽂化資源化を通じた保存的役割及び発信の可能性と創造的発展の可能性を獲得することが必要であることを強調する。舞踊モーションと着物のクロスシミュレーションを合成したデータを⽣成した本研究は⽇本舞踊の機械学習による研究において障害となっていた⾐装を原因とする学習データ作成を解決する助けになるだろう。

Acknowledgements

私の論⽂を指導してくださった先⽣⽅に感謝の意を表します。私の指導教官である⼤島正嗣先⽣には多⼤なご指導を賜りました。深い感謝を⽰し、御礼申し上げます。私の研究のアイデアを具体化するためにディスカッションを通じて素晴らしいアドバイスを賜りました副指導教官の⽵内孝宏先⽣、クシェル・マイケル先⽣に厚く感謝申し上げます。また、花柳流と歌舞伎の知⾒および修論の総括・添削をしてくださった酒井吉廣先⽣に感謝の意を表します。

本論⽂で作成した⽇本舞踊の 3D デジタル資源化にあたって、⽇本舞踊実践者の⽅々に多⼤なご協⼒を頂きました。研究を⾏うにあたってのインタビューにご協⼒いただき、⽇本舞踊のお師匠さま⽅と繋いでくださった梅澤暁様に深く感謝します。快く撮影にご協⼒くださいました⽇本舞踊家の坂東三乃智様、⽔⽊歌寿桃様、楳茂都梅昭野様に深く感謝申し上げます。また、インタビューに協⼒いただいた皆様に感謝します。そして、3D 上での着物の作成を⼿伝っていただいた Yogdyr 様に感謝します。

最後に、精神的にも経済的にも私を⽀えてくれた両親に深い敬意と感謝を⽰します。

List of Contents

Abstract
Acknowledgements
List of Figures
List of Tables 
1 INTRODUCTION 1
1.1 動機 
1.2 背景 
1.3 構成 
2 ⽇本舞踊について 
2.1 ⽇本舞踊の重要性 
要素 
様式 
⽇本舞踊の柔軟性 
2.2 誰が⽇本舞踊の担い⼿となってきたか 3 種類の⽇本舞踊の系統 
2.3 分類について 
定義の問題について 
邦舞は⽇本舞踊とイコールか? 
⽂化財保護法による分類 
条約による分類 
主体によって異なる⽇本舞踊の範疇と配慮の差 
2.4 ⽇本舞踊の現状 
2.4.1 ⽇本舞踊⼈⼝の減少 
2.4.2 ⽇本舞踊の鑑賞対象としての⼈気の減少 
2.4.3 ⽇本舞踊のメディア露出の低下 
2.4.4 ⽇本舞踊にかかる費⽤ 
2.4.5 教育問題 
2.4.6 従来の説 
2.4.7 ⽂化資本論を⽤いた考察 
3 ⽂化資源化について ⽂化資源としての⽇本舞踊 
⽂化資源と⽂化資源化 
資源化とまなざし 
デジタル⽂化資源化による舞踊の記録と記述の困難性の⼀部解決 
なぜ⽂化資源論によって⽇本舞踊を捉えるのか 
120 年分の⽇本舞踊の記録映像 
⽂化資源化が明らかにすること、覆い隠すこと 
4 LITERATURE REVIEW 
4.1 ⽇本舞踊の問題を解決するために技術介⼊による解決を⽬指した先⾏研究 
舞踊作品・舞踊動作の記録・可視化の研究 
舞踊作品・舞踊動作の⽐較・分析の研究 
舞踊作品・舞踊動作の学習・教育の研究 
舞踊作品・舞踊動作の振付・創作の研究 

4.2 舞踊研究の主流の⼿法について 
モーションキャプチャ 
ヴォリュメトリックキャプチャ 
姿勢推定 
先⾏⼿法の問題点 

5 METHODS AND MATERIALS 
5.1 採⽤した⼿法 
5.2 使⽤アプリケーション 
5.3 作成したデータ 
CG アバター 
CG ⾐装 
撮影した舞踊の映像とモーションデータ 
データのエキスポート 
6 RESULTS 
6.1 5 本の⽇本舞踊から出⼒した三次元再構築物 
6.2 問題点 
6.3 限界点と今後の展望 
7 DISCUSSION 
デジタル⽂化資源化が⽇本舞踊にもたらすもの 
8 CONCLUSION 
⽇本舞踊の多様性の保持と発展のために必要なこと 
9 BIBLIOGRAPHY 

List of Figures

図 2.1 1 年間の間に直接鑑賞した⽂化芸術イベントの回数の推移
図 2.2 今後、もっと鑑賞したいと思う⽂化芸術に挙げられた割合の推移
図 2.3 ⼦どもの⽂化芸術体験について期待する効果の推移 
図 3.1 『京都祇園新地芸妓三⼈晒し布舞の図』
図 4.1 姿勢推定の流れと座標情報
図 5.1 Blender で作成したモデル
図 5.2 舞妓⾐装の展開図
図 5.3 着物のパターンと各パーツ
図 5.4 ⽣地の裁断⾯と縫い合わせ
図 5.5 着物の前⾯パーツの名称
図 5.6 着物の背⾯パーツの各名称
図 5.7 舞妓の⾐装全体像
図 5.8 肩揚げと袖上げが施された舞妓の⾐装
図 5.9 肌着を着た舞妓と⾝につける⾐装⼀覧
図 5.10 実際の舞妓の⾐装と着付けの様⼦ 
図 5.11 最も現実に即して作成した着物
図 5.12 着物に襦袢が貫通し、袖と脇が破綻している様⼦ 
図 5.13 ⽣地だけでは形状を保てなかった襟
図 5.14 省略された肌襦袢
図 5.15 外⾒上⽀障のない範囲で襦袢が修正された着物 
図 5.16 作成した着物の前⾯
図 5.17 作成した着物の背⾯
図 5.18 plask を利⽤して動画から推定したモーション 
図 6.1 代表的なシミュレーションの失敗事例
図 6.2 始めと終わりの礼において発⽣したエラー
図 6.3 Marvelous Designer 上でのアニメーションの様⼦
図 6.4 Unity にてレンダリングした際の様⼦
図 6.5 ⽇本舞踊において最も使⽤される⼩道具である舞扇
図 6.6 扇⼦以外の⼩道具を使⽤して舞う例 京舞井上流五世井上⼋千代
List of Tables
表 8.4 撮影した⽇本舞踊の分類

1 Introduction

1.1 動機

私が初めて⽇本舞踊を観たと認識したのは、YouTube 上に投稿された舞妓の舞を視聴した時だった。夏にマルタで出会ったヨーロッパ出⾝の友⼈らは今まで⽇本⼈に会ったことがなかったため、私は⽇本について質問攻めにされたが、14 年間のこれまでの⼈⽣において私は⽇本⽂化にさほど興味を抱いていなかったため、⽇本の⽂化について話せるほどの知識がなく、Google で調べて答えるばかりだった。

留学先から帰国した私は⾃らのアイデンティティーを⽇本の⽂化に求め、⽇本⽂化とされるものを⼀通りデジタルで鑑賞してみることにした。その中で、最も私の⽬を引いたのは叶祐美という舞妓が舞った祇園東⼩唄だった。第⼀に、舞妓という存在の髪型や化粧、⾐装、扇⼦といった⾒た⽬、第⼆に、⼿や頭、⾜の奇妙で不思議だが、洗練された印象を受ける動かし⽅、第三に、壮年と思われる⼥性の低い歌声、三味線、太⿎の⾳⾊が⼼に焼き付いて離れなかった。⾃分の⽇常とは全く縁のない⾮⽇常的な様⼦を写した動画には、信じられないことだが、⾃分より数年年上な少⼥が⾒事な⽇本舞踊を舞っていた。彼⼥が美しい舞を舞う技術を獲得していること、そして現代において舞妓という職業に就くことを 15 歳で決断し実⾏したこと、伝統的な規律の世界に彼⼥が⽣きていることが私には⾮常に興味深く感じられた。何が少⼥達を伝統芸能の世界へ駆り⽴てたのだろうか。

実は、映像を⾒て舞妓に魅⼊られる少⼥が⽇本には⼀定数いる。近年は⼀⼈の少⼥が舞妓になるまでの 1 年間の修⾏の様⼦をドキュメンタリーとして撮影する番組をテレビで⾒て舞妓に憧れ、舞妓になった者も多い。私は舞の動画を⾒て舞妓に惹きつけられたが、同じように映像を観て舞妓になろうと決意する少⼥もいる。このことから、デジタルな映像は⼈に⼤きな感動と原動⼒をもたらすことができると考えるようになった。デジタル情報の強みは、場所や時間といった物理的な制約に縛られず、世界中の⼈々にリーチすることができる点にある。私はより多くの⼈、世界中の⼈々が私や他の舞妓志望者が経験したようなパッションの湧く出会いができるようになることを切望する。そのためには、より⼈々を没⼊させることのできるデジタルコンテンツが必要であり、現時点でそれは 3D コンテンツであると思われる。

1.2 背景

⽇本では伝統的舞台芸術として、さまざまな種類の芸能が発展し継承されてきた。その中でも⽇本舞踊は⽇本の伝統芸能の⼀⾓をになう⽂化的価値のある重要な伝統舞踊だといえるだろう。⽇本舞踊に関する研究は舞踊学、⺠俗学、歴史学から、⽇本舞踊の担い⼿を通して⽂化⼈類学や社会学からも様々な視点で研究が⾏われてきた。先⾏研究の成果はアーカイブとしての保存・活⽤、舞踊研究のための作品理解や⽐較分析、教育、舞踊の創作など様々に貢献しているが、その中でも舞踊を対象とした記録と伝承の研究は技術の進歩に伴い、⾰新的な進展を遂げている。

具体的には、モーションキャプチャーや画像認識技術の領域における著しい技術の発展に従い、ここ⼗数年間、多くの研究者たちによって⽇本舞踊のデジタル化の研究がなされた。動作解析の研究としては、渡沼ら(2007)がモーションキャプチャを使って⽇本舞踊の動作を 8 つの要素に分類してセグメント評価を⾏った研究がある。観察の結果、渡沼ら(2007)は⽇本舞踊の動作の認識には歌詞や⾐装、関連知識が影響している可能性⽰唆し、その動作はモーションキャプチャデータから判別可能なものと、前後のセグメントおよび⾳楽などの⽂脈によって判別できるもの⼆種類があることを⽰した。

⽴命館⼤学アートリサーチセンターにおいて、⼋村広三郎は CG や VR 技術を⼈⽂系の研究に利⽤する観点で⽇本の無形⽂化財の⾝体動作情報をデジタルアーカイブし、保存・継承及び動作解析の研究に取り組んできた(2003、2004、2005、2006、2007、2008、2016、2017)。⼋村(2007)は能や⽇本舞踊などの伝統芸能をデジタルアーカイブする際の課題として、モーションキャプチャだけでは演技にとって重要な⾐装とその着⾐の動きや化粧を含む顔まわりの状態の記録が取れないことを指摘した。 以上の先⾏研究から、⽇本舞踊の⾐装である着物は⽇本舞踊のデジタル化において避けることのできない要素であることが指摘される。

舞踊を含む無形⽂化財のデジタル化は、⽂化資源論の枠組みに当てはめて考えると、対象となる⽂化をもとの⽂脈から切り離し、デジタルの⽂脈に組み込んで新たな価値づけを⾏う⾏為と捉えることができる。本研究では、⽇本舞踊の⼈⼝の変遷について社会学者のピエール・ブルデューの⽂化資本論を援⽤した分析を⾏い、⽇本舞踊に参与する⼈⼝を増やすための⽅法に⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化による
発展の可能性を提⽰する。

近年はモーションキャプチャに必要な機材やアプリケーションが廉価になり、複雑な作業なしにデジタル化することができるようになってきた。踊りを三次元情報として出⼒する⼿法としては⼈にセンサーを取り付けて動きを測るのが⼀般的だったが、近年の研究では機械学習によってモーションを学習したデータセットを利⽤して⼆次元動画情報から舞踊のモーションを出⼒することが可能になっている。

しかしながら、オープンソースのデータセットを利⽤して⽇本舞踊の映像記録からモーションを推定しようとしても、良い出⼒結果は得られない。これは⽇本舞踊に限らず、⼀般的にロングスカートなどの下半⾝が⼤きく隠れている服を着ている⼈間を姿勢推定する際に起こる問題であるが、⽇本舞踊の場合、稽古の際でも浴⾐という簡易版の着物を着て踊るため、これまでに記録されてきた⽇本舞踊の映像の
ほとんどから姿勢推定を⾏うことが困難である。

これに加え、今までのところ、⾐装に焦点を置いて⽇本舞踊をデジタル化する研究はなされていない。したがって、この問題を解決するために本研究では、⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化の基盤を提唱するために、舞踊のモーションと着⾐のシミュレーションを合わせて着物の動きを含めた⽇本舞踊の三次元データを再構築しようと試みる。⽇本舞踊のモーションを姿勢推定によって抽出するため、⽇本舞踊家の師範 3 名の協⼒を得て、着物を着た状態と洋服を着た状態の 2 パターンで同じ演⽬の⽇本舞踊を踊った様⼦を撮影した映像を⽤意した。三次元上での視聴に耐えうる再構築をするためには、⾼い忠実度で再現された着物の CG データが必要である。そこで、⽂献調査および実際の舞踊家にインタビューを⾏った上で、現実に即した着物のモデリングを⾏ない、⾐類の布地の挙動をシミュレーションするクロスシミュレーションを⽤いたアニメーションを作成して合成した。CG のモデリングには広く使⽤されている CG ソフトである Blender を⽤い、⾐類とそのクロスシミュレーションについては CG ゲームなどの⾐類のデザインに利⽤されている MarvelousDesigner を⽤いた。

1.3 構成

本論⽂は以下のように構成されている。第 2 章では、⽇本舞踊の概要とその現状について概観し、⽇本舞踊の担い⼿と⽇本舞踊の定義問題、そして⽇本舞踊の抱える問題点を調査する。第 3 章では本研究にて⽤いる⽂化資源について概観しながら、なぜ⽂化資源論によって⽇本舞踊を捉えるべきなのかを述べる。第 4 章では、デジタル⽂化資源としてより多くの情報を持つことのできる技術を使った⽇本舞踊を対象とする先⾏事例を概観し、そこから何がデジタル資源化のボトルネックとなっているのかを考察する。また、舞踊の三次元化の⼿法として主要なものを紹介する。第 5 章では、4 章において明らかにした着物がもたらす課題を解決するための⽅法として作成した CG 上の着物と舞踊のモーションをシミュレーションした実験とその⼿法について述べ、次の第 6 章にてその結果と問題点を述べる。第 7 章では、3 次元情報を含むデジタル⽂化資源が過去の⽇本舞踊の保存という点だけでなく、今後の舞踊家にとってどの様な影響をもたらす可能性があるのかを考察する。

第 8 章では結論として現状の⽇本舞踊について振り返りながら、⽇本舞踊が今後も多様な発展を遂げていくためには、どのような動きが求められるかについて論じる。

2 ⽇本舞踊について

2.1 ⽇本舞踊の重要性

⽇本舞踊は⽇本⽂化の中で⽂化的に重要な伝統芸能の⼀つである。⽇本舞踊の⽂化的重要性は、第⼀に、歴史と豊かな作品、流派、技術があること、第⼆に、国家的イベント及び外交イベントでの⽇本伝統芸能を代表して⽇本の表象として利⽤されること、第三に、保存・活⽤すべき対象として⽇本国にとって歴史上または芸術上の価値の⾼さが認められ、⽂化財として登録されていることの 3 点から理解することができる。まず、⽇本舞踊の歴史的観点から概観していく。⽇本の芸能の源流は、⽇本神話の神の⼀柱であるアマノウズメノミコトに辿ることができるとする定説に従えば、⽇本における芸能の流れは、巫⼥、傀儡⼥、遊⼥(あそびめ)、⽩拍⼦⼥、曲舞⼥などの主体を介して阿国歌舞伎を形成する⼟台をかためたことになる(脇⽥ 2014)。⽇本舞踊は 1603 年に出雲阿国が始めたとされる阿国歌舞伎から始まる歌舞伎から 17 世紀半に独⽴し、今⽇まで受け継がれてきた⽇本の伝統的総合芸術である。他のジャンルの芸能の⾳楽や⼿法を取り⼊れながら多様な発展を遂げてきた⽇本舞踊は絶え間ない創造と伝承によって、豊かな作品と流派、舞踊技術を獲得してきた。⽇本舞踊は、歌舞伎の振付師という職業を確⽴して歌舞伎から分離したことで特権的で限られた⼈々のものから⼀般の市⺠にその技術が教授される様になり、⽇々の暮らしに根付き、祭りなどで定期的に披露されてきた。⽇本舞踊は数百年の歴史を持つ⽂化芸術であるという点だけでなく、先⼈の暮らしと共にあった⽂化である点において⽇本⽂化を構成する重要な⽂化であると⾔え、このことは⽇本政府によってもその⽂化的重要性が認められているといえよう。

⽇本舞踊が⽇本にとって重要な⽂化であることは、⽇本政府による国際交流のイベントや⽂化保護制度によってその⽂化的価値を認定されていることからも明らかである。数々の⽇本舞踊の名⼿による踊りと舞が披露されてきた具体的な例としては、東京⼤正博覧会や⼤正天皇即位礼などがある。

さらに、⽇本舞踊は⽇本の法律において保護の対象となる⽂化として位置付けられている。1950 年に⽇本で施⾏された⽂化財に関する法律である⽂化保護法において⽇本の重要⽂化財の保護が⾏われるようになり、1954 年の改正を経て、無形⽂化財が保護の対象に⼊れられた。⽇本政府は無形⽂化財に指定されている技を⾼度に体得・体現している⼈物を通称⼈間国宝と呼び、認定と助成を⾏うことで、技が今後も維持され、後継者が育成されるための⽀援をおこなっている。この⼈間国宝に⽇本舞踊家が含まれていることからも、⽇本舞踊は⽇本にとって重要な⽂化の⼀つであることがうかがえる。

では、⽇本舞踊とはどのような舞踊であるのかについて述べたいところだが、本研究の⽬的は⽇本舞踊そのものの探求ではないため、⽇本舞踊研究の⼀部紹介にとどめる。歌舞伎舞踊においては⻄形節⼦が『近代⽇本舞踊史』(2006)で歴史的研究を⾏い、郡司正勝と柴崎四郎が『⽇本舞踊名曲辞典』(1983)にて作品解説を⾏なっており、京舞に関しては岡⽥万⾥⼦が『京舞井上流の誕⽣』(2013)において網羅的に井上流について研究をした。次節以降において⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化を⽬的とする際に⽋かすべきでない⽇本舞踊の知識に絞り、取り上げていく。

