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演劇、舞踏、ダンス・・・とやって気づいた、世界に誇れる日本舞踊の「型」の力~坂東冨起子~東京都板橋区/世田谷区

演劇、舞踏、ダンス・・・とやって気づいた、世界に誇れる日本舞踊の「型」の力~坂東冨起子~東京都板橋区/世田谷区

東京都板橋区・世田谷区で日本舞踊教室をお持ちの、坂東冨起子(ふきこ)さんにお話を伺いました。

日本舞踊教室の先生、大学講師のほか、「日本舞踊がいかにエンターテインメントたりうるか」を常に考え、創作や舞台演出も手掛けており、2017年の文化庁芸術祭では第二位となる得票を獲得しました。

大学卒業後、ライターと舞踊家の二足の草鞋を履いた冨起子さん。多忙を極めていた38歳のとき、突然「がんの宣告」を受けます。そのとき「余命があったら、日本舞踊の凄さ、面白さをもっと伝えたい」と思ったそうです。

そんな冨起子さんのこれまでの歩み、そして、暗黒舞踏、アングラ演劇、地唄舞、モダンダンスなどさまざまなジャンルを経験してきた冨起子さんが「世界に誇れる」と確信する「日本舞踊の型の力」について伺いました。


坂東冨起子プロフィール
山梨県甲府市生まれ。坂東流日本舞踊家。振付家。昭和音楽大学非常勤講師。
1975年、日舞・宗家藤間流名取り取得、’87年に師範名取り取得。その後、坂東梢師に師事し、2002年、坂東流に移籍。その間、地唄舞を吉村流五世家元・故吉村雄輝夫師に15年間師事。また狂言を茂山千之丞師、暗黒舞踏を故土方巽師、演劇・劇作を劇作家・演出家のふじたあさや師に師事。現在は古典の日舞・地唄舞のほか、創作舞踊や演劇の構成、振付、ステージング、台本、演出などを手がける。

受賞歴
2007年 各流派合同新春舞踊大会にて大会賞・芸能家実演家団体協議会奨励賞(清元『山帰り』)
2008年 同上、大会賞・芸能家実演家団体協議会奨励賞(常磐津『源太』)
2009年 同上、大会賞・芸能家実演家団体協議会奨励賞・会長賞(清元『うかれ坊主』)

舞踏、演劇、ダンス・・・とやって気づいた、世界に誇れる日本舞踊の「型」の力

広告研究を辞めて舞踊の道へ?

「ふきの会20周年公演」パンフレットより

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うめざわ

冨起子さんは2歳から日本舞踊を始められていますが、仕事にしようと思ったのはいつ頃ですか?

坂東冨起子(ふきこ)さん

最初は、大学を卒業したら大学院に進んで広告論をやろうと思っていたんです。

当時はイメージ広告が全盛の時代。パルコの広告などが世間の話題をさらっていた。

自分が媒体(メディア)になって、以心伝心の表現者になろう

創作舞踊劇「狐葛の葉」(令和元年文化庁芸術祭参加公演)

坂東冨起子(ふきこ)さん

「イメージ広告」のような「以心伝心」の伝達手段は、日本のような単一民族国家だからこそ成り立つんだと。多民族国家では、言葉できちんと説明しないと伝わらない。

それを知ったとき「それなら、自分が媒体になって、以心伝心の表現者になってみよう」と思ったんですよ。そこで初めて、日本舞踊を仕事にすることを意識しました。

冨起子さんは大学院には進まず「フリーライター」と「舞踊家・山田冨起子」という二足の草鞋で忙しい毎日を送ることになる。

フードライターとして美味(うま)おかず読本「味つけはしょうゆ、砂糖、塩だけ! 美味おかず読本 (講談社)」などの著書もある。

 

坂東冨起子(ふきこ)さん

当時は教えて食べていく、という考えはなくて、踊って食べていくためにいろいろやりました。

NHKの歌謡番組のバックで踊ったこともあるし、ショーパブのダンスなんかもやりました。そのうちに舞台の共演や振付を頼まれるようになって。

坂東冨起子(ふきこ)さん

ある舞踊集団で踊っていたとき、武智鉄二先生のマネージャーから「いい芸を身に付けるには、若いときにいい師匠につかなければだめだ」と言われたんです。マネージャーとは狂言を学んでいた茂山千之丞先生の稽古場で知り合っていました。

それから、坂東梢師匠や、モダンダンスの先生、地唄舞の吉村雄輝夫先生の所にも、ひっぱって連れていかれたんです。

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うめざわ

その出会いがひとつの変化のきっかけだったんですね。

鬼才・武智鉄二の足跡

武智鉄二(たけちてつじ。1912~1988年)とは・・・演劇評論家、演出家、映画監督。役者の型や口伝に影響されない狂言作者の意図に忠実なリアリティを持ち込んだ武智歌舞伎を世に問うたことで知られる。歌舞伎のみならず、能や文楽、オペラ、舞踏、映画の演出・監督も手がけ、上演が途絶えていた日本舞踊の数々の演目も復活させた。

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うめざわ

武智鉄二さんという方はどんな方だったのですか?

