京都の長楽寺(ちょうらくじ)に行ってきました【京の四季】

京都の長楽寺(ちょうらくじ)に行ってきました【京の四季】

日本舞踊でおなじみ、端唄「京の四季」「秋は色ます 華頂山  時雨をいとう から傘に  濡れて紅葉の 長楽寺」という歌詞が出てきます。

端唄「京の四季」の歌詞と解説 – 俺の日本舞踊

この長楽寺へ行ってきましたのでご紹介しようと思います。

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公式HPより

長楽寺へのアクセス

京都・祇園からほど近い場所にあります。八坂神社と知恩院を有する円山公園、親鸞聖人の墓である大谷祖廟に挟まれるように、山の斜面に建つお寺です。

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地下鉄「祇園四条駅」からは徒歩約20分。バスの「祇園駅」(八坂神社前)でおりれば徒歩約10分です。

長楽寺の歴史

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お寺に伝わる歴史によると、延暦24年(805年。平安時代)に桓武天皇(かんむてんのう)の勅命により最澄(さいちょう。比叡山延暦寺を開いて天台宗を興したことで有名)により創建されました。最澄のお寺ということで天台宗のお寺でしたが室町時代に時宗に改められました。

文治元年(1185年)、壇ノ浦の合戦に破れ入水せられた、安徳天皇の生母・建礼門院(けんれいもんいん)が、剃髪されたところでもあります。

のちに法然上人の弟子・隆寛が住みここから念仏を広めました。当時は「長楽寺流」と呼ばれるほど世間に知れ渡っていたそうです。当時は現在の円山公園の大部分や大谷祖廟の境内地を含む広大な土地が長楽寺の敷地で、祇園、清水とともに花の名所としても知られており、多くの文人や画家で賑わいました。「雨月物語」の作者の上田秋成もここへ集い、文化人たちと酒を酌み交わしたといいます。

しかし江戸時代に幕府の名で敷地の大半を大谷祖廟に割譲すると、繁栄にも陰りが見え始め、今ではどちらかというと円山公園、大谷祖廟の陰に隠れてひっそりと佇んでいるという印象です。しかしながら幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えた「日本外史」の著者、頼山陽の墓所や、重要文化財・一遍上人立像を有するなど歴史と伝統は別格です。

濡れて紅葉の長楽寺

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公式HPより

今回訪問したのは12月。残念ながら紅葉は終わってしまっていたので公式HPから紅葉の写真をご紹介します。「京の四季」の作者の中島棕隠も、この紅葉を文人たちと愛でながら、「京の四季」を書いたのでしょうか。

参考記事

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