要素

⽇本舞踊を⽇本舞踊として成り⽴たせているのは、舞、踊、振りの 3 要素によってであり、これらは、上⽅舞と歌舞伎舞踊、そして創作舞踊のいずれにも程度の差はあれ含まれている(⻄形 1980, 14,48,78-80 ⾴)。⽇本舞踊を取り扱っていくために、まず、具体的な⽇本舞踊の3つの構成要素について解説する。舞と踊はそれぞれ場所と源流、動きの形式が異なるため、区別されて呼称されてきた。舞は『古事記』の「天岩戶」伝説に出てくるアマノウズメノミコトが天岩⼾に隠れたアマテラスオオミカミを岩⼾から出すために踊ったとされる神話に始まる神楽、舞楽、能楽の流れを汲む、シンプルで限られた動きによって舞台上をすり⾜でゆったりと歩き、旋回する動きを指し、上⽅舞または地唄舞がこれにあたる。上⽅とは遷都されるまで朝廷のあった京都、⼤阪を中⼼とする関⻄地域のことであり、舞の系譜は巫⼥や芸能者、貴族などの限られた⼈物らによって担われてきた。今⽇では⼭村流、吉村流、篠塚流などが上⽅舞系のルーツを持つ流派として残っているが、中でも井上流は京舞としてその存在感を明らかにしている。

舞と⽐較される踊の始まり、歌舞伎舞踊の⺟体とされるのは⾵流である。⾵流は⾵流踊りを中⼼に、念仏踊りや盆踊り、太⿎踊りなどのさまざまな踊りを含む⺠俗芸能を指す。⾵流踊りは華美な⾐装で着飾り、趣向をこらした傘や⼩道具を⽤いて⼤勢で踊った⺠衆の踊りであり、これがのちの歌舞伎の始祖とされる出雲阿国による歌舞伎踊り、いわゆる阿国歌舞伎につながる。踊は⾁体的な動作をリズミカルに繰り返す動作であり、⺠俗舞踊以外の舞踊にも共通する舞踊の普遍的な要素を指す。

最後に、振りは歌舞伎が制約を受けた結果、発展した要素である。阿国をはじめとする⼥歌舞伎から若衆歌舞伎、野良歌舞伎へと幕府の度重なる規制によって担い⼿を変えながらも存続してきた歌舞伎はコンテンツ内容を政府によって規制された結果、物真似的な意味を有する振りが⽣まれ、演劇的要素を強めることとなり、歌舞伎の芸に深みを持たせることとなった。こうして元禄期には舞、踊、振りの三要素が固められ、⼥⽅舞踊が栄えることとなった。

これらの三要素によって構成される⽇本舞踊のうち、歌舞伎舞踊と上⽅舞が古典舞踊とされる。歌舞伎舞踊は江⼾を中⼼とする関東で栄えた踊りであり、⽇本舞踊の流派の⼤部分が歌舞伎舞踊に属する。⼀⽅の上⽅舞は京阪を中⼼にした関⻄で座敷舞を中⼼に栄えた、舞である。

様式

⽇本舞踊は、所作板と呼ばれる台の上の中⼼で踊る本質的には個⼈の舞踊である。たとえ、2 ⼈以上によって踊る場合でも、役柄があり、いずれか 1 ⼈を主役とする。⺠俗舞踊や歌舞伎では群舞が多いが、⽇本舞踊に群舞が⽣まれたのは近代化の影響を受けた明治以降のことだ。所作板は釘を使わずに作られた幅 3 尺、⻑さ 12尺、⾼さ 4 ⼨の檜の台で、演者の⾜がスムーズに動かせるようにし、⾜拍⼦と呼ばれる⾜で床を蹴って⾳を⽴てる動作において⾳をより響かせる効果をもたらす。⼤抵の場合、舞台の間⼝の物理的制約上、所作板を縦に 16 枚、後⽅に横向きに 2 枚敷き詰めて所作舞台が作られる。

このような舞台において、⽇本舞踊は舞台の中⼼で始まり、中⼼で終わる形式をとる。⽇本舞踊の舞踊空間の特徴として、⽇本舞踊の実践者であり、研究者でもある⻄形節⼦は以下のようにその特徴を述べている。

バレエのように、舞台の前後左右隅から隅まで⾛り回るという形式で、外へ向かってできるだけ拡散しようとする舞踊とに逆に、⽇本舞踊は内へ向かって求⼼的に表現しようとする特徴があるのが本来の姿です。 …(中略)… 歌舞伎舞踊では、三歩⾏けば三歩退って元の位置に戻るという振付がなされてきました。中⼼にスターを置き、誰からも⾒えるようにとの配慮からなのです。 それとともに内向的な⽇本の芸術の本質が、野放図に舞台を歩き回ることを嫌い、動をひめた静の美学を作り上げました。そして、舞台の隅々まで使わなくても、中⼼にいて、舞台空間いっぱいに拡がる芸の⼤きさをみせる技と⼼が求められたのです。これが芸の品であり、格であり、位どりといわれる⽇本舞踊の精神であり、⾏儀のよさに通ずるものなのです(⻄形 1980,84-85 ⾴)。

ここで⻄形はバレエと⽐較して⽇本舞踊との舞踊空間の差異を強調し、「動を秘めた静の美学」という⾔葉を使って内向的な⽇本の芸術の本質について説明している。

これは、⽇本舞踊の動作の特徴だけではなく、⽇本舞踊の⾐装に関してもいえる特徴である。⽇本舞踊で使われる⾐装は当然のことながら⽇本の伝統的⺠族⾐装である着物であるが、⽇本舞踊において⽤いられる着物は通常の着物より⼨法が⼤きく作られている舞台⽤であり、格式によって本⾐装、半⾐装、素の⾐装の三つに分類される。全種類に共通する、腕と脚を隠し、体を包み込んで覆い隠すという特徴を持つ⾐装は⽇本舞踊の元となった歌舞伎の⼥⽅の表現が⼤きく関係している。歌舞伎は幕府からの規制を受けた結果、男性だけで演じることになり、その際⼥性のキャラクターを演じる役割につく役者は⼥⽅と呼ばれた。男性演者がいかに演劇として⼥性を演じるか、という問題に歌舞伎役者は演者の⾁体を⾐装で隠し、化粧と表現、型に落とし込んだ動きによって⾊気を⽣み出し、⼥性の表現を確⽴した。男性の視点から⼥性らしさを研究しつくし、理想的な⼥性像を⻑い時をかけて動きと⾐装の中に落とし込んで作り上げたのが⼥⽅芸術であり、ここで表現される⾊気は直接的なセックスアピールではない(⻄形 1980, 60-61 ⾴)。

わかりやすい現実的なアピール以外の間接的なアピールは⽇本における美的概念の⼀つである⾊気に関係がある。⾊気は抽象的概念であり、九⻤周造(1967)が『「いき」の構造』においての提唱するいきの三⼤構成要素のうちの媚態に該当する。いきは⾮常に複雑で難解な概念であるが、主に⾃由芸術を対象としたいきの議論においては、ある対象がいきであれば、感性的価値がより⾼まるというように認識しておけば良いだろう。歌舞伎及び⽇本舞踊における⾊気は辞書的な意味にとどまらない可能性があるが、ここでは制約のなかで間接的に醸し出される表現と定義しておく。

歌舞伎と⽐べ、⽇本舞踊は⼥性も男性もプレイヤーになることができ、そのどちらもが⼥の役も男の役も、そしてどちらにも属さない神や精霊などの中性的存在も演じることができる。⽇本舞踊の基本姿勢は中腰で、⼥役は内股、男役は外また、歩⾏はすり⾜によって移動する。つまり、⾜と腕の筋⾁の使い⽅がそれぞれ男⼥の役によって反転する特徴がある。具体的な動作として、⻄形は以下のように解説している。

⼥⽅では上腕⼆頭筋を可能な限り外転させ、肩を落とし、内腕内転筋を内転させて⼿のひらを内側に向かせる。⼤腿四頭筋もできるだけ内転させ、内腿を隙間なく合わせることでつま先も内向きになる。このように筋⾁をわざと緊張させているために、すべての動作が制約され、⼥⽅らしい表現になる。

⼀⽅で、⽴⽅では⼆の腕を内転させながら前腕外転筋を外転させるので⾃然と肩が張るが、肩の⼒を抜くように広背筋を使う。⼤腿四頭筋はできるだけ外転させるため、⾜先まで外向きになる(⻄形 1980, 146 ⾴)。

このように、動きによって演者が男を演じているのか⼥を演じているのかを動きによって識別することができる。さらに、役の性別に加えて、年齢や⾝分によっても演じるキャラクターの演技の動作はカスタマイズされて演じられる。

⽇本舞踊は⾁体美を⾒せる他の舞踊とは異なり、コスチュームプレイとして様式のなかで、舞踊者それぞれが持つ⾊気を伴った舞踊表現を⾏う踊りであると考えられる。着物は⽇本舞踊の視覚的美しさの演出のためにも⾮常に重要な総合舞台芸術としての構成要素としての役割を持っている。着物を踊りの中で利⽤して⽣み出す仕草によって⾊気が醸し出されることから、着物は踊りの⼀部と⾔えよう。しかしながら、この点については詳しく後述するが、着物は現代⽇本においては⽇本舞踊の存続を害する危険性を有する懸念事項を⽣み出す存在でもある。

⽇本舞踊の柔軟性

⽇本舞踊は複雑で理解され難い性格を持っているために、⽇本舞踊に馴染みのない⼈からは鑑賞及び習い事としての参⼊を難しくする壁があるように思われる。その原因としては、第⼀に⻑い歴史の中で他の芸能との交流の中でさまざまな要素を含有しながら創造されてきた故に醸成された複雑性、第⼆に、作品の劇的⼀貫性と合理性を重視せず、圧倒させる変幻⾃在の視覚的な美しさと娯楽性を重視する性質があると考える。⽇本舞踊は歌舞伎から技を教えることに特化し、⼀般の⼦⼥に実践者を拡⼤していったが、それ以前の歴史は歌舞伎と同じである。歌舞伎は政府の治安維持を⽬的とする政策によって数々の規制を受けた結果として、その実践者が⻘年男性へと限られ、演劇としてのあり様を変化させていくこととなったが、変化をもたらした要因は政府だけではない。興⾏である以上、鑑賞者である⼈々の趣味嗜好や時代の流⾏によってそのあり⽅を左右されてきた。中でも、⾰新的な舞台として⼈形浄瑠璃が台頭し、さらに 1684 年に義太夫節が⽣まれると、「歌舞伎は無きが如し」と⾔われるほど⼈気が凋落するが、⼈形浄瑠璃の⼈気はとどまることを知らず、ジャンルそれ⾃体が義太夫節⼀辺倒となるほど⼈気を博した(⽥中 2018,226 ⾴)。歌舞伎は 1680 年台から 18 世紀後半までの間、低迷を続けたが、ある⽅法によって⼈形浄瑠璃の⼈気をそのまま奪い取り、逆に⼈形浄瑠璃を凋落させることに成功した。その⽅法とは⼈形浄瑠璃の⼈気作品をそのまま模倣し、歌舞伎化して上演することだった。これにより、⾳楽的形式が発達途中の段階にあった歌舞伎は、⾳楽的要素としてそのまま浄瑠璃を取り込み、⼈形の演じた演劇要素を役者に移し取ることで、さらに歌舞伎を発展させていった。このような動きは規模に差異はあるが、継続され、⼈気のあるものを取り⼊れて⾃らの構成要素や演劇的⼯夫を⼈々の好みに柔軟に合わせながらも進化が続けられてきた。

歌舞伎は⼤衆の求める娯楽として流⾏に敏感に対応する性質を持つ必要があった。歌舞伎の受容層は、⽂化的にも政治的にも中⼼都市であった江⼾に住む庶⺠であり(1)、彼らは娯楽としての視覚的な楽しさを求めていたため、現代の価値観としては⾮合理的に思われる作品構成は問題視されず、耽美的な趣向に合致する華麗な舞台演劇として⼈々に観劇された。それゆえ、現代の価値観からすれば劇的⼀貫性と論理性に⽋ける作品が歌舞伎には多く存在する。次第に作品には独⽴しており、⾒せ場となる局⾯をつなげて、さまざまな踊りと⼼情表現を楽しめるように作られるものが増えていき、それが独⽴して現在⽇本舞踊で踊られる演⽬となったものも多い。このことから、⽇本舞踊を今⽇まで伝承することができた理由が、鑑賞の上では邪魔になってしまっており、歌舞伎や⽇本舞踊の形式や前提知識を持たない⼈々がこれらの演⽬を鑑賞する際には、作品理解のための解説が必須となっていることがわかる。

(1)ここでは江⼾を中⼼とする歌舞伎に注⽬して論を進めるが、関⻄圏にも歌舞伎座は存在し、上⽅歌舞伎として繁栄していたことを注記しておく。具体例としては⼤坂にあった道頓堀五座がある。道頓堀五座は明治以降徐々に演芸場や映画館へ移⾏していき、現存しないが、⼤阪都市遺産研究センターによって 1923 年に松⽵座が完成する以前の街並みを中⼼に CG による復元が⾏われた。(「CGによる⼤阪都市景観の復元」。関⻄⼤学⼤阪都市遺産研究センター。2023 年 1 ⽉ 10 ⽇アクセス。https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/osaka-toshi/visual00.html。)

2.2 誰が⽇本舞踊の担い⼿となってきたか 3 種類の⽇本舞踊の系統

⽇本舞踊を考える上で、誰が⽇本舞踊の担い⼿なのかを明確に⽰すことが重要であると考える。また、定義の問題にも関わってくるが、どのジャンルまでを⽇本舞踊の担い⼿と考えるかによって、⽇本舞踊が指す範囲が変わるため、ここでは従来考えられてこなかった範囲の担い⼿も射程に⼊れ、更に幅広い視点で⽇本舞踊を分析する。

担い⼿の系統を⼤きく分けて歌舞伎系統、花柳界系統、舞踊・演劇系統の三つの分類提案してみたい。まず、⼤きな割合を占める歌舞伎系統の担い⼿として振付師、お狂⾔師・町の踊りの師匠が考えられる。⽇本舞踊の始祖的存在である振付師は⽋かすことのできない重要な主体であり、江⼾から昭和期にかけてのお狂⾔師、後の町の踊りの師匠(2)は⽇本舞踊が今⽇まで継続することを⽀えてきた縁の下の⼒持ち的存在と⾔えるだろう。⼀⽅、花柳界系統としては遊⼥や芸者を主体とした⽇本舞踊の伝承が考えられる。もてなしを⽬的としたお座敷⽂化において発展した花柳界の芸能は現代に絶えず継承されており、⼀般の⼈々とは異なる特殊な⽂化の中で舞や踊りを伝承している存在と捉えることができるだろう。最後に、舞踊・演劇系統という分類を提⽰してみたい。これには⽇本舞踊家や演劇役者が対応すると考えられる。ここでの⽇本舞踊家は教授活動と公演活動を両⽴する場合がほとんどだが、ここでは舞踊家として公演活動を⾏う際に注⽬して考える。⽇本舞踊家は⽇本舞踊の公演を舞台芸術としてパフォーマンスする存在であり、これまでの踊りの師匠としての在り⽅以外にも舞踊家としての在り⽅を獲得した点において最も現代的な⽇本舞踊の担い⼿であると⾔えよう。次に、少々狭義の⽇本舞踊には含まれないかもしれないが、⼤衆演劇役者や宝塚歌劇団員の存在をこの系統に含みたい。⼤衆演劇役者の踊る⽇本舞踊は創作舞踊としての新舞踊であり、かつて歌舞伎が担っていたような娯楽性と流⾏性を兼ね備えた担い⼿と捉えることができる。

宝塚歌劇団は 1914 年に国⺠劇を⽬指して創設された少⼥歌劇団として始まった劇団で、⽇本で初めてオーケストラを伴奏に⽇本舞踊を披露した団体かつレビューを上演した団体である。⼤正から昭和初期にかけて⽇本演劇と舞踊改良の潮流に迎合していった宝塚歌劇団はオーケストラを伴奏に⽇本舞踊を披露することで有名であり、現在は海外もののミュージカルが上演されることが多いが、⽇本ものとして創作⽇本舞踊のミュージカルも上演している。このため、団員になる必須条件である宝塚⾳楽学校でのカリキュラムにも⽇本舞踊が加えられている。このことからこれまで⽇本舞踊の担い⼿と考えられていなかったジャンルに属する主体も⽇本舞踊の多様な発展の可能性を広げる存在として捉えることができるのではないだろうか。

(2) 多くの場合、町の踊りの師匠は⼥性であったことを注記しておく。

2.3 分類について

定義の問題について

実は⽇本舞踊の定義は明確に定められておらず、主体によって名称や内容にぶれがある。世界百科⼤辞典にて⽇本舞踊の定義を調べると、「邦舞また⽇舞ともいう。⻄洋舞踊に対する語で,広義には⽇本で⾏われる舞踊として,古代の舞踊,伎楽(ぎがく),舞楽(ぶがく),能,⺠俗舞踊,歌舞伎舞踊,新舞踊等すべての舞踊の総称となる。しかし狭義では歌舞伎舞踊を指し,ふつう,これが⼀般的⽤語となっている(3)」とされている。この定義に基づくと、オーソドックスな定義としては、⽇本舞踊は歌舞伎舞踊、上⽅舞踊、創作舞踊の 3 種類で構成されている舞踊だと考えることができる。現代においては、歌舞伎舞踊と上⽅舞は古典であり、これらが⼀般的に⽇舞(⽇本舞踊の略称)や邦舞と呼称されており、それ以外のものは創作舞踊と分けられる。歌舞伎舞踊は江⼾を中⼼とする関東で栄えた踊りであり、現在は五⼤流派として藤間流(ふじまりゅう、⻄川流(にしかわりゅう)花柳流(はなやぎりゅう)、若柳流(わかやぎりゅう)、坂東流(ばんどうりゅう)が名⾼い。⼀⽅の上⽅舞は京阪を中⼼にした関⻄で座敷舞を中⼼に栄えた、舞であり、上⽅四流派としては井上流(いのうえりゅう)、吉村流(よしむらりゅう)、⼭村流(やまむらりゅう)、楳茂都流(うめもとりゅう)が知られている。⼀⽅で、創
作舞踊が誕⽣したのは、⽇本が⻄洋の⽂化に接触したことをきっかけに、⽇本の⽂化をより向上させようと改⾰を⽬指した運動の流れの中で、坪内逍遥が 1904 年に発表した『新楽劇論』に対し、⼤正にかけて舞踊家たち4が⾏った新舞踊運動の実践によるものだとされる。これらの舞踊は歌舞伎舞踊に対して新舞踊と呼ばれたが、誤解を招きやすいことに、この次に⽣まれた舞踊もまた同じ名称で呼ばれている。この新しい舞踊こそが創作舞踊であり、歌謡曲や演歌、⺠謡曲などの⽐較的現代的で⼈々にとって親しみやすい曲に振付を⾏ったことで⼤衆娯楽として⼈気を博した。

(3) ⼩学館「⽇本舞踊」 。世界⼤百科事典。JapanKnowledge。2022 年 12 ⽉ 22 ⽇アクセス。
https://japanknowledge-com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp。
(4)ここでの舞踊家は歌舞伎役者ではなく、専⾨の振付師を指す。

邦舞は⽇本舞踊とイコールか?

この⽇本舞踊の定義の問題は⽇本政府の⽂化政策上放置することはできないが、明確な定義を定めることができないのは⽇本舞踊が邦舞と同⼀視されることに原因がある。⽇本舞踊という⽤語が⽇本の舞踊のどこまでを含むのか判然としないという問題を明らかにするためには、邦舞という概念がなぜ誕⽣したか、そして、なぜ邦舞=⽇本舞踊という認識がされるようになったのかを歴史的に辿って理解する必要がある。

⽇本の舞踊はアジア周辺諸国との交流の中で伝来されたさまざまな⾳楽や踊りなどの芸能と⽇本で展開されてきた芸能が融合し、⽇本式にアレンジすることによって豊富な種類の芸能を⽣み出し、多様に派⽣していった。しかし、⽇本⼈にとって海を超えた先にある外国という認識の中にあったのはおおよそアジア諸国だけであった状態であったといえよう。⽇本が⻄洋との接触を果たしたのは 1543 年にポルトガル船が漂着したことに起因し、1600 年にはオランダ船も漂着した。⾔葉や宗教、⾝体的特徴の異なる⻄洋⼈の渡来と⻄洋⽂明との接触は⼤きな衝撃を⽇本にもたらしたが、当時の政府機関である幕府は鎖国政策によってその後 1639 年から 1854 年までの間⽇本に接触する⻄洋の国を唯⼀オランダだけに規制し、オランダとの貿易を通じて⻄洋科学や⻄洋⽂化が規制のもとに⽇本に輸⼊された。このため、⽇本⼈の⼤半にとっては外国⼈についての情報は伝聞で伝わる程度で、実際に対⾯して交流が⾏われたのは限られた⾝分または限られた地域の⼈々だけであったと考えられる。しかし、1854 年に締結された⽇⽶和新条約以降、政府が外国⼈と渡来物の流⼊に制限をかけられなくなり、⾔葉や宗教、⾝体的特徴の異なる⻄洋⼈の渡来と⻄洋⽂明との接触が⼀般の⼈々の⽣活の中に⼊り込んでくることで、⽇本⼈の認識と⽇本⽂化に⼤きな影響が与えられた。このため、⽇本は開国をきっかけに、これまで気づかなかった⽇本⽂化の特異性や魅⼒を認識できるようになった。このような既存の認識が拡張され、これまでとは違う⾃⼰認識=分節化が可能になることで、⽇本という国家とそれに属するものという意識が明確になり、邦という⽇本国家を指す⾔葉がさまざまな対象に接頭語として区別のために付けられるようになったと思われる。

以上に述べてきたようにして、⽤語としての邦舞は誕⽣したが、開国以前の⽇本において⾝体表現による⾳楽に合わせた感情表現はもともと舞か踊、あるいは舞踏(5)と呼ばれていた。舞踏は舞踊とよく誤⽤されがちだが、舞踏は『礼記』楽記篇の師⼄篇第⼗の篇末の⼀段に起源があるとされており、『続⽇本紀』や『源⽒物語』にも使⽤例の確認される古い⽤語である(福永 1971, 102-109 ⾴)。舞と踊はそれぞれ場所と源流、動きの形式が異なるため、区別されて呼称されていたが、⻄洋⽂化の流⼊により、⻄洋の踊りを意味するダンスの訳語として舞踊という⽤語が創出され、使⽤されるようになっていった。⽤語としての舞踊は坪内が 1904 年に出版した『新楽劇論』において使った新名称というのが定説である6。これによって踊りには⻄洋から来た踊りを⽰す洋舞という⾔葉が⽣まれ、その対⽐として⽇本の踊りを⽰す邦舞という⾔葉が⽣まれた。しかし、邦舞という単語は⻄洋の舞踊との対抗概念として作られたため、⻄洋との接触以前にあった⽇本の舞踊=⽇本舞踊としての意味合いを持っていったが、次第に⽇本⼈も⻄洋の踊りを踊るようになり、さらには⻄洋の踊りを取り⼊れた創作舞踊も⽣まれてきたため、邦舞では⽇本で⽣まれた踊りをその範疇に捉えきれなくなった。邦舞の定義が定められないことは、すなわち⽇本舞踊の定義も定めることができないことを意味する。このため、⽇本舞踊には依然として定義の問題がつきまとい続けている。

(5) 舞踏は現在では主に⻄洋のダンスを指す場合に使われる⾔葉となっている。
(6) しかし、郡司正勝は舞踊という単語の初出に福地櫻痴による使⽤を指摘している。櫻痴が舞踊という⽤語を使⽤した意義について窪⽥奈希左は、櫻痴が何度も渡欧し、⻄洋演劇に親しむに連れて、⽇本の演劇改良に取り組む際に、⽇本の伝統的なふりや踊りの動作の中に、⽇本に特有と思われるものと、⻄洋と共通するものを鑑みて、⻄洋のダンスを念頭に⼊れた上で舞や踊のどちらともとれる新たな事象及び概念に対して舞踊という造語の創出を推測している(窪⽥ 1995)。

⽂化財保護法による分類

⽇本政府が定義を定められていない⽇本舞踊を法律上保護できているのは、⽇本舞踊を通称通りの名称ではなく、単に舞踊として扱っているためである。政府は⽇本舞踊にまつわる名称と定義、そして価値判断の政治性のために、⽇本舞踊を⽂化財保護法において単に舞踊と呼称し、その中で⽇本舞踊を歌舞伎舞踊と舞の⼆つに分類することで⽇本舞踊を法律上取り扱っている。この定義問題に対して、⽇本舞踊の研究家であり⽇本舞踊家でもある⻄形節⼦は政府において⽇本舞踊という⾔葉が公の場において⽇本舞踊という名称を使⽤できないことに対して⾮常に強い問題意識をあらわにしている(⻄形 2007, 250 ⾴)。

⽇本舞踊家から定義を⾒直すように抗議を受けても⽇本政府が法律上、⽇本舞踊を舞踊と呼称し続ける理由は無形⽂化財と重要無形⺠俗⽂化財、そして無形⽂化遺産の整合性を保つためである。⽇本には⽇本舞踊以外にも盆踊りなどの⺠俗舞踊があるが、オーソドックスとされる歌舞伎舞踊、上⽅舞踊、創作舞踊の 3 分類による定義を⽇本舞踊に適応すると、⺠俗舞踊が創作舞踊に⼊ってしまい、無形⽂化財と重要無形⺠俗⽂化財の区別において問題が⽣じてしまうため、政府としてはこの定義を採⽤することができない。⽇本における法制度上の⽂化の保護の歴史としては、1950 年に施⾏された⽂化財保護法において⽇本の⽂化財の保護が⾏われるようになり、1954 年の改正を経て、無形⽂化財が保護の対象に⼊れられ、1975 年の改正で無形の⺠俗⽂化財もその範疇に含まれるようになった。なお、無形の⽂化財は同じカテゴリに分類されていたが、1975 年以降は舞台芸術としての古典芸能を無形⽂化財とし、⺠俗舞踊としての⺠俗芸能は⺠俗⽂化財のカテゴリの⼀つである重要無形⺠俗⽂化財に区分されることになった。⺠俗舞踊は盆踊りや念仏踊りなどの⺠俗芸能を『⾵流踊』として統合することによって 2022 年 11 ⽉ 30 ⽇にユネスコから無形⽂化遺産に登録された(外務省 2022)。ここで注意したいのは無形⽂化遺産と重要無形⽂化財では制度を作った主体と⽂化の分別の判断基準が異なる点である。

条約による分類

先述した『⾵流踊』の無形⽂化遺産登録と⽇本舞踊を⽐較すると、⽇本舞踊が⽇本政府から適切な保護を受けられていない現状が浮かび上がってくる。まず、無形⽂化遺産登録された『⾵流踊』がどのように扱われているのか述べるために、まず世界遺産条約について概観する。1964 にヴェニス憲章にて世界の共有の財産の保護が提唱されたことをきっかけに、1965 には国連教育科学⽂化機関(UNESCO/United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の諮問機関として国際記念物遺跡会議(ICOMOS/International Council on Monuments andSites)が設⽴された。1975 年に発効された世界遺産条約(ConventionConcerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)は1954 年に発効されたハーグ条約が武⼒紛争時における遺産保護を⽬的としたのに対し、武⼒紛争時以外の平時にも⼈類共通の遺産を守ろうとするもので、条約批准国内の法律によって保護されているものを対象に ICOMOS が登録の審査を⾏い、世界遺産へ登録される。2006 年に発⾏された無形⽂化遺産保護条約(Convention for the Safeguarding of the Intangible Cultural Heritage)は無形の⽂化遺産を新たに保護の対象に加えるもので、世界遺産条約にと相互保管関係にある。この無形⽂化遺産保護条約の⽬的は伝統的舞踊、⾳楽、演劇、⼯芸技術、祭礼等の無形⽂化遺産を消失の危機から保護し、次世代へ伝えていくことにある。

ここで私が問題視したいのは、無形⽂化遺産の対象が伝統的舞踊とされており、⽇本舞踊も守られるべき対象としての要素は満たしているのにも関わらず、『⾵流踊』と⽐較した際に冷遇されていることだ。確かに、⺠俗芸能である『⾵流踊』は地域の⼈々の⽣活に密着した⺠俗舞踊であり、祭礼的⾏事として重要であるにもかかわらず、担い⼿の減少と⾼齢化により継承が困難となってきており、保護しなければ消失していく可能性のある⽂化であると思われる。このため、無形⽂化遺産として登録することで⽇本の⽂化として保護するだけでなく、世界の⽂化として国際的な保護体制の傘下に⼊ったことで、『⾵流踊』は⽇本政府から伝承者養成、記録作成、⽤具修理・新調、普及促進等の保護措置が⾏われることになり、今後の継承の可能性は向上すると⾒込まれる。

しかしながら、⽇本舞踊も『⾵流踊』と同じく⽇本の伝統的舞踊であり、同じく無形⽂化財であるにもかかわらず、⽇本舞踊は保護がほとんど⾏われていない。もちろん、⼈間国宝認定された⽇本舞踊家には保護と⽀援がなされているものの、他の芸能と⽐較した際に、その保護政策は薄いと⾔えよう。代表的な例としては専⽤劇場の⽋如と⼈材育成事業の不実施が挙げられる。他の無形⽂化財及び無形⽂化遺産である歌舞伎、演芸、能楽、⽂楽、組踊には各々に設けられている公演⽤の専⽤劇場が⽇本舞踊には存在せず、⽇本⽂化芸術振興会が国⽴劇場にて⾏う構成者養成事業も歌舞伎、⽂楽、⽵本に限られており、⽇本舞踊に対して⾏われる政府の養成事業はないと⾔えるだろう(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 126 ⾴ )。現状の⽇本の⽂化政策においては、⽇本舞踊と他の芸能の間に扱いの差が認められ、公演のための専⽤常設劇場の設置と育成⽀援が不⾜していることがわかる。

主体によって異なる⽇本舞踊の範疇と配慮の差

これまで述べてきたように、⽇本舞踊という⾔葉が意味する対象は主体によって異なる。⽇本舞踊実践者にとっての⽇本舞踊は多くの場合古典舞踊である歌舞伎舞踊と上⽅舞を指す狭義の定義が常識的と認識され、新たに現代⾵の曲やモチーフで創造された作品とそれを踊る⼈たちのことは新舞踊のジャンルに区別して認識されている。新舞踊は古典舞踊としての⽇本舞踊家から下に⾒られる⾵潮があるが、新舞踊を習う⼈々からすれば、種類の違う⽇本舞踊であって、新舞踊も古典舞踊も本物の⽇本舞踊というふうに認識がなされている(⻄形 2007, 296 ⾴)。古典舞踊とは異なる⼈気を獲得した新舞踊は当事者にとって広く定着した定義であると⾔えよう。

他⽅で、⽂化財保護法制定時には議論がなされたものの、⽇本政府は⽇本舞踊の定義にはさほど関⼼をもっていないように思われる。政府としては⽇本⽂化として保護が必要であるものに関して保護を実⾏できれば良いのであって、現状を維持するにあたっては定義と名称を改める必要性に迫られてはいない。無形⽂化遺産登録申請にあたって、⽇本の⽂化を世界の⼈々の⽂化としていくプロセスの中で注⽬を集めた盆踊りなどの地域の祭りの踊りが再解釈され、再認識され、⾵流踊りとして組みまれたような外部からの⼒学が加えられない限り、定義の明⽂化は積極的に実施されることはないのではないかと考えられる。この定義の問題がある以上、⼀般の⼈々、特に⽇本舞踊と縁の薄い⼈々から⽇本舞踊の認知と認識は遠ざかったままに思われる。

2.4 ⽇本舞踊の現状

⽇本舞踊は現在、低迷期にいると考えられ、現在よりも過去の⽅が栄えていたと⾔われているが、なぜこのような⾔説が⼀般化しているのかを、⽇本舞踊⼈⼝の減少、⽇本舞踊の⼈気の減少、⽇本舞踊のメディア露出の低下、⽇本舞踊にかかる費⽤が⾼額であること、教育問題の 5 点を取り上げながら検証することで⽇本舞踊の現状について概観し、従来の説を確認した上で、⽂化資本論を⽤いた考察によって⽇本舞踊が提供していた効⽤の減少を提唱する。個々の詳細に移る前に、⽇本舞踊が衰退傾向にあると⾔われてしまう理由を概観しておく。⽇本舞踊は⽇本社会が現在まで辿ってきたのと同じ過程を経て、若年層の減少と⾼齢化による総⼈⼝の減少、経済的な圧迫、技術継承の⼤きく分けて 3 つの問題を抱えていると考えられる。⽇本の若年層の⽐率が多かった昭和期には、好景気によってさまざまな娯楽や⽂化⾯での活動と経済活動が活発に⾏われており、それは⽇本舞踊においても同じであった。消費される⽂化としては、⽇本舞踊にとってさまざまな競争相⼿となる娯楽や習い事が多く⽣まれたものの、さまざまな流派が新たに創設されて活気があり、⽇本舞踊⼈⼝数も多く、⼈々の認識におけるプレゼンスも⾼かった。しかし、バブル景気の終焉に伴い、広げすぎた裾野に対する需要と供給のバランスが崩れた結果、⽇本舞踊界全体が凋落することとなった。消費が控えられるようになると、着物や舞台のためにかかる費⽤が⾼額であることが参⼊障壁として⼈々の前に⽴ち塞がってしまい、封建的階層構造の中で醸成された暗黙のしきたりが多いこと、⼦供の習い事産業において重視される要素が変化したことからも、若い世代の参⼊が減り、⾼齢化が進むことになった。⽇本舞踊は、基本的に師匠と弟⼦が⼀対⼀で稽古をするシステムで教授される都合上、技術の継承は学校システムのように⼤⼈数に⼀律に⾏うことが困難であり(7)、技術継承には関係性の構築と技術の習得には⻑い時間が必要だ。しかし、熟練の⽇本舞踊家たちの⾼齢化が進んでおり、卓越した技術を絶やさないために、次の世代への技術の継承が求められている。以上に概観したことを次節から個別に焦点を当てて具体的に⾒ていこう。

(7)京阪において置かれていた⼥紅場のシステムは⽐較的システマティックではあるものの、学校教育のような明確な指導規範とプログラムが組まれているとは⾔えない。このため、⾼度な技を体得している師匠から技術を継承し、若年層の取り込みと育成の必要性が指摘されてきたが、この状況は現在も変わっていない。

2.4.1 ⽇本舞踊⼈⼝の減少

まず、⽇本舞踊の⼈⼝の構成を教える側と習う側の 2 種類に分け、⽇本舞踊を習う⼈⼝が減少しているのかどうかを検証する。⽇本舞踊を教授する師匠の⼈⼝は⽇本舞踊協会が公開している直近 6 年分の事業報告書から会員数の遷移を把握することができると考える。必ずしも全ての⽇本舞踊家が⼊会しているわけではないが、師範の資格をとった⽇本舞踊家の⼈数を把握するための指標と⾔えるだろう。⽇本舞踊協会の会員からは毎年 200 名ほどの退会者と 30 名ほどの死亡者が出ている⼀⽅で、新規参⼊者は 100 名を切り続けており、特に直近の年度における新規参⼊者は30 名だった。2022 年 3 ⽉ 31 ⽇現在における会員総数は 110 流派、3,777 名となっている。⽇本舞踊協会に加⼊していない流派の数を鑑みると、現存する流派の数は200 を超えているとされる。会員数の⼈数は少なくないように思われるが、2008 年の⽇本舞踊家へのヒアリングでは、会員数が 6,000 名余りいたことがわかるので、減少傾向にあることは確実であろう(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 86 ⾴ )。

次に、⽇本舞踊を習う側の⼈⼝について詳細を明らかにしたいが、流派の垣根を超えた⽇本舞踊全体の習っている⼈⼝についてはほとんどわかっていない。これは、師範の資格を得た師匠の数についての記録は各流派にて残されているのに対し、習う側の⼈⼝は⼊⾨者と⼊⾨はしないが習っている⼈、⼊⾨者のうち名取や師範を取るものと意図的に取らずにいる者がいるため、習う側の⼈数はこれらの⼈々のうち、どこまでを⽇本舞踊を習う側の⼈⼝と判断し、記録するかはそれぞれの流派と師匠の考えによって異なるため、各流派に共通する⼀律の記録や調査はなく、⼈数の把握は難しい。

しかしながら、⽇本舞踊家の尾上⻘楓は⽇本舞踊の観客について「⽇本舞踊は⾃分で『習う』お弟⼦さんが、そのまま『観る』お客さんという状況が⻑く続いている。それ以外の⼈はなかなか触れる機会がない」と述べている(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 86 ⾴ )。このことから、詳細な⼈数の把握には⾄らないが、⽇本舞踊の公演は発表会形式のものが⼤きい割合を占めるため、公演回数の推移から⼈⼝の推移の傾向を知ることができると考える。ここでは、歌舞伎舞踊、上⽅舞踊、創作舞踊の 3 種類を全て含めた広義の⽇本舞踊としての数字を⾒ていく。『芸能⽩書〜数字にみる⽇本の芸能〜』(1999)の年間統計と「伝統芸能の現状調査」(2008)をみると、1999 年には国内で、1,115 ⽇(1,444 回)の公演が⾏われていたのに対し、2006 年には 639 ⽇(862 回)の公演が⾏われたことがわかる。なお、2006 年の調査時には⽇本舞踊に含まれる舞踊の範囲が変更され、⽇本舞踊から⺠俗舞踊が除かれた⼀⽅で琉球舞踊が組み込まれたことに注意したい。琉球舞踊を含める場合の公演数は 753 ⽇(1005 回)となり、琉球舞踊は公演数全体の 1 割を占める。次に、上⽅舞と歌舞伎舞踊を古典舞踊とする狭義の⽇本舞踊として数字を⾒ると、1999 年には 971 ⽇(1,284 回)であったのが、2002 年には 556 ⽇(775 回)と⼤幅な減少が確認できる。減少傾向は古典舞踊以外の⽇本舞踊にも同じ傾向が⾒られる。創作舞踊としての新舞踊の公演回数は 1999 年には 55 ⽇(57 回)であったが、2006 年には 24 ⽇(25 回)と低下している。 創作舞踊である新舞踊は、その内容の演⽬の詳細が統計では把握しきれないため、ジャンル不明の公演回数が増えているものの、仮にこれらを新舞踊と捉えても 1999 年と⽐較すると公演数はおよそ半減している。⽇本芸能実演家団体協議会は狭義の⽇本舞踊の公演活動に対し、以下のように分析している。

実演家以外の主催者が企画を増やしているにもかかわらず、公演活動の低迷が進んでいる。特に古典を主とする⽇本舞踊に関しては、1999 年には 455 回(コンクールを含む)あった育成公演が、181 回と半数以下にまで落ち込んだ。以前は新聞社主催によるコンクールが複数あったが、現在では打ち⽌めとなっており、育成の場が減少する傾向が進んでいる。この背景には、邦舞を習得する⼈⼝が少なくなり、必然的にコンクール等研鑽機会の需要も低くなったことがあろう(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 28 ⾴ )。

このことからも、⽇本舞踊を教える側の⼈⼝と習う側の⼈⼝は減少傾向にあり、発表を⽬的とする公演が減少していることがわかった。
この減少傾向が引き起こされたのは、物理的な場の減少が関係しているように思われる。伝統芸能の公演が活発に⾏われており、公演に適する劇場の多い東京において⽇本舞踊の公演は集中して公演されている。具体的な数値としては、2002 年時の全体における東京での開催割合は約 45 パーセントである(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 25 ⾴ )。東京の前⾝である江⼾において⾏われていた歌舞伎舞踊は古典舞踊の⼤きな割合を占めており、この歌舞伎舞踊に適する場には、先述した所作台に加え、舞台への⼊退出時に使⽤される花道を常設した劇場が望ましいが、必ずしもそのような場でなければ公演が⾏えないわけではない。しかしながら、近年は東京都内の公演に使⽤されていたホールや劇場が⽴て続けに閉鎖されており、公演の場そのものが失われている。これらの場は⼀般企業の私設⽂化施設であったため、メセナ活動の落ち込みに加え、施設の⽼朽化によって建て替えの必要が⽣じたことで、企業は施設運営から撤退または需要に即した別施設への建て替えを実施した。⽇本舞踊の公演数の減少と鑑賞対象としての⽇本舞踊需要は⽇本舞踊の実践者が⽇本舞踊の鑑賞者であることから相関関係にあるといえる。

2.4.2 ⽇本舞踊の鑑賞対象としての⼈気の減少

では、鑑賞する⽂化芸術としての⽇本舞踊の需要は落ち込んでいるのかを、1987年から 2021 年にかけて⽂化庁が⾏った 9 回分の「⽂化に関する世論調査」から⽇本舞踊に対する⽇本国内における⽇本舞踊への関⼼の推移を明らかにしたい(⽂化庁1987, 1966, 2003, 2009, 2016, 2019, 2020, 2021, 2022)。1 年間に直接鑑賞した⽂化芸術についてのアンケート結果について⽇本舞踊と歌舞伎の変遷を辿ると図2.1 のようになる。1987 年から 2003 年までは両⽅ともほとんど同じ推移を辿るが、⽇本舞踊は徐々に鑑賞数が減り、最終的には約 1/6 まで鑑賞数が減った。⼀⽅の歌舞伎も減少傾向ではあるが、2022 年には若⼲の向上を⾒せている。今後さらに鑑賞したい⽂化芸術のアンケートは 1987 年から 2003 年までに 3 回しか⾏われていないが、図 2.2 が⽰すように歌舞伎が上昇傾向にあるのに対し、⽇本舞踊は緩やか減少傾向にある。昭和から現在にかけての直近 35 年間の動向からしても、⽇本舞踊は⼈気が減少していることがわかった。

(8)歌舞伎は 2019 年に⼤幅な上昇があったかのように⾒えるが、これは歌舞伎が伝統芸能(歌舞伎、能・狂⾔、⼈形浄瑠璃、こと、三味線、尺⼋、雅楽、声明)の項⽬に統合されたためである。

2.4.3 ⽇本舞踊のメディア露出の低下

⽇本舞踊の⼈気の変遷は、テレビ番組における露出度合いにも反映されている。
ここでは特に⽇本の公共放送でのテレビ番組における⽇本舞踊の歴史に注⽬してその様⼦を追うことにする。1953 年 2 ⽉に⽇本放送協会(NHK)が⽇本で初めてテレビの放送を開始した。「テレビ檜舞台(9)」(1954 年 7 ⽉-1959 年 03 ⽉)が放送される以前は、各種伝統芸能が単発で放送されていたが、この番組によってフォーマットが統⼀されるようになり、初めて伝統芸能というジャンルに統合が⾏われた。総合的に伝統芸能を紹介する番組として、夜のゴールデンタイムに「バレエ」番組と隔週で放送していた。次に、1954 年の芸術祭において芸術祭賞を受賞した作品を再構成して番組化した「舞踊回り舞台」(1956 年 6 ⽉-1961 年 3 ⽉)は始まった。「舞踊回り舞台」はテレビ放送に適した⽇本舞踊の演出⽅法を⽣み出した、テレビにおける趣向を凝らした番組であり、⽇本舞踊にとって重要な役割を果たした番組と⾔えるだろう。1956 年 11 ⽉に「テレビ檜舞台」が「テレビ百花選」(1956 年 11 ⽉-1957 年4⽉)へと改題され、毎週放送される番組となったが、次第に創作舞踊化していった。

「テレビ百花選」を後継する形で作成された「⽇本の芸能」(1957 年 4⽉-1966 年 3 ⽉)は⽇本の伝統芸能の普及を⽬的とする教養娯楽番組で、⾦曜夜にかけて放送された 30〜40 分の番組である。内容は曲⽬の解説とハイライトを紹介しながら、交互に能、⽇本舞踊、邦楽、郷⼟芸能を放送した。⻑時間番組としては、舞台芸術を⻑尺で放送する「芸術劇場」の 1 枠として 2 か⽉に 1 回 90 分放送された⽇本舞踊の鑑賞⼊⾨となる「芸術劇場〜⽇本の舞踊」(1960 年 5 ⽉-1963 年 3 ⽉)があった。この番組は⽇本舞踊を系統⽴てて分類し、⽇本舞踊への理解と普及を⽬指し、舞踊評論家の松本⻲松との対談形式による解説が⾏われた。10 年ほど時間が空いて、「邦楽まわり舞台」(1976 年 4 ⽉-1982 年 3 ⽉)が夜間番組として誕⽣した。⽇本舞踊と邦楽演奏を各流派の⼀流の演者と話題の新⼈にスポットを当てながら、演者へのインタビューもまじえて紹介した。内容は古典舞踊から創作舞踊そして現代邦楽にも及んだ。6 年間⾦曜午後 9 時に 45 分間放送された「邦楽百選」(1982 年 4 ⽉-1988 年 4 ⽉)は「邦楽まわり舞台」と同じく、⽇本舞踊を中⼼に、邦楽の名曲を紹介した番組で、伝統芸能の魅⼒の発信と保存育成の役割も担った。「邦楽百選」の後継番組である「芸能花舞台」(1988 年 4 ⽉-2011 年 3 ⽉)は、⽇本舞踊や邦楽の名曲を⼈間国宝を含む各流派の実⼒者や、中堅の若⼿が出演した⻑寿番組で多⾯的に古典作品を 22 年間にわたって紹介した。しかし、これ以降は⽇本舞踊がメインとなる⻑期間番組はなく、「芸能花舞台」の後継番組である「にっぽんの芸能」(2011 年 4 ⽉〜)は能、⽂楽、歌舞伎などの古典芸能を中⼼としており、⽇本舞踊は時折放送される程度に⽌まっている。⻄形は⽇本舞踊のテレビ露出について「(筆者注:1950 年代) この時期は放送開始から⽇も浅く⼀般家庭の普及率も低かったので、テレビ⽂化の影響は少なかった。しかし現在のテレビにおける⽇本舞踊の番組をみると、くらべものにならない多くの時間帯が組まれていたことを明記しておきたい」と指摘している(⻄形 2006, 654 ⾴)。直接鑑賞した⽇本舞踊の数が「芸能花舞台」の放送終了後から減少していることからも、メディア露出と鑑賞数に相関があると⾔えるだろう。需要の⾼かったかつての⽇本舞踊の状況と現代の⽇本舞踊の状況を⽐較すると、メディアへの露出度が低下しており、⼈気の低下の影響が出ていることがわかった。

(9) 1955 年度は 4 本のみ放送。

2.4.4 ⽇本舞踊にかかる費⽤

経済的な問題に関しては、好景気だった 1980 年代以前とは⽇本⼈の懐事情が⼤きく変化したことで、⽇本舞踊家と⽇本舞踊を習う⼈々への⾦銭的負荷が相対的に増え、⼈々の消費意識と消費⾏動に変化が⾒られる。⼈々が⽇本舞踊を敬遠する理由は様々だが、ここでは⾦銭的側⾯から詳細を明らかにしていく。⽇本舞踊実践者へのインタビューから⽇本舞踊を習う上で必要な費⽤を聞いたところ、⽇常的にかかる経費としては 1 万円から 3 万円前後の⽉謝及びイベント毎に納めることが推奨される贈答品代、そして最低限の着物と浴⾐の購⼊費があることがわかった。これに加え、⽇本舞踊においてライセンス的役割を持つ名取と師範になることを望むのであれば、認定料に 50 万前後、その後のお披露⽬舞台に 100 万円以上がかかることがわかった。⾃らの⽇本舞踊の技術を発表会で披露する際には、踊り⽤の⾐装とかつらを⾐装屋から借りるかオーダーメイドで作る必要があり、踊る内容や舞台の規模にもよるが 30 万から 100 万を超える費⽤がかかる。さらに、舞台上で⾐装を変える作品や⼩道具を利⽤する作品の場合は後⾒と呼ばれるヘルパーを雇う必要があり、録⾳されたテープを再⽣するのではなく、⽣演奏で公演する場合は地⽅と呼ばれる
三味線を弾き、歌うパフォーマーに対して費⽤を⽀払う必要がある。発表会では揃えの着物を誂える場合もあり、その際には踊り⼿は⾼い出費を覚悟しなくてはならない。

⽇本舞踊実践者にとって、これらの費⽤がかかることは当たり前に認識されているが、⽇本舞踊にかかる費⽤は⼀般的な習い事にかける費⽤と⽐較して⾦銭的負荷が⼤きいといえる。総務省による 2021 年の家計調査の第⼀表による1世帯当たり1か⽉間の収⼊と⽀出について調べると、勤労者世帯の実収⼊は 522,572 円であり、実⽀出は 360,457 円である。収⼊を分けて⾒てみると、世帯主収⼊としては 409,088円で、世帯主配偶者収⼊は 60,651 円であり、世帯主配偶者が⼥性の場合の収⼊は58,871 円である。⽀出のうち、教養娯楽費に充てられているのは 24,887 円であり、その中でも⽉謝類の費⽤は 2,636 円である。今⽇の⽇本における家計の平均収⼊と⽀出から鑑みるに、習い事としての⽇本舞踊が⽇本舞踊実践者に負わせる経済的な負担は軽いとは⾔えないだろう。さらに、⽇本舞踊にとって必須である着物について考えたい。先ほどは発表会の際の本⾐装の費⽤について⾔及したが、⽇本舞踊の指導の際は浴⾐を着て⾏うか普段着⽤の格の低い着物が利⽤されることが多いため、それらの⽀出も考慮すべきである。浴⾐、振り袖、はかま、甚平、和装コート、⽻織、和服⽤の帯の⽀出が集計される和服の項⽬の⽀出⾦額の推移を⾒ると、2000 年台初頭から現在に⾄るまでに、⼈々の⽀出額が減少していることがわかる。和服を含む被服全体の消費も 2002 年には 195,110 円であったが、2018 年には約 3 分の 2 へと減少し、137,451 円となっていることから被服全体の消費の減少傾向があるのは確かだが、和服の1世帯当たり⽀出⾦額は 2002 年には 7,952 円であったのに対し、2018 年は 2,094 円と約 4 分の 1 に減少しており、和服の減少割合が⼤きい(総務省統計局 2020)。 この⽀出⾦額に対し、総務省統計局 ⼩売物価統計調査によると 2022 年 11 ⽉現在の婦⼈着物 1 着の平均⾦額は 309,097 円である。⽇常的な稽古のために新品の着物を誂える必要に迫られることは少ないものの、舞台⽤でない着物の平均⾦額でさえ年間の着物の⽀出⾦額の約 150 倍の⾦額であることから、⾦銭的負担は⼤きいことがわかる。和服の⽀出⾦額の少なさからも、現代⽇本において着物が⽇常的に着られる服としての存在感を失っていることがわかり、近年では⾃分で着物を着られない⼈も多い。着物を着る機会の⼀つであった⽇本舞踊の稽古に⾏く⼈が減ったことや⽇常的な発表会であるおさらい会が減少したことも、着物の消費額の減少に少なからず影響をもたらしたと⾔えるだろう。このように、「⽇本舞踊はお⾦がかかる」、「おさらい会は⾼い」という習い事としての⽇本舞踊に関する⾔説は、⼈々の習い事に対してかけるお⾦として想定する⾦額を超えているため、事実と⾔えるだろう。

2.4.5 教育問題

⽇本舞踊の教授法からくるキャパシティの問題は⽇本舞踊の技の継承を滞らせている原因の⼀つでもある。⼀般的に、⽇本舞踊を含む伝統芸能の舞踊技術の継承における通常の⽅法は師匠が弟⼦に稽古をつける⽅法がとられ、家元制度と呼ばれる家元が⼀定の評価を認定した者に師匠の資格を与え、構成したトップダウンの階層構造によってなる封建的制度によって成り⽴っている。師範の免状を家元から授かった舞踊者は流派の名前のもとに⽇本舞踊教室を開くことができるようになり、師匠として⽇本舞踊を習いたい⼈を募って弟⼦とする。

しかし、⽇本舞踊を習う側からしてみれば、しばらく習ってみるまで師匠の⼈柄や教え⽅がわからないことが懸念点としてある。基本的に⽇本舞踊を習う場合、師事できるのは 1 ⼈の師匠であるため、その師匠が教授に⻑けているかどうかを弟⼦になる前に他の師匠と⽐較して知ることはできない。また、師匠⾃⾝も教授法を誰かから習ったわけではなく、⾃分の習ったように教えているため、教え⽅のクオリティには差が⽣まれる上、師匠⾃⾝が⾃らの教授法の改善⽅法を知ろうとしても機会が乏しいという問題がある。さらに⾔えば、⽇本舞踊教室において教授を⾏うのは師匠 1 ⼈であり、教室の運営を⾏うのも師匠だけであることが多いため、1 ⽇を最⼤限に利⽤しても教えられる⼈数には限りがあり、公演の時間を考慮すると教授活動と公演活動のバランスと質の維持が難しい。更なる師匠から弟⼦への⼈から⼈への継承及び、ビジネスとしてのプロデューサーとマネジメント体制の⽋如に関しての研究については岡⽥らの「⽇本舞踊における持続可能な基盤づくりに向けた研究」(2016)を参照されたい。

⽇本舞踊は、基本的に師匠と弟⼦が⼀対⼀で稽古をするシステムで教授される都合上、技術の継承は学校システムのように⼤⼈数に⼀律に⾏うことが困難である。そして、流派ごと、師匠ごとに教え⽅が異なるため、⼀律の教わり⽅というものがシステマティックに存在しているわけではない。習う内容についても、基礎を教え終わった後は師匠が弟⼦の踊りのレベルや年齢、発表会の演⽬のなどの兼ね合いの中で弟⼦と相談して習う演⽬を決めていくので、同じ時期に同じ流派の⽇本舞踊を習い始めた初⼼者が 2 ⼈いたとしても、踊れるレパートリーは異なることが想像できる。⼀⽅で、伝統芸能の枠組みの中では⽐較的性質が近く、⽐較に挙げられがちな邦楽は 1998 年の学校指導要領の改訂によって⾳学科の器楽指導における取り扱いについて「和楽器については、3学年間を通じて1種類以上の楽器を⽤いること」(⽂部科学省 1998, 63)との記述が追加され、さらにはより⼦供たちに⽇本の伝統⾳楽を尊重する姿勢を育ませるために、「3学年間を通じて 1 種類以上の和楽器を取り扱い、その表現活動を通して、⽣徒が我が国や郷⼟の伝統⾳楽のよさを味わい、愛着をもつことができるよう⼯夫すること」(⽂部科学省 2018, 105 ⾴)というより詳細な記述がなされる様になった。このことで、学校教育における邦楽への接触機会が増え、若年層の関⼼が上がってきている。⽇本舞踊が学校教育に採り⼊れられていないのは、⼀律の流派だけを参⼊させることに政治的問題が含まれてしまうことはもちろん、学校の体育及び⾳楽のシステムとも相性があっていないことも原因と考えられるが、若い世代からの認知を獲得するためには学校教育への参⼊が求められるだろう。

2.4.6 従来の説

以上に概観してきたことを総括しながら⽇本舞踊に対する従来の説について確認しよう。元来、⽇本舞踊は⼦⼥が⾝に付けるべきたしなみ・教養の⼀つとしてお稽古事の市場において優位性を持っていた。その詳細は『葛巻昌興⽇記能楽関係記事稿』(1719)においても確認することができ、江⼾時代後期の⾵俗を描いた式亭三⾺の『浮世⾵呂』(1909)からも、踊りと三味線、箏が代表的なお稽古事であったことがわかる。しかし、時代の変化とともに⻄洋⽂化からくる稽古事が盛んになっていき、ピアノ等が⼥⼦の習い事としての⼈気を集めることとなった(⽚岡 2019,269-274 ⾴)。このため、稽古事が盛んな⽇本において、⽇本舞踊は他ジャンルの習い事との苛烈な競争に参⼊させられることとなったと⾔える。坂本(2002)は、稽古事というのは本来、⺟親が師匠という名の他⼈に委託して⾏う娘の成⼈教育であり、⾏儀作法や社会常識を⾝につけることに重点が置かれる伝統的な花嫁修業であるのに対し、 ⻄洋⾳楽の稽古事は東京⾳楽学校での職業教育に接続し、プロの⻄洋⾳楽家として職業的に⾃⽴を可能にするものであることから同じ稽古事であっても基盤が全く異なる点を強調している(坂本 2002 年、67 ⾴)。これは⻄洋の習い事に⽇本の伝統的な習い事が押されてしまった理由と考えることができるだろう。時代が進むにつれて、価値観の変化とニーズの変化が起こる中、⽇本舞踊に親しんでいた⼈たちも世代交代が進み、⼈々の経済状況の変化と習い事の多様化、そして習い事に対してかけられる⽀出額の問題から⽇本舞踊を習い事として選択する割合が低下したことを鑑みると、特に若い世代にとっては学校教育に含まれていない⽇本舞踊にはそもそも親しみを持つ機会が少なかったことが予想できる。

2.4.7 ⽂化資本論を⽤いた考察

これまでの説によると、⽇本舞踊が衰退したと⾔われる要因は主に時代の変化によって⽣じた環境要因の変化だと分かったが、なぜ⽇本舞踊と同じく⼦⼥のたしなみとされた茶道や花道などの他の伝統的習い事と⽐較して、⽇本舞踊界が特に落ち込んでいるとされがちなのかの説明がつかない。そこでブルデューと⽚岡の研究をもとに習い事による教養の獲得を⽂化資本論によって考察してみることで、⽇本舞踊が習い事として栄えていた頃と⽐較して⽇本舞踊を習う⼦⼥にもたらす効⽤の減少の可能性を提⽰したい。⽇本舞踊はブルデューが提唱した⽂化資本(capital culturel)、経済資本(capital économique)、社会関係資本(capital social)の
3種類のうち、直接的には⽂化資本の中の制度化された⽂化資本と⾝体化された⽂化資本に該当すると考えられるだろう。⽇本舞踊を習うと⾔う⾏為には、⽇本舞踊を通じて⾝体化された⽂化資本(=ハビトゥス)を獲得する機能を有しているうえ、家元から名取や師範として認められて免状を授かれば制度化された⽂化資本を獲得することができる。男性のように公的領域での地位競争に参加することができず、社会的制約によって私的領域にとどまらざるを得なかった⼥性にとって、教養を⾝につけて⾃らを⽂化資本化することは、経済資本を持つ男性と婚姻関係を結び、⾃らと家に社会関係資本をもたらすことにつながる戦略的⼿段であり、⼥性の⽴⾝出世の⼿法であったといえる。これは武⼠階級の娘だけでなく、商⼈階級の娘にも⾔えることであり、⾃らを稽古事の習得によって⽂化資本化すれば、職業的地位(奉公)を獲得し、⾝分階級を乗り越えることをも可能にした。結婚し妻となった⼥性は家庭内で⽂化を娘に相続させ、さまざまな稽古事を習わせ、教育⽬的を超えた⽂化投資を⾏い、⽂化資本を親⼦の世代間で再⽣産していった。

このようにしてこれまでは、⼥性は家⽗⻑制のなかで抑圧された存在であり、社会に出るのではなく、家庭内に留まり家事や育児などの伝統的に⼥性に割り当てられてきた役割をこなすことが社会的に当然とされ、⼥性のあるべき姿というものが広く⼈々に浸透していたため、娘たちに稽古事をさせることも広く浸透していたと⾔えよう。しかし、アメリカでは戦争による⼥性の社会進出によってこの観念に変化が訪れた。⼥性はこれまで家庭という私的領域の中で家庭内の労働に従事していたが、男性の不在をきっかけに、公の領域での仕事と社会との関わりを得て、経済的な⾃⽴の経験を獲得した。そして、1960 年代から 70 年代にかけて起きた第⼆波フェミニズム運動では、活動的で多様性のある⼥性像が⽣まれてくる。社会から求められてきた⼥性らしさやあるべき姿から解放され、⾝体的にも社会的にも⼥性の権利と平等を求める中産階級⼥性が増えていった。しかしながら、⽇本では現在もなお、⼥性に対して社会的に⼥性らしさが求められている側⾯が多く、社会進出しながらも⼦供を産み育てる良き⺟としての⼆重の労働が求められていく中で、制度による⽂化資本としての伝統芸能の師範という職業は、そのどちらをも両⽴することのできるものであり、⼥⼦に求める教養や素養の獲得と職業の獲得に軋轢を⽣まないものだったため、昭和までは⽐較的習い事の需要が保たれていたと⾔える。しかし、時代が変化するのに合わせて、対応する⽂化資本にも変化が⽣まれてきた。現代⽇本社会では⼥性も男性と同じような学歴社会に参⼊するようになってきたため、かつてのように⽂化資本が担っていた経済的資本獲得のための戦略的⽂化資本としての役割は薄まり、より社会で実⽤的とされる英語やプログラミングなどの学校にて収益を上げられる⽂化資本の需要が⾼まっている(⽚岡 2019)。⼩学 4年⽣を境に⽇本舞踊を辞める⼦供が多いのは(⽇本芸能実演家団体協議会 2008, 81⾴ )、⽇本が学歴社会であることに影響を受けている可能性がある。昨今の⽇本における学歴獲得を重視する傾向があるが、都市部では中学受験競争が激化しており、⼦供を受験させる場合は⼩学四年⽣から受験⽤の塾に通わせることが⼀般的であるためだ。このことから、現代では⽇本舞踊のような⾝体化された⽂化資本の獲得よりも、学歴資本獲得のための受験勉強に重きを置く親が多いことが推察できる。

⽚岡(2019)によると、⽇本の趣味活動はブルデューの提⽰する趣味活動とは異なる伝統芸術趣味、⻄洋⽂化趣味、⼤衆⽂化趣味の 3 つの種類によって構成されているという。⽇本の伝統芸能に関わる趣味活動である伝統芸術趣味は⾼い経済資本を背景として成⽴する趣味であり、ブルデューの分析においてブルジョアの贅沢趣味に当たるものである(⽚岡 2019, 105 ⾴)。⼀⽅で、クラシック⾳楽やピアノなどの⻄洋⽂化趣味は学歴資本の獲得によって⽀配階級への参⼊を果たそうとする集団において散⾒される趣味である(⽚岡 2019, 105-107 ⾴)。最後に、中流以下の階層における威信の低い⼤衆⽂化趣味があるが、これは誰もがアクセスできる階層横断的な共通⽂化として⽂化の象徴的境界の存在を隠蔽する機能を有している(⽚岡 2019, 145 ⾴)。⼤衆⽂化趣味は⽇本舞踊にとって娯楽としての競争を強いられる相⼿であるが、娯楽性と⼤衆性を持つ広義の⽇本舞踊が⼤衆⽂化の中でポジショニングに成功すれば、その恩恵を狭義の⽇本舞踊も受けることができるかもしれない。

⽇本舞踊にとって不幸なのは、⾦銭的⽀援をしていた舞踊者以外の主体が撤退
し、これまで利点であった「必要性からの距離」が⼤きい⽂化であることが、今⽇においては、これまで⽇本舞踊を習っていた⼈⼝層にとって継続と復帰、そして⼦への世代間再⽣産を難しくさせていることだ。ブルデューは正統趣味を理解できるようになるためには学校で⽂化を学ぶだけでは、不⼗分であり、親の実践と本⼈の幼少の頃からの経験など、⽂化の獲得には経済的なゆとりと⽂化の蓄積のための時間が必要だとしており、このゆとりの⼤きさを「必要性からの距離」と定義している(Bourdieu 1979)。⽇本舞踊の経済的な歴史を⽀援の側⾯から概観すると、⽇本舞踊界は⽇本舞踊を経済的に⽀えていた財閥等のパトロンが戦後解体されるという痛⼿を負い、⽇本経済が好景気に⼊った際には企業のメセナ活動などによって恩恵を受けることができたものの、バブル経済が崩壊してからはスポンサーとなっていた企業の⽀援が下⽕になってしまっていることが挙げられる。さらには⽇本社会の経済成⻑を⽀えることになった新興の学歴資本獲得層は、⼦供への⽂化資本投資に⻄洋⽂化趣味の習い事を選択するため、⽇本舞踊という⾝体化された⽂化資本の獲得と継承が失われつつあるといえる。これには⽇本の家族の在り⽅が核家族化することで家族間・世代間の共通のハビトゥスとしての存在を薄れさせていったこともその要因の⼀つであると考察することができるだろう。

学歴を重視する現代の⽇本においてはこれまでの⽇本舞踊の訴求コピーは特に若年層及び⼦供を持つ親にとって有効ではなくなってきている可能性がある。⽂化庁の⾏った世論調査からは約 10 年の間に親が⼦供の⽂化芸術体験について期待する効果の推移において、⽇本舞踊教室において訴求ポイントに対応すると思われる 2項⽬は減少傾向にあることがわかる(図 2.3 参照)。

以上のように、⼈⼝減少や習い事産業としての訴求⼒の問題以外にも、⽂化資本としての価値づけの変化と上流階級の変化が⽇本舞踊に影響をもたらしてきたと私は考える。従来の上流階級と新興の上流階級では嗜好する⽂化資本の種類が異なっていたため、⽂化資本としての⽇本舞踊の価値は直接的な婚姻を利⽤する資本転換を最終的な⽬標としていた頃とは変化したにしろ、⾝体化された⽂化資本としての価値を保つことはできている。しかしながら、今後は外国⼈や⽇本舞踊に親しみのない⽇本⼈にも裾野を広げていけるようにしなければ⽇本舞踊を守り、育んでいくためのコミュニティを維持することは難しいだろう。もちろん、⽇本舞踊実践者によって伝承の姿勢に対する意⾒は保守的なものから変化に寛容なものまで様々なものがあると思われる。例として、狂⾔の流派ごとの姿勢を挙げてみよう。狂⾔は泉和流と⼤蔵流の⼆流派が残っており、⼤蔵流は猿楽の本流の狂⾔を継承している能楽最古の流派である。⼤蔵流のうち、東京を本拠地とする⼭本東次郎家と京都を本拠地とする茂⼭千五郎家は狂⾔に対する姿勢が正反対であるといえる。⼭本東次郎家三世は「乱れて盛んになるよりも、むしろ堅く守って滅びよ(10)」という家訓を残し、明治以降に作られた新作狂⾔を⼀切演じないが、茂⼭千五郎家は「お⾖腐狂⾔(11)」として「余興に困ったら、茂⼭の狂⾔にでもしとこか」と気軽に呼ばれる、気軽に観られる狂⾔のあり⽅を続けており、毎⽉新作狂⾔の公演を⾏なっている。⼭本東次郎家三世の⾔葉は伝統を重んじる実践者にとっては賛同できる姿勢であり、多様な姿勢は尊重されるべきだが、事実として狂⾔にかつてあった三流派⽬の鷺流は明治の移り変わりに対応することができずに滅びてしまった。堅く守る伝統も未来に残すためには、⼈による伝統の継承以外の⽅法も模索する必要があるだろう。では、巨⼤で解決の難しい問題を抱えながらも、⽇本舞踊が今後も存続し、次の世代へと継承されていくにはどのような営みが必要とされるのかを⽂化資源の枠組みを⽤いて考えたい。

(10)「⼤蔵流狂⾔ ⼭本東次郎家」 。⼤蔵流狂⾔ ⼭本家。2022 年 11 ⽉ 28 ⽇アクセス。https://www.kyogenyamamoto.com/about.html。
(11) 「お⾖腐狂⾔とは」。お⾖腐狂⾔ 茂⼭千五郎家。2022 年 11 ⽉ 28 ⽇アクセス。https://kyotokyogen.com/about/otofu-kyogen/。

3 ⽂化資源化について ⽂化資源としての⽇本舞踊

⽂化資源と⽂化資源化

⽂化資源とは何かを定義するにあたって、⽂化と資源の2つの単語が範疇に含めることのできる対象はあまりに広く、ほとんど全てのものは⽂化資源と捉えることができるが、それでは⽂化資源という概念を⽤いた議論が難しい。⽂化資源学会は⽂化資源について以下のように説明している。

私たちは過去現在の豊かな⽂化資源をもっています。私たちは、これまでの豊かな⽂化資源を有効に活⽤し、新たな⽂化資源を創成して未来へ引き継ぐ責任があります。⽂化資源とは、ある時代の社会と⽂化を知るための⼿がかりとなる貴重な資料の総体であり、これを私たちは⽂化資料体と呼びます。⽂化資料体には、博物館や資料庫に収めきれない建物や都市の景観、あるいは伝統的な芸能や祭礼など、有形無形のものが含まれます。しかし、多くの資料は死蔵され、消費され、活⽤されないまま忘れられています。埋もれた膨⼤な資料の蓄積を、現在および将来の社会で活⽤できるように再⽣・加⼯させ、新たな⽂化を育む⼟壌として資料を資源化し活⽤可能にすることが必要です(⽂化資源学会 2002)。

この説明からは、⽂化資源学においては⽂化資料体がおよそ⽂化資源であるものの、⽂化資料体のうち資源化される対象は限定されることがわかる。理論的にはおおよそ全てのものが⽂化資源となりうるが、現実としては⽂化資料体のうち何らかの主体によって開発や活⽤などの動的な契機を得て資源化されるものが⽂化資源と定義できる。このことから、⽂化資源であることよりも、ある主体によってその対象が意識され、何らかの価値が付与されることで資源として認識され、活⽤されていくというプロセスの⽅がこの⽂化資源という概念においては重要であることがわかるだろう。 つまり、既に資源である状態がそのものの常態となっている対象を本来の⽂脈から切り離して別の⽂脈の中に差し込むことで新たな意味づけを発⽣させ、資源が潜在的に有していた性質を顕在化させて資源にすることが⽂化資源化といえる(森⼭ 2007a, 60-62 ⾴)。

この⽂化資源の定義の中で、特にデジタル化された⽂化資源のことをここではデジタル⽂化資源と扱う。⽇本舞踊などの性質上「今・ここ」でしか存在できないものを残す⽅法として、⼈の体と記憶以外の媒体において記録されたものはデジタルに⽂化資源化されたものとして捉えることが出来るだろう。

森⼭(2007b)は⽂化資源化のプロセスにおいて、誰を主体に⽂化資源が資源化されたのかという動的な契機に注⽬して分析を⾏う⽅法として、資源化における「誰」をめぐる四重の問い機制を提唱している。この機制では ①誰が 、② 誰の⽂化を、③誰の⽂化として、④誰を⽬掛けて資源化するのかを明らかにすることで⽂化資源化という事態においてその⽂化資源に関わる⾏為者間の関係性と政治性を浮かび上がらせる。

これまでの⽇本舞踊の⽂化資源化を「誰」をめぐる四重の問いに当てはめれば、①実践者が、国家が、企業が 、②実践者の⽂化を(=⼀部の国⺠の⽂化を)、③実践者の⽂化として、国⺠総体の⽂化として、(他の⽂化との⽐較における)⽇本の⽂化として、④同じ⽂化規範の中にいる⼈たち(=お稽古事をしている⼈たち、⽂化を理解するための教養を⾝につけている⼈たち、他の舞踊団体)、国⺠、⽂化規
範を共有しない⼈たち(=同じ⽂化にいない≒習っていない、親しみのない)別の⽂化に属する海外の⼈々を⽬掛けて資源化するといった位置付けになると考える。

⼀⽅で、本研究が⽬指す⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化において、この機制を新たに当てはめ直すと、①実践者が、②実践者の⽂化を、③実践者の⽂化として、(他の⽂化との⽐較における)⽇本の⽂化として、④デジタルの世界に向けて(=デジタル上でリーチすることのできる全ての⼈を⽬掛けて)資源化するというように変化すると予測する。デジタル⽂化資源化は、国内外全ての⼈と、これから⽣まれてくる次の世代の⼈に対して、対象に対するアクセスの可能性を開くことから、⽇本舞踊に限らず全ての⽂化資源に対してデジタル化以前と⽐較した際にアベイラビリティを向上させることができる。

資源化とまなざし

ある対象が⽂化資源であるという静的な常態から別の⽂化資源へと変化する際には、他者のまなざしに晒されることをきっかけに能動的働きかけと受動的働きかけが⽣まれる。森⼭は⾒られることによってある主体が戦略的に⾃⼰呈⽰することについて以下のように述べている。

局外者が⾃分たちを<⾒る>眼差しを意識化し,<⾒られる>を<⾒せる>へと転化するとき,そこに⾃分達の<⽂化>を「<資源>にする」という契機が動的に働き、「<資源>である」ものを⾼次の「<資源>にする」というある跳躍が発動されるのである(森⼭ 2007a, 65-66 ⾴)。

このように、まなざす・まなざされることによって、⼀⾒すると⾒られるという受動的⾏為がどう⾒せるかという能動的働きかけへと変化し、⾒るという能動的に思われる⾏為が⾒せられるという受動的⾏為へと逆転する。

まなざし論の議論において問われがちなオリエンタリズムとの関係性については、⽂化資源化と類似した概念として提唱された太⽥好信の⽂化の客体論と同じ結論に⾄るだろう。

簡潔に表現すれば、⽂化の客体化とは、⽂化を操作できる対象として新たにつくりあげることである。そのような客体化の過程には当然、選択性が働く。すなわち、⺠族の⽂化として他者に提⽰できる要素を選びだす必要が発⽣する。そして、その結果選びとられた⽂化は、たとえ過去から継続して存在してきた要素であっても、それが客体化のために選択されたという事実から、もとの⽂脈と同じ意味をもちえない。……こう考えると伝統的な⽂化要素という実体は存在しないことになる。⽂化の客体化によってつくりだされた「⽂化」は、選択的、かつ解釈された存在なのである(太⽥ 1998, 72-73⾴)。

太⽥の論からは、客体化された⽂化は選択され、解釈された存在であり、価値観はその⽂化の外部からのまなざしによって客体化以前の⽂化とは変質することがわかり、それは⻄洋が⾮⻄洋に向けてまなざすオリエンタリズムに限定されるものではないと⾔える。

ここで、デジタル⽂化資源化についてのまなざしについて⾔及しておきたい。本研究において⽇本舞踊のモーションを作成するにあたり、協⼒者である⽇本舞踊家からは、動きを本来よりも強調すべきか、舞台で踊るときにする⼯夫よりも、振りを弟⼦に教える時に⾏う踊りの⼯夫をした⽅が良いのかという問いが上がった。これは、コンピューターヴィジョンによって動きを認識させることを意識した結果、⽇本舞踊家の舞踊が公演⽤の踊りよりも、弟⼦に踊りを教える際の動きをわかりやすく強調した動きにするべきではないかという発想が⽣まれたのではないかと考える。今後、三次元のデジタル⽂化資源化を想定して撮影されるデータは、通常の記録映像と⽐較した際に本来の演出とは若⼲変化していく可能性がある点には注意が必要だろう。

デジタル⽂化資源化による舞踊の記録と記述の困難性の⼀部解決

舞踊は⽂化芸術の中で最も記録と記述が困難なジャンルであると⾔えよう。⾳楽のリズムに合わせて体を動かして⾝体表現を⾏うことは必ずしも訓練を受けなければできない⾏為ではないが、何をもって舞踊とするかの定義と他者に舞踊について語る⽅法論は確⽴されている訳ではない。渡辺保は⽇本舞踊がしきたりや約束事などの前提とされる知識無くしては、参⼊しづらい閉鎖的なものだと捉われてしまう傾向があるが、⽇本舞踊も他の⻄洋の舞踊や現代舞踊にも共通する舞踊の普遍性を有しており、舞踊という事象そのものが持つ障害によってその普遍性が隠れてしまうのだという(渡辺 1991, 3 ⾴)。その障害とは、舞踊の定義の⽋如、領域の不明確さとその閉鎖性、舞踊を語るための⽅法論の⽋如の 3 点にあり、これらは舞踊が瞬間的に消える芸術であるために、さらにその解決を難しくしている

しかし、瞬間的に消えていく舞踊の技術を保存する試みは、舞踊者の⾝体以外を媒介とする⽅法においても模索されてきた。舞踊を記譜する試みの例としては、1589 年にトワノ・アルボーが出版した『Orchesographie』、ルドルフ・ラバンが1926 年に考案した『Labanotation』などがあり、様々な⼿法で実践されてきた。⽇本舞踊については師匠からの⼝伝による教授法が基本であるものの、『標準⽇本舞踊譜』(東京国⽴⽂化財研究所編 1966 年)によると、記譜法は絵図式、記号式、譜語式の3⽅式がある。これらの舞踊記譜法は継承の補助的役割を担ってきたと⾔えるだろう。

しかしながら、⽂字や写真、映像による記録は舞踊を実際に鑑賞した際と同じ経験を再体験させることはできていない。このため、やはり本物の鑑賞は現実で実際に体験しにいかなければいけないという⾔説が定着しているように思う。ただ、舞踊に限らず、演奏や⾝体を⽤いて表現される芸術は映像記録によって視覚と聴覚を中⼼とする情報を実際の体験と⽐較すると完全ではないにしろ、再現することができる。しかし、パフォーマンスが⾏われる場において鑑賞することは視覚と聴覚以外の鑑賞において重視されると思われる現象を引き起こす。例えば、パフォーマンスから発せられる迫⼒や場の空気間といった感覚的に感じ取れるものごと、鑑賞によって鑑賞者の⼼理に湧き起こる情動などだ。

現状、芸術の鑑賞を⽬的とした場合、写真や映像記録ではこれらの鑑賞における感覚的現象と⼼理現象を実際のパフォーマンスと同じように体験させることはできていないが、それでも改善の努⼒あるいは現実の鑑賞では得られない付加価値の創造の開発に取り組むべきだと私は思う。デジタル技術の発展が著しい昨今、CG で作成された写真や映像、ディープラーニングで再現された⼈の演説の様⼦などはもはや本物か造られたものかの判別が困難なほどに精度が⾼く、⼈々がデジタルアーカイブから鑑賞の感動を得られる⽇は遠くないと考えられるだろう。

なぜ⽂化資源論によって⽇本舞踊を捉えるのか

⽇本舞踊実践者による⽇本舞踊の普及のための取り組みはこれまでも多く⾏われてきており、彼らの熱意と使命感は並々ならぬものである。伝統芸能または⽂化芸術体験としての⽇本舞踊の魅⼒の訴求はこれまで⽇本舞踊協会や⽇本舞踊振興財団、集団 ⽇本舞踊 21 などの組織的集団だけでなく、個々の⽇本舞踊家によっても⾏われてきた。しかしながら、依然として昭和から現在にかけて⼈気と⼈⼝の減少傾向が継続していることを鑑みるに、より多くの⼈に⽇本舞踊がアクセス可能になり、再び⼈気を取り戻していくためには、⽇本舞踊を取り巻く構造的な問題に取り組まなければ、抜本的な解決は望めない可能性がある。

⽇本舞踊実践者の情熱がより実を結ぶためには、これまでの⼿段以外の選択肢を新たに得て、⽇本舞踊が今後さらに発展していくための⼟台を作る必要がある。その⽅法として私は、実践者⾃らの⼿による⽇本舞踊のデジタル⽂化資源化を提唱したい。⽇本舞踊の⼆次元情報のデジタルアーカイブは⼈間国宝の踊りから趣味で⽇本舞踊を習っている⼈たちの踊りまで記録が幅広く残っており、これらの⽂化資源を活⽤することで⽇本舞踊を三次元にデジタルデータ化できるだろう。しかし、⽇本舞踊界を活性化させるためには、ただデジタルアーカイブとして⽇本舞踊の記録資料を残すのではなく、その資料を⽂化資源化してデジタル世界でアクセス可能にし、創造とコミュニケーションを誘発させるべきだと私は考える。

120 年分の⽇本舞踊の記録映像

これまでに、多くの写真や映像によって記録されてきた⽇本舞踊は、元からデジタルデータとして作られたボーンデジタル資料だけでなく、アナログ資料もデジタルデータ化されて保管されるようになりつつあることから、ミュージアムや図書館によってデジタルアーカイブ化による情報のアクセサビリティとアベイラビリティの追求がなされていることが伺える。記録映像のうち、公的に記録され保存されているものは独⽴⾏政法⼈⽇本芸術⽂化振興会の運営する伝統芸能情報館とデジタル⽂化ライブラリーに保存されている。だが、VHS 等の記録媒体は有形であり、劣化による消失や損傷の可能性がある。⽇本舞踊の稽古または発表会においても使⽤される⾳源でもある邦楽は、1900 年初頭から 1950 年頃の SP 盤⾳源に関しては⾳声データがデジタルアーカイブされ、国会国⽴図書館のデジタルコレクションの中の歴史的⾳源(れきおん)として保存されている。もちろん、資料はただデジタルアーカイブすれば保存の問題が永続的に解決されるわけではなく、デジタルデータとて記録媒体に依存していることから、データを保存しているサーバーに問題が発⽣した際には同じように消失の危険にさらされるが、アナログデータと⽐較して複製と複数⼿段での保存が容易であるため、リスクを分散することができる。

⽇本舞踊の映像資料が多く残っている理由としては芸者や舞妓らがプレゼンタブルな対象として写真や映像の被写体に選ばれたことがその⼀因であると推測できる。最初に撮影された⽇本舞踊の映像としては、1894 年に撮影された京都の祇園の芸者の踊りがある(図 3.1 参照)。この踊りは外国⼈向けに⽤意されたものであり、伝統的な踊りの様⼦はおよそ含まれてはおらず、これが祇園の芸妓の踊りとして記録されていることに現代の価値観を持つ私たちは違和感を覚えるかもしれない。しかし、⽇本舞踊の変遷を知ることのできるさまざまな種類の映像記録が 120年以上蓄積され続けていることは注⽬に値するだろう。

図 3.1 『京都祇園新地芸妓三⼈晒し布舞の図』

出典: Dickson, W. K.-L. , Film Producer, William Heise, Inc Thomas A. Edison, and Afi/Holt.
Imperial Japanese dance. performed by Sarashe Sisters [United States: Edison Manufacturing Co,
1894] Video, 2022 年 8 ⽉ 13 ⽇アクセス, https://www.loc.gov/item/00694125/.

⽇本舞踊の記録には、記録⽬的で撮影された映像や、鑑賞⽬的で撮影された写
真・映像など多くの種類がある。⼀般の⼈々がアクセスできた⽇本舞踊の映像としては、NHK で放送されていた⽇本舞踊番組がある。しかし、鑑賞⽬的で制作された映像は必ずしも、より詳細な技術を伝承するためのデジタル⽂化資源化に貢献するわけではない。これまでの映像記録は⽇本舞踊実践者たちが⾃らの記録と記念のために残した⼀般に公開されずに保管されている記録映像、テレビ番組においてエンターテイメントとしての消費または教育を⽬的に⼀般向けに制作された舞踊番組、舞踊と舞踊者の美しさを強調し、芸術的価値に重きを置く、鑑賞向けに制作された映像などに⼤別できると考えられる。ここで注意したいのは、上記 3 点の中で現状3 次元でのモーションを推定することができるのは、⽇本舞踊者が⾃ら撮影した記録だけの場合が多い。これは、基本的に舞台全体が映るように固定して設置し、撮影された映像であるためだ。他の映像の場合、舞踊者の顔にズームアップされて他の⾝体部分、特に下半⾝が全く映らなくなるシーンが⽣まれることが多く、その箇所は推定することができない。また、舞台上で移動する舞踊者をカメラが追いかけてしまったり、さらにはその際にズームされたりしてしまうと舞台上の位置情報と⾝体部位の位置情報を得ることが極めて難しくなる。さらに、鑑賞⽤に加⼯・編集された舞踊映像は映像としては単調になってしまう箇所がトリミングされていたりするため、シーンとシーンの間の体の位置を補完することができないうえ、舞踊⼀曲の完全な三次元データを取ることができない。⽇本舞踊実践者たちが保有している映像記録には舞踊の三次元化を可能にするために必要な情報が揃っていることが多いが、⽇本舞踊家へのインタビューではほとんど⾒返すこともなく、記念に保管しているだけであるとの回答が複数⼈から得られた。このように、⽇本舞踊界にとって資源となりうる映像資料がほとんどの場合死蔵されている現状は⾮常に惜しいと⾔えるだろう。

⽂化資源化が明らかにすること、覆い隠すこと

⽂化資源化は、ある点に関しては可能性を⼤いに開いているが、ある側⾯に関してはその様相を覆い隠してしまう点がある。ただ誰にも⾒られることも気にされることもなく存在していただけの状態、あるいはそのまま破棄されてしまう可能性があった状態から、⼈の⽬に触れられるアクセシビリティとアベイラビリティを持った状態へと変化させ、新たな⽂脈においての価値づけによって活⽤されるようになることは⽂化資源化の⼤きい利点として考えることができる。⼀⽅で、⽂化資源化とデジタル⽂化資源化には⾒過ごされるべきではない要素がある。まず、ある対象を⽂化資源化する際には、⽂化資源化させた⼈の意図が介⼊することになる。それは多くの場合、もともとその対象が存在した⽂脈から対象を脱⽂脈化させ、これまでとは異なる価値づけと意味付けを⾏うことで、その⽂化資源を育んできた⼈々にこれまでとは異なる影響や意識の変化をもたらす可能性がある。この変化はポジティブなものからネガティブなものまで差があるものの、変化した⼈々の価値観を⽂化資源化以前の価値観に戻すことはできないため、⽂化資源化には不可逆性があることは注意する必要がある。

次に、メディア記録・デジタル技術を⽤いた⽂化資源が⾮常に鮮明で明確に描写することのできる分野がある⼀⽅で、対象の様相を覆い隠してしまう部分がある点を指摘する。記録を残す主体者が残さないと決めたものは記録が残されないため、後世では残っていないものは時に存在していなかったと判断されてしまう可能性があり、記録されなかったものは想像でしか補えなくなってしまう。ただし、ある対象を記録して残そうとしても、完全に記録することは難しい。これは、性質上記録できないことと意図的に記録しないこと、⾮意識的な⾒落としの 3 つのために、現実の事象すべてを情報媒体に完全に記録する事ができないからである。⽂化資源を扱う際には、何が残され、何が淘汰されたのかという政治性の観点に注意を払う必要があるだろう。

これは、デジタル⽂化資源化についても同じことが⾔える。技術者によるデジタル⽂化資源化の取り組みだけでは、実践者や、⽇本舞踊の事業者にとって重要な要素があったとしても、それを考慮してデジタル⽂化資源化あるいはデジタルアーカイブ化されない可能性がある。スタンダードと⾒做される形式ができると、その対象に関わりのない⼈たちにとっては、その記録が真正性を有する表象だと認識されがちだと⾔える。それは、わざわざ⾒せようと動的に働きかけられなかった事象や対象が属する⽂脈における⼈々にとっての⽇常世界が意識的か⾮意識的かに関わらず記録情報から⽋損させてしまう危険性を有している。

個々の⽇本舞踊実践者によるデジタル⽂化資源化において⽀障となることが予測される制約としては技術⼒の問題とコストの問題がある。しかし、技術的制約と機材が要する⾦銭的な負担は技術の進歩と⼀般化によって軽減してきている。今後新たに記録される⽇本舞踊のデジタル⽂化資源だけでなく、これまでの制約の中で記録された⽂化資源から、これまで残せなかった情報や気づいていなかった発⾒を発掘できる可能性がある点において⽇本舞踊の⽂化資源化には価値があり、その際には⽂化資源化によって何が変化したと考えられるか、どのような政治性の中で⽣まれた⽂化資源なのかを考慮することが必要だろう。

4 Literature Review

19 世紀以降からは⼈の⾝体と記憶によらない舞踊の伝承が始まり、20 世紀になるとデジタル技術がより発展して写真や映像による記録が可能になった。21 世紀の今、これまで以上に情報を多く含む記録の⽣成が⼀般的に可能になっている。ここではテクノロジーを⽤いて⽇本舞踊の抱える問題を解決と発展に貢献してきた舞踊研究について概観する。

4.1 ⽇本舞踊の問題を解決するために技術介⼊による解決を⽬指した先⾏研究

舞踊研究の流れと種類を理解するのには4つの分類が役に⽴つ。海野敏は舞踊学会のシンポジウムにおいて、舞踊研究の中でコンピュータが利⽤された先⾏研究を4 領域に分類した。これらの領域は舞踊作品・舞踊動作を対象とした既存研究を⽬的別に 1.記録・可視化、 2.⽐較・分析、3.学習・教育、 4.振付・創作の研究と⼤別するものだ。ただし、多くの場合これらの領域は相互的に影響しあい、複数の領域にわたって展開される研究が多い。ここからは、⽇本舞踊の研究において、この 4領域の中から主要と思われる研究を概観することで、どのような課題と貢献が求められているのかを明らかにする。

舞踊作品・舞踊動作の記録・可視化の研究

まず、⽇本舞踊の記録の分野について⽋かすことのできないものに伝統芸能情報館と⽂化デジタルライブラリーによる映像記録がある。前章で説明したように、伝統芸能情報館では後世で活⽤されることを念頭に映像記録が撮影され、保存されてきたため、様々な伝統芸能の⽂書、写真、映像が収蔵されている。⼤学機関による記録としては、⽴命館アート・リサーチセンターが記録と保存、発信から研究に⾄るまでを網羅的に⾏なっている。記録と可視化の研究のうち、延原翔平(2013)による「3 次元ビデオによる⼈体 3 次元計測とその応⽤」の研究では多視点映像⼊⼒によって 2 名の舞妓の舞を、着⾐を含めて撮影することで全周囲⾃遊視点⽴体映像⽣成に成功しており、その応⽤としては 2017 年に全⽇本空輸株式会社(ANA)が実施したインバウンドプロジェクト「IS JAPAN COOL? DOU」がある。

単眼画像を⼊⼒とする研究としては、梶原ら (2018)の「和装⼈物の単視点姿勢推定のための遮蔽部位 3 次元位置推定」がある。梶原は本研究と同じく、着物のように⾝体に布をかけて着る懸⾐型の⾐服は着⾐が洋服のような⾝体に接着する窄⾐型ではないことから関節の位置の推測が⼈によっても難しいため、学習データの取得が困難であることを指摘している。梶原は同等の特徴を⽰す運動軌跡間で対応付けを⾏い、測定可能な露出関節間で求めた対応付けから逆運動学的に遮蔽関節を推定する⼿法を提案し、和装時と⾮和装時の⼆通りのモーションキャプチャデータを⽤いて対応づけを⾏い、学習データ作成のための有効性を⽰した。しかし、⼋村(2003)が指摘するように、⾝体の動きに加え、着⾐の状態も重要である⽇本舞踊等の伝統芸能の記録にはモーションキャプチャだけでは不⾜がある。

しかしながら、姿勢推定によって着物を着⽤した⼈物のモーションデータを取得することは難しい。村上ら(2018)による時代劇における殺陣という戦いの振付を対象とした⼈体姿勢アノテーション困難な映像における類似姿勢学習の有⽤性を検証した研究には、機械学習⽤の学習データの問題が⽴ち塞がった。時代劇の登場⼈物は着物という遮蔽の⼤きな⾐服を着⽤しているため、体の部位を画像によって識別することが難しく、画像に対する姿勢のマニュアルアノテーションが困難であったため、⼗分な学習データを獲得できなかった。代替⽅法として、殺陣の動きと類似した動きを、モーションキャプチャシステムを⽤いて計測し、キーポイントの相対的な位置関係と類似した情報を持つ学習データによる学習データを作成したが、姿勢推定精度の向上は限定的であり、「特定の個⼈/動き」に特化した姿勢推定を達成するためには別の⼿法が必要だということが判明した。原因としては、姿勢推定モデルの構築にはモーションキャプチャースーツの画像が使⽤されているため、着物を着た状態の画像に対しては、モデル化したキーポイントの相対的な位置関係を姿勢推定に活かせなかったことが挙げられている。

本研究はこの記録と可視化の研究に属し、村上ら(2018)の先⾏研究において課題とされた⾐装の問題の解決を⽀援しようとするものである。

舞踊作品・舞踊動作の⽐較・分析の研究

記録と可視化の研究に続いて多くの研究がなされてきた舞踊作品または動作の⽐較と分析の研究は多くの場合モーションキャプチャを⽤いて⽇本舞踊の動作を客観的かつ定量的に解析し、評価を⾏うことを⽬的になされている傾向がある。⿊宮ら(2003)の研究では、体に 3 点のマーカーをつけて固有の座標軸を導⼊し、⾝体の各部位の位置情報を算出する⼿法を⽤いて動作の解析を⾏い、動作解析に必要な⾓度表現をマーカーの部位、⾓度と法線等を定義した。吉村ら(2005)はこれを基に⽇本舞踊の基本動作の⼀つであるオクリを対象に解析を⾏うことで⼥性的表現と説明動作の識別および動作の個⼈性を分析し、動作識別実験と舞踊家識別実験において⾼い識別率を⽰すことに成功した。

感性情報処理研究としては、阪⽥ら(2004)がモーションキャプチャによって計測した速度と加速度の情報と 7 つの感性情報に該当する振りの感性評価実験結果を主成分分析した「⽇本舞踊における⾝体動作の感性情報処理の試み-motion capture
システムを利⽤した計測と分析-」があり、イントロダクションにて先述した渡沼ら(2007)の研究もこの系列に属する(12)。

最も注⽬すべき舞踊動作の⽐較分析の研究としては三⼾らによって⾏われた「⽇本舞踊の流派の特徴に対する検討」(2008)が挙げられるだろう。三⼾らはこの研究において藤間流、⻄川流、花柳流、若柳流、坂東流の 5 流を 40 代、30 代、20代からそれぞれ 5 ⼈ずつの協⼒を得て計測と印象評価を⾏なった結果、⾝体の位置座標と印象評価には関連性があり、流派ごとの特徴は⾝体の形や動きの⽅向性、⼒強さに表れることを明らかにした。これらの研究は渡辺(1991)が指摘する舞踊の記述性の問題を舞踊の動作解析によって⼀定程度解決するものであると⾔える。

(12)なお、これらの研究が 2000 年台に集中して⾏われたのは、⽂部科学省 21 世紀 COE プログラム「京都アート・エンタテインメント創成研究」に属するものが多いためだと予想される。

舞踊作品・舞踊動作の学習・教育の研究

舞踊の指導者または教育関係者から最も実⽤化が望まれるのが舞踊の教育に関連する研究領域であるといえる。⽇本舞踊後技術の継承を⽬指して⾏われる動作解析の研究では、⽵⽥ら(2009)が⽇本舞踊の稽古の過程で師匠と弟⼦との関係性の中で次第に享受される暗黙の理解の⽀援を⽬的とした探索的研究において、モーションキャプチャを利⽤した伝統芸能の伝承が喚起する役割について指摘した。篠⽥ら(2011)による「モーションキャプチャを⽤いた⽇本舞踊の教育動作解析システムの構築」では、⽇本舞踊において最も重要であるが取得するのに時間のかかる「腰を⼊れる」という動作を対象に教育⽤の動作解析システムが構築された。また、⽇本舞踊の教育・伝承への貢献を⽬的として⾏われた最新の研究としては宇津⽊(2019)による「⽇本舞踊における体幹部の技法分析および基礎練習法の提案 : モーションキャプチャシステムを⽤いて」があり、⽇本舞踊の習得において難しいとされる体幹にまつわる技術の伝承を情報技術の活⽤によって可視化し、舞踊技術の学習を促進させる研究が進められている。

舞踊作品・舞踊動作の振付・創作の研究

最後に、振付・創作の研究について述べるが、現状⽇本舞踊を対象とした創作の研究を⾒つけることはできなかったため、他の舞踊ジャンルの研究について触れたい。曽我(2004)はバレエ⽤語に基づいたテキストベースの符号化⼿法による創作⽀援システムを考案した。しかし、当初⽬的としていた初級のバレエレッスンにおいて使⽤できると評価されたものは 4 パーセントであり、組み合わせが初級者にとっては複雑すぎる振付になってしまうという点と⾃動振付機能によって作成された振付には教育的意図が⽋けているために学習効果が認められないという問題が明らかになった。現代舞踊の振付の研究としては海野ら(2015)が現代舞踊の振付⽤⾝体部位動作合成システム(BMSS)を開発している。被験者の⽇本、アメリカ、イギリスの学⽣らによるシステムの有⽤性の評価では、創作⽀援に有⽤であるとの回答が 85 パーセント得られた⼀⽅で、技術向上には有⽤性を評価されなかった。

振付システムは教育や技術向上には改善の余地があるが、創作⽀援には有効な⼿段を提⽰することができていることは曽我ら(2020)が現代舞踊の振付創作を⽬的としておこなった改良実験でも明らかにされている。

AI を⽤いて⾳楽に合わせて振付を⾃動⽣成する最新の研究としては、Li ら
(2021)による「AI Choreographer: Music Conditioned 3D Dance Generation with AIST++」があり、今後のさらなる発展が期待されている。

4.2 舞踊研究の主流の⼿法について

モーションキャプチャ

モーションキャプチャは⼈や動物などの⾝体の動きをデータとして取得するのに有効な⽅法である。舞踊作品・舞踊動作の記録・可視化の研究は 1990 年代頃から⾏われており、主にモーションキャプチャを⽤いた⼿法が⼀般的に取られてきた。モーションキャプチャでは、被写体にマーカーの取り付けられたモーションキャプチャスーツを着せて、光学式のモーションキャプチャ(MotionAnalysis,MAC3DSystem)を複数使⽤して演者を囲み、多視点から撮影することで姿勢の計測を⾏うものが多い。モーションキャプチャは 3 次元座標情報を算出し、様々な動きを計測できるため、映像記録からは得られない死⾓や奥⾏きの情報を得ることができる。このため、CG を⽤いて制作された映画やゲーム13は演者の動きをキャラクターモデルに映し取るためにモーションキャプチャを⽤いてきた。

ヴォリュメトリックキャプチャ

⼀⽅で、近年はヴォルメトリックキャプチャを⽤いた記録も盛んになってきている。ヴォルメトリックキャプチャは深度センサーを搭載したカメラで全⽅位から被写体を点群撮影することで、3 次元形状や表⾯模様の情報を含むメッシュを取得し 3次元データを構築するため、モーションキャプチャと違い、動き以外の情報を含めた三次元画像を記録することができる。しかし、モーションキャプチャと違って、⾝体座標情報を有するボーン情報がないため、モーションが取得できないという問題がある。つまり、モーショキャプチャでは、取得したモーションを⼈体モデルに取り込むことで、他のモデルに同じモーションをさせることができるが、モーション以外のデータを得ることができない。ボーンとモーションのデータのないヴォルメトリックキャプチャでは着⾐や化粧、道具を含む 3 次元データが取れるが、モーションデータは取れず、撮影には⼤規模な設備が求められる。

姿勢推定

姿勢推定は既に撮影された映像もインプットに使⽤することができるため、今後の発展の可能性が最も⾼い⼿法であるといえるだろう。姿勢推定は図 4.1 のように⼈間の体の座標情報を 17 前後のキーポイントに分け、映像からの⼊⼒のみで対象の⼈物の姿勢を推定してモーションを取得する画像認識技術である。

図 4.1 姿勢推定の流れと座標情報
出典:Apple Developer。「Detecting Human Body Poses in an Image」。
2022 年 7 ⽉ 22 ⽇アクセス。
https://developer.apple.com/documentation/coreml/model_integration_samples/detecting_human_b
ody_poses_in_an_image。

姿勢推定には⼆次元情報のみの出⼒を⾏うものと、三次元情報の出⼒を⾏うものがあるが、三次元の姿勢推定は奥⾏き情報を⼆次元動画から取得する必要があるので正確に位置情報を出⼒する難易度が⾼い。

姿勢推定は画像中の⼈間の動きを詳細に取ることが可能になるため、ディープラーニングを⽤いた姿勢推定の研究が幅広い分野で⾏われている。学習済みの姿勢推定モデルのデータセットがオープ ンソースとして公開されている。

(13)具体的な例としては、『Avatar: The Way of Water』(2022)や『Beyond: Two Souls』(2013)がある。

先⾏⼿法の問題点

モーションキャプチャーは価格が安定してきたものの、いまだに⾼額の設備が必要な場合も多く場所、時間、お⾦がかかるというのは⾒過ごせない問題である。さらに、舞踊の保存を考える上で重⼤な問題として、体にセンサーを付けたりモーションキャプチャスーツというものを着⽤しなければいけないために本来のパフォーマンスで着⽤する⾐装を⾝につけられないことがある。また、⽇本舞踊実践者によるデジタル資源化にあたって障壁となることが考えられる点として、キャリブレーションというカメラとセンサーの両⽅の位置が正しくなっているかを調整する作業と撮影後のデータ処理が必要になることから、モーションキャプチャは最も正しく舞踊者の動きを取得できることができる⼀⽅で、舞踊者を主体として舞踊をデジタルデータ化するにはモーションキャプチャは最適の⽅法とは⾔えない。

⼀⽅で姿勢推定では、舞踊者は何もセンサーをつけなくていい反⾯、ロングスカートや着物などの腰周りが隠れるものからは主要位置情報となる股関節部分が隠れてしまうことで、モーションの精度に致命的な低下が起こる。また⼤量のデータとラベリングがデータセット作成には必要であることから、着物を着た状態の舞踊者の映像を姿勢推定するには、適切な学習データの⽣成とデータセットの転移学習が必要になる。

これらの問題を解決するために本研究では、⾐装を実際の着物に即して 3DCG で作成し、舞踊のモーションと着物の動きを合成して⽇本舞踊を三次元で再構築する。

5 Methods and Materials

これまでに蓄積されてきた記録資料の中でも、CG やモーションキャプチャを使った三次元情報を含む記録はこれまでの⽂化資源と⽐べて、より多くの情報量を保持することが出来ることから、次の世代に⽇本舞踊のバトンを渡すための⼿段の⼀つとして有効である可能性がある。他の舞踊の研究においては、モーションキャプチャを⽤いた研究、さらにはデータセットを利⽤した姿勢推定の舞踊の研究が盛んに⾏われている。しかし、先述したように、舞踊研究において使⽤される姿勢推定のデータセットを⽇本舞踊に適応することは難しく、研究と実践が進みにくい現状がある。これは、着物は⼀枚に繋ぎ合わされた布によって体を包み込むようにして着⽤するため、構造上、体の線が隠れ、袖幅の広い袖によって腕の動きが隠れ、さらに姿勢推定時に重要な腰付近の下半⾝の動きも隠れてしまう。このため、本研究は⽇本舞踊のデジタルアーカイブ化を阻害する要因として、⾐装として⽤いられる着物に注⽬する。

5.1 採⽤した⼿法

本研究は将来的にモーションを過去の映像から取得または今後撮影される映像から取得可能にすることを⽬指し、着物とモーションを分けてクロスシミュレーションをかけ合成し、3 次元上で⽇本舞踊を再構築する。⽇本舞踊のデジタルアーカイブに関して、着⾐を問題視した先⾏研究としては梶原遼(2018)の「和装⼈物の単視点姿勢推定のための遮蔽部位 3 次元位置推定」があり、梶原はモーションキャプチャによる学習データの作成を⾏ない、さらなる発展として機械学習による和装⼈物の三次元姿勢推定が可能かどうか検証していく必要があると指摘した。私は本研究を梶原(2018)や村上(2018)が課題として指摘した和装⼈物の三次元姿勢推定を可能にし、機械学習⽤の教師データを作成するための基盤として位置付ける。

5.2 使⽤アプリケーション

本研究では⽇本舞踊実践者が参加しやすい⼿法を提案できるように努める。なぜならば、デジタルアーカイブがより⽇本舞踊実践者にとって⾝近な伝承と発信の⽅法になることは、現在を未来に残す⾏為と過去からより多くを受け継ぐ⾏為の双⽅に貢献できることから、研究者にとっても実践者にとっても、未来の鑑賞者のためにも重要であると考えたためである。

本研究では Blender(14)を利⽤してモデルの作成とモーションの修正、環境設定を⾏い、plask(15)を利⽤して⽇本舞踊家の踊りからモーションデータを抽出し、Marvelous Designer(16)で作成した舞妓の⾐装にモーションデータを取り込んでクロスシミュレーションをかけることで、⾐装とモデルを実際の⽇本舞踊のように再現した。使⽤したこれらのソフトウェアは、⽇本舞踊実践者やその関係者によるデジタル⽂化資源化を想定し、無料のオープンソースウェアまたは無料機能の範囲で⽇本舞踊が再現できるものを選択した。Blender は、3DCG アニメーションを作成するための統合環境アプリケーションであり、plask はブラウザベースの編集ツールで、AI を活⽤して動画から動きを抽出し、モーションデータ化することができるアプリケーションである。着物をシミュレーションするには、ハイレベルなクロスシミュレーションが必要であること、そして他のソフトウェアとの互換性から⾐装の作成とクロスシミュレーションツールのできる Marvelous Designer を選んだ。

5.3 作成したデータ

⽇本舞踊の三次元化のステップとしては、第 1 にアバターデータと⾐装データの作成、第 2 に映像の撮影とモーションの読み取り、第 3 にアバターと⾐装データのアニメーション作成、第四に出⼒データのエキスポートがある。それぞれのステップについて詳細を記述する。

(14) Blender.org。 「Blender – Home of the Blender project – Free and Open 3D Creation Software」 。2022 年 12 ⽉ 7 ⽇アクセス。 https://www.blender.org/。
(15) Plask。「Plask – Visual Development for Artists and Designers」 。2022 年 12 ⽉ 7 ⽇アクセス。https://plask.ai。
(16) Marvelous Designer。「Marvelous Designer – 3D Clothing Design Software」 。2022 年 12 ⽉ 7⽇アクセス。https://www.marvelousdesigner.com/。

CG アバター

⽇本舞踊は⼥性⼈⼝が多いことに加え、撮影に協⼒していただいた⽇本舞踊家が⼥性だったことから、本研究では⽇本⼈⼥性のデッサン資料集の写真をもとに作成した⾝⻑ 160cm の⼥性アバターを Blender にて作成した(図 5.1 参照)。モデルの作成にあたって、オープンソースのキャラクター作成アドオン MB-LAB(17)を使⽤した。

図 5.1 Blender で作成したモデル
(17) MB-Lab Community。「MB-Lab – Open Source Character Creation」 。2022 年 12 ⽉ 7 ⽇
アクセス。https://mb-lab-community.github.io/MB-Lab.github.io/。

CG ⾐装

⾐装の作成にあたり、まず着物の構造と構成物について解説する。着物は直線的に⽣地を裁断して縫い合わされている⾐装であり(図 5.2 を参照)、着物の各部位の名称は図 5.5 と図 5.6 のようになっている。着物の特徴的構造としては、⽣地に切れ⽬をほとんど⼊れない点がある。これは、着⽤者の成⻑による⾝体の⼤きさの変化、体型の変化、そして次の世代にも着⽤を可能にするための⼯夫であり、縫い⽬を解くことによって同じ⽣地でサイズを変更した着物を受け継いでいくことができる。着物は裁断数を減らすために、図 5.2 のように前後の⻑さを考慮して裁断し、⼀枚の布から袖、ボディ、襟の 3 つが 8 つのパーツに切り分けて構成される(図 5.3 と図 5.4 を参照)。

 図 5.2 舞妓⾐装の展開図

図 5.3 着物のパターンと各パーツ

図 5.4 ⽣地の裁断⾯と縫い合わせ

⽇本舞踊の⾐装は舞台⽤の着物であり、⽇常⽣活を送るための着物とは⼨法に違いがある。具体的な違いとしては、基本的には襟ぐりの開き具合と肩から⼿⾸までの腕を覆う箇所の⻑さ、そして裾を引く着物か否かで全⻑の⻑さだ。なお、⼥性⽤と男性⽤の着物では裁断と縫い合わせの仕組みは同じだが、襟や袖の⼨法と縫い合わせが異なる。最も明確な差は帯の太さと位置が異なることだ。

 図 5.5 着物の前⾯パーツの名称

出典:⼤塚末⼦きもの学院「『和裁 1』 (⼤塚学院出版部, 1978 年), 48 ⾴。

図 5.6 着物の背⾯パーツの各名称

出典:⼤塚末⼦きもの学院,『和裁 1』 (⼤塚学院出版部, 1978 年), 49 ⾴。

⾐装のカテゴリーとしては 1 章で述べたように本⾐装のように豪華で細かい装飾や仕掛けのしてある⾐装からシンプルな素の⾐装まで⾐装の格によって種類が別れ、さらに演⽬ごとに細分化されていく。今回は着⽤者をアバターに準じて 160cmの⼥性と想定して着物を作成する。作成する着物の種類は本⾐装、京都の舞妓の⾐装18とした(図 5.7 参照)。舞台⽤の⾐装は演⽬ごとに袖の⻑さや丸み、襟ぐりの開き、模様や仕掛けが異なるので、⼀定の基準のもとに作られる舞妓の着物を採⽤した。また、舞妓の⾐装は⼥性⽤の本⾐装のうち、複数の⼈物による継続した利⽤が想定されて作成されている着物19であることから、他の⾐装と⽐較して汎⽤性が⾼いと判断した。

(18) 本研究では京都の舞妓の⾐装を基準に作成したが、京都の舞妓の⾐装は袖に丸みがあり、肩タックと袖タックが施されているのに対して、東京の半⽟の⾐装では袖の丸みがなく、袖タックがされていないという特徴がある。近年は職⼈の減少や⼈材不⾜による 京都以外の舞妓の断絶の影響を受けて、着物に限らず、髪飾りなどの⼩物等に京都の花街との同質化の傾向が⾒られるが、同じ芸者⾒習いでも北海道、⾦沢、神奈川、⼤阪、京都、九州などそれぞれの花街で⾐装には差異がある。

(19) 舞妓の着物は置屋と呼ばれる舞妓と芸妓の属するプロダクション的存在のオーナーが呉服屋に依頼して作り、所有している。お⺟さんと呼ばれる置屋のオーナーがそれぞれの舞妓に⾐装を割り当てている。

図 5.7 舞妓の⾐装全体像
出典:⽯原哲男,『⽇本髪の世界』 (⽇本髪資料館, 2004 年), 78 ⾴。

舞妓の着物と舞台⽤の⾐装との明確な差としては、肩揚げと袖揚げと呼ばれる着物を⼩さくする細⼯(図 5.8 にて肩周りと袖の上部に線のように⾒える部分)がされている点がある。これは舞妓の特徴であり、本来は 10 歳前後の⼦供が舞妓として働いていたことから、⼀⼈前の芸者である芸妓と⽐較して⼦供らしさと可愛らしさをアピールする⽬的がある。現代では労働基準法によって 15 歳から 20 歳までの少⼥が舞妓として働いており、もはやこの歳の少⼥には適さない細⼯だが、舞妓の⾐装としては⽋かせないものであるため、この細⼯も含めて再現した。

図 5.8 肩揚げと袖上げが施された舞妓の⾐装

出典:⽯原哲男『⽇本髪の世界』 (⽇本髪資料館, 2004 年), 168 ⾴。
通常の舞妓の着物の構成を和裁によって布地から作られる主な要素と付随する要素に分けてみることで着物を理解しやすくしようと試みる。主な要素は肌襦袢、⻑襦袢(⼆部式)、振袖、だらり帯があり、付属部品としては、付け襟、帯揚げ、緋しごき、腰枕、帯枕、ぽっちり、帯紐、⾜袋がある(図 5.9 参照)。表⾯上⾒えない部品として他に帯板と腰紐、伊達締めなどがあるが、それらは CG 上では必要ないので省略したが、実際には図 5.10 のようにして紐状の道具によって布を押さえるようにして着物を着る。

図 5.9 肌着を着た舞妓と⾝につける⾐装⼀覧

出典:溝縁ひろし『祇をん 市寿々』 (凸版印刷株式会社, 2000 年),15 ⾴。

図 5.10 実際の舞妓の⾐装と着付けの様⼦
出典:溝縁ひろし『京舞妓: 宮川町』 (光村推古書院, 2013 年), 85 ⾴。

主な要素は専⾨和裁技能書の⼨法に従って調整し、Marvelous Designer 上で作成した。なお、付属部品(付け襟、帯揚げ、緋しごき、腰枕、帯枕、ぽっちり、帯紐、⾜袋)は⾒た⽬に問題のない範囲でクロスシミュレーションに影響を及ぼさないように適宜省略と調整を⾏なった。

第⼀段階

まず、現実の⾐装と同じように肌襦袢、⻑襦袢(⼆部式)、付け襟、振袖、だらり帯を作成してクロスシミュレーションをかけたところ図 5.11 のようになり、⼀⾒すると問題なく⾒える。しかし、モデルを動かそうとすると、体を⼤きく覆う布地が 3 重に重なっているために、現実では物理的には起こり得ない⾐装と⾐装が貫通してしまう破綻が⼤きな範囲で発⽣し、モーションを適応するに⾄らなかった。特に動きの⼤きく出る袖と裾に問題が発⽣した(図 5.12 参照)。また、布だけでは⽇本舞踊の舞台⾐装に特徴的な襟を後ろに開く⾐紋抜きの形状を保ことができなかった(図 5.13 を参照)。

図 5.11 最も現実に即して作成した着物

図 5.12 着物に襦袢が貫通し、袖と脇が破綻している様⼦

図 5.13 ⽣地だけでは形状を保てなかった襟

第⼆段階

次に、⾒た⽬の上では省略しても影響のない肌襦袢を省略し、布地の重なりを避けるために⻑襦袢の⼀部を切って振袖に縫い付けることで問題の解決を試みた(図5.14 と図 5.15 参照)。また、襟は布からオブジェクトに変更し、アバターと⼀体化させた。その結果、破綻は減少し、襟の形状保持の問題は解決したものの、モーションを適応した際の袖の不安定化は視聴に耐えうるものではなかった。図 5.15では、左側に襦袢が表⽰されているが、これは着物の内側のレイヤーを⾒せるために便宜上⾮表⽰にしているだけであり、外⾒上は図 5.11 と差がない。

図 5.14 省略された肌襦袢

図 5.15 外⾒上⽀障のない範囲で襦袢が修正された着物

第三段階最後に、⾒た⽬に影響が出るものの、モーション適応時の安定性を最も重視して不安定化の解消を⽬指した変更を⾏なった。⻑襦袢を削除して振袖の裏地に⻑襦袢のテクスチャを張ることでアニメーション視聴上の違和感が減るように補完した。

通常の着物の構造からすれば、異常な形態ではあるが、視聴に耐えうるクオリティの舞踊に必要な⾐装の動きを再現することが可能になった(図 5.16 と図 5.17 参照)。

図 5.16 作成した着物の前⾯

図 5.17 作成した着物の背⾯

撮影した舞踊の映像とモーションデータ

⽇本舞踊の舞踊モーションに適する素材はインターネット上に多く投稿されていることから、許可が取れれば⽇本舞踊のデータセットの作成を試みる研究を進めるための環境は整っているように⾒える。しかし、舞踊のモーション作成にあたり、⽇本舞踊の実践者にインタビューを⾏なったところ、YouTube などの動画サイトに⽇本舞踊を踊った動画が投稿されているが、その技術の質はうまいものから下⼿なものまで様々であるものの、⽇本舞踊に親しみのない⼈からはその判断が難しい可能性があるとの指摘を受けた。このため、本研究では、楳茂都流、⽔⽊流、坂東流の師範 3 名に協⼒を依頼し、京の四季、潮出来島、松の緑、蓬莱 4 つの演⽬を、洋服を着⽤した状態と着物を着⽤した状態の 2 パターンで踊ってもらった。それぞれの舞踊の分類は表 5.1 の通りだ。計 5 本の映像は全て固定カメラによって舞踊者の全⾝が頭から⽖先まで常に映るように撮影し、plask を利⽤して姿勢推定によるモーションデータ化を⾏なった(図 5.18 参照)。

表 5.1 撮影した⽇本舞踊の分類

図 5.18 plask を利⽤して動画から推定したモーション

データのエキスポート

上記のデータはそれぞれ Blender、plask、Marvelous Designer 上で作成したが、三次元コンテンツとして使⽤するためにゲームエンジンの Unity20にデータをエキスポートし、レンダリングを⾏なった。作成した⽇本舞踊のデジタル⽂化資源は GitHub にアップロードした::https://github.com/tammyA5/dissertation202303。

(20)Unity Technologies。「Unity – Real-Time Development Platform」。 Unity Technologies 。2022 年12 ⽉ 7 ⽇アクセス。unity.com/。

6 Results

6.1  5 本の⽇本舞踊から出⼒した三次元再構築物

図 6.1 代表的なシミュレーションの失敗事例

修正作業を⼀切⾏わずにシミュレーションをかけたモーションは、図 6.1 のように現実では重⼒的に起こりえない現象が発⽣してしまうことがわかった。⾜の動きによって着物が捲れ上がってしまう現象は着物の⽣地の圧⼒のパラメーターを調節することで防ぐことができたが、これによって別の問題も明らかになった。それは、姿勢推定によって得られたモーションデータに起こりがちな⾜と床の接地がうまく再現できていない問題から起こる、⾜が床を突き抜ける現象とそれに伴う着物のエラーだ。アバター⾃体は床⾯を突き抜けるものの、⾐装データは床⾯より下に落ちて描写されることはないので、着物だけが不⾃然に脱げて床に取り残されてしまった(図 6.2 を参照)。最終的に⾜の位置及び、アバターの⾝体部分同⼠の貫通など、現実には起こり得ない明らかに異常な点のみを⼿動で修正することで鑑賞可能なクオリティの三次元デジタル⽂化資源化ができた(図 6.3 と図 6.4 を参照)。

図 6.2 始めと終わりの礼において発⽣したエラー

図 6.3 Marvelous Designer 上でのアニメーションの様⼦

図 6.4 Unity にてレンダリングした際の様⼦

6.2 問題点

本研究では、⽇本舞踊で必須と⾔える⼩道具の扇⼦の再現までは実⾏しなかった(図 6.5 と図 6.6 参照)。演者のモーションと⼩道具の動きは別物であり、道具には、別途動きを設定する必要があり、現状はその動きの設定は⼿動になることが予測される。実践者によるデジタル⽂化資源化の促進を狙うためにも、⼿軽にできる⼿法を提⽰したかったため、本研究ではあくまで舞踊者の動きと⾐装の動きに集中した三次元再構築にとどめたデジタル⽂化資源化を⾏った。

図 6.5 ⽇本舞踊において最も使⽤される⼩道具である舞扇
出典:溝縁ひろし『祇をん 市寿々』 (凸版印刷株式会社, 2000 年),82 ⾴。

図 6.6 扇⼦以外の⼩道具を使⽤して舞う例 京舞井上流五世井上⼋千代
出典:溝縁ひろし『京都の花街 : 芸妓・舞妓の伝統美』 (光村推古書院, 2015 年), 125 ⾴。

また、先⾏研究でも提⽰されていたように、⽇本舞踊において顔の描写は化粧や⽬線などにおいて重要だが、本研究では⼆次元動画情報のみを⼊⼒としており、詳細な顔関連の情報は⼈体モデルに反映できていない。姿勢推定を⽤いた⼿法は、専⾨の機材やセンサーを利⽤したモーションキャプチャと異なり、指や⽬線などの細かな情報を捉えきれない問題がある。特に、細部に神が宿るという⾔葉があるように、現実の芸能をデジタル化によっても伝承していくためには、これらの問題の解決は必須であり、今後の研究で課題として取り組んでいきたい。

6.3 限界点と今後の展望

本研究は⽇本舞踊の⾐装に着⽬して、姿勢推定による 3 次元デジタルアーカイブの作成を助け、デジタル⽂化資源化させることを⽬的に⾏なわれたが、⾐装に関して触れなかった点がある。それは舞台上での⾐装の変化だ。⽇本舞踊には⾒あらわしと呼ばれる舞台上で⾐装を変化させる演出⼿法がある。⾒あらわしは主にキャラクターがこれまで隠していた本来の正体を表す際の視覚的変化として利⽤され、しばしば伴奏が変わった際にも⽤いられる。この⼿法には引き抜きとぶっかえりの 2つがあり、仕掛けが施された⾐装を重ね着した演者に対し、後⾒と呼ばれる舞台上で⽬⽴たないようにしながら演者を補助する⼈物が⼀番上の着物を取り払うことで、演者は舞台の中⼼に⽴ったまま⾐装を変える。⾐装の変化や⼩道具の使⽤によって演者が踊っているキャラクターとその役割が変化したことを明⽰的にする演出に対応できるようにするために、更なる⾐装からの⽇本舞踊のデジタル化の研究が求められる。本研究では姿勢推定によって⽇本舞踊家の舞踊をモーションデータ化したため、画像を⼊⼒とする姿勢推定にありがちな⼿先などの細かな動きを詳細に反映することができないという限界点を抱えている。

7 Discussion

デジタル⽂化資源化が⽇本舞踊にもたらすもの

私は技術の発展に伴うデジタル⽂化資源化の波に⽇本舞踊が乗ることを阻む要因の⼀つとして着物に着⽬し、⾐装である着物と⾝体動作の両⽅をシミュレーションによって再現することで、三次元情報での⽂化資源化が⽇本舞踊に可能にさせる保存的役割及び発信の可能性と創造的発展の可能性の 2 つを提⽰する。これまで⾒てきたように、⽇本舞踊には先⼈たちは多くの⽇本舞踊の記録資料を残してきた。これらの記録資料は⼆次元情報であり、画質の荒いものも多いが、記述と共有に難のある性質を持つ舞踊を、映像を⽤いることで現代を⽣きる私たちと今後⽣まれてくる後世の⼈々に伝達してくれる重要なものである。しかし、それら記録資料は、記録媒体の劣化によって再⽣できなくなることがあり、情報そのものが喪失されてしまうことがある。記録情報技術や記録媒体は⽇進⽉歩を遂げており、その時に最適と思われた記録⽅法も 30 年後に突如劇的に劣化してしまうこともある。このことから、資⾦的な問題は常に付き纏うものの、安定性のあり、より多くの情報を記録できる記録媒体への定期的なアップデートによって記録された情報を守っていく必要があるだろう。その際に、ただ情報を別の媒体に移し替えるのではなく、移し替えに乗じて新たな情報の発掘を試みるべきである。これまでの⼆次元情報だけではこれまで明らかになっていなかった動作が三次元化によってわかるようになれば、先⼈のパフォーマンスから⽇本舞踊を含む伝統芸能の技術を新たに学び、技を⽣かすことができるだろう。

三次元化はあくまでその⼀例に過ぎないが、⽇本舞踊の持つ記録資料を⽂化資源として捉え、デジタル⽂脈への移転による⽂化資源化を⾏うことで、⽇本舞踊に対して⼈々の意識を向けさせ、活⽤や創造などの動的な活動を促していくことができると考える。本研究では⽇本舞踊の三次元デジタル⽂化資源化を⾐装に着⽬し、着⾐の動きを含めた記録をモーションとクロスシミュレーションアニメーションの合成によって⾏なった。三次元デジタル⽂化資源としては⼈⼒での修正の有無とクロスシミュレーションにおける物理演算によって発⽣する布の貫通の問題を現実の着物と CG 上の着物の間でどこまで許容するかによって 3 種類の着物を作成した。これらの中で最もシミュレーション結果が視聴に値する質の種類の着物を⽤いて、⽇本舞踊家の協⼒によって撮影した 5 本の動画を三次元デジタル⽂化資源化することができた。本研究は先⾏研究と異なり、舞踊者の動きと着⾐の動きの両⽅に重きを置いた点に新規性がある。

このようにして作成する三次元のデジタル⽂化資源は⽇本舞踊の創造的な発展に貢献することができると考える。その理由として、デジタルへの⽂脈移転によるアベイラビリティーの向上と価値付与による可能態からの脱却について、⽂化資源学の視点から考察を加えたい。ある対象の⽂化の主体以外の存在による価値づけがなされる際には、その⽂化が⽇常としていた⽂脈から別の⽂脈へと対象を埋め込むことを⽂化の資源化の動きとして捉えることができるが、デジタル世界への⽂脈移転は商業的な⽂脈移転などの他の資源化と⽐べて明らかに異なる性質があるように思う。それはデジタルという時間や場所などの物理的な制約に縛られない性質と舞踊の持つ⾔葉だけによらない⾝体表現による表象がもつ⾔語の壁の超越性だ。もちろん、舞踊と共に奏でられる⾳楽には⾔葉がついており、その⾔葉が通じた⽅がよいのは確かだが、ユニバーサルに⼈々に伝わる⾝体を使った表現から物理的制約が取り除かれ、世界中の⼈々にとって鑑賞と⼀定の理解を可能にさせることは、他の⽂脈移転とは⽐べ物にならないアベイラビリティの向上をもたらす。

どのような対象にも潜在的に保有している能⼒や性質があるが、これまでの⽂脈においてはそれが発揮されていなかった、あるいは価値づけられていないデュナミスの状態にあるものがある。デジタル⽂脈への移転における⼆次元から三次元への移⾏は、第三者視点で全⽅向から三次元に他者の踊りあるいは舞踊者⾃⾝の踊りを⾒て深く踊りを認識できるようになる点や現状想定されていない⽤途での価値付け・意味付けがなされる可能性を開くことから、それが⽂化資源として⽇本舞踊そのものの価値を押し上げ、エネルゲイアへと発展させる⾏為であると捉えることができるのではないだろうか。

過去の記録資料からの情報の発掘も重要ではあるが、現代の⽇本舞踊家たちの今現在の舞踊を三次元化することにも⾮常に重要な価値がある。なぜなら、⽇本舞踊は⽇々創造と継承が⾏われている、⽣きている⽂化であるからだ。教える側の実践者だけでなく、習う側の実践者からしても⾃らの動きを三次元化してみることで得られる気づきがあり、その踊りが VR や AR などの XR ⽂化の中で伝播していくことができれば、より多くの⼈々に影響を与えることができるであろう。⽇本舞踊において使⽤される⼩道具の再現に⾄っていないという限界点及び、姿勢推定の精度を補うための修正作業が多少必要ではあるものの、本研究のデジタル⽂化資源化を⽬指した実験では限られた⼈々だけの⽇本舞踊の⽂化資源化が起こるのではなく、⼀般の⽇本舞踊実践者による⽂化資源化が⾏えるような基盤を提⽰し、⽇本舞踊の普及と促進を⽬指す⽇本舞踊実践者の活動を⽀援・促進しようと試みた。これが本研究の意義であり、そのために、本研究では⼿軽に実⾏可能な三次元デジタル⽂化資源化の基礎を確⽴しようとした。

今後の研究としては、本研究によって作成された着物データを利⽤して三次元の⽇本舞踊データを作成し、さらには⽇本舞踊に適応させたデータセットの作成が求められるだろう。本研究はそこまで辿り着くことができなかったが、私は本研究が⽇本舞踊者と研究者にとって有益なリソースとなると信じている。

8 Conclusion

⽇本舞踊の多様性の保持と発展のために必要なこと

⽇本舞踊の伝承と発展のためには三次元のデジタル⽂化資源化が求められると私は考える。歌舞伎からの分離によって始まった⽇本舞踊が、他のエンターテイメントとの競争による浮き沈みや、開国や戦争などの国を揺るがす⼤きな出来事の影響を受け、隆興と衰退を経ながら今⽇まであり続けることができ、多くの流派、スピンオフ作品を含む多くの作品のレパートリーを多様に存続させてこられたのは、さまざまな担い⼿による営みと⽇本舞踊の柔軟な変化のためである。

しかし、現状において⽇本舞踊をこれまでのように伝承し続けるには、担い⼿の努⼒の範疇を超えた⼤きな問題が何重もの壁となって⽇本舞踊の前に⽴ち塞がっている。邦舞の定義、⽇本舞踊という⾔葉の⼀般認識と政府の認識のずれ、教育への不参⼊、⼈⼝減少などの問題に取り組み、⽇本舞踊の維持を図るには政府による資⾦の援助と教育活動をはじめとする⽂化政策が必要である。⽇本⽂化を表象する舞踊として、⽇本⼈の感情表現や感性的価値観を豊富に含んだ総合⽂化芸術である⽇本舞踊を多様な⽇本⽂化の構成要素の1つとして守っていくために、政府は無形⽂化遺産登録された⺠俗舞踊だけでなく、⽇本舞踊という伝統芸能としての舞踊の保護に公共性の観点からも取り組むべきであると⾔えよう。

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