坂東冨起子(ふきこ)さん

私は晩年しか知らないのですが、武智先生は日本の前衛演劇の祖でもあり、歌舞伎の世界では「武智歌舞伎」を作って、若き日の中村富十郎さんや、坂田藤十郎さんなどを育てた方です。

終戦後、仕事がなくて田舎で田畑を耕してた能・狂言師たちに「そんなことしてちゃだめだ」と、私財をなげうって面倒を見たという話も聞いています。

冨起子さんの師匠、坂東梢師は武智鉄二の映画や演劇に出演したり、オペラなどの助手も務められていた。

武智鉄二は歌舞伎やオペラ、映画だけでなく、アングラ演劇などにも関わりがあり、今も、そこここに武智鉄二の足跡があるという。

武智鉄二が関わっていたアングラ演劇のシーラカンスと呼ばれる「発見の会」では、梢師が女優として、振付家として作品創りに加わった。

坂東冨起子(ふきこ)さん

武智先生は先代の茂山千之丞さんや観世栄夫さんを劇団に連れて来て「こいうふうにやって」っておっしゃったそうです(笑)
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うめざわ

能や狂言の名人のようにやれとは!(笑)

坂東冨起子(ふきこ)さん

後楽園球場(東京ドームの前身)で本物の象を何頭も出してオペラ「アイーダ」をやったり、スケールが破格でした。

土方巽先生も「武智さんにはホント参った。ぼくはモツのプールで泳がされたよ」って(笑)もうはちゃめちゃな時代ですよね。

土方巽(ひじかたたつみ。 1928年~1986年)とは・・・日本の前衛舞踊の祖。暗黒舞踏という様式を確立し世界に「Butoh(ブトー)」を知らしめた。生前、冨起子さんも師事している。

がんの宣告と師範への道

38歳のとき、冨起子さんに大きな転機が訪れる。

そのきっかけは「がんの宣告」だ。

令和元年の「ふきの会」に「踊りを教えるということ」という題で載せられた冨起子さんの言葉を引用する。

「胃癌です」

「初期ですか?」

「いいえ」

「どんな感じなんですか?」

「悪性の進行癌で・・・」

 そんな会話を医師と交わしたのは、三八歳の年の暮れ。ふいに「これまで生きてきて、なにが一番楽しかっただろう」という思いが頭をよぎりました。

 大学を出てからフリーライターと舞踊家という二足の草鞋で走り続けていました。原稿の締め切りと舞台の本番は不思議によく重なり、徹夜が日常になっていました。でも、どちらの草鞋も脱ぐことができなかったのは、やはり踊ることも書くことも好きだったからでしょう。

「楽しかったのは・・・」

 日本舞踊、地唄舞、舞踏、芝居・・・師匠達の顔、先輩、仲間たちの顔が次々に浮かびました。師匠達に見せつけられた芸の凄さ。それは私の宝です。が、肉体がなくなれば、その宝は一瞬にして消えてしまう。「棺桶の中に入れて持って行くだけなのは悔しいなぁ。もし、まだ余命があったら、自分が見てきた芸の凄さ、面白さを誰かに伝えたい」。そう思いました。

 幸い癌は術後の再発もなく、今も余命を頂いておりますが、私が踊りを教えようと思ったのは、こんな癌宣告がきっかけでした。

作品創り、芝居、自分が踊ることだけを考えていた冨起子さんだが、これを機に自分の芸を教えていく、伝承していくことを意識するようになる。

その後、フリーから本格的に坂東流に籍を移したのは44歳のとき。ご自身の会「ふきの会」で日本舞踊を教えている。

義太夫「団子売り」杵造:坂東冨起子 お臼:坂東若梢(ふきの会二十周年公演より)

日本舞踊の魅力「型」の力とは?

「ふきの会20周年公演」パンフレットより

冨起子さんが伝えたい日本舞踊の魅力のひとつは「型」の力だという。そのことを強く感じた印象的なエピソードを紹介してくれた。

それは2019年、説経節と踊りの共演「日高川」の公演の稽古をしているときだった。

節との共演「日高川入相櫻(ひだかがわいりあいざくら)」板橋経済新聞より引用

説経節(せっきょうぶし)とは・・・仏教の説経が芸能化し、節や楽器の伴奏をつけて音楽的に語られるようになったもの。人形芝居付きで劇場にも進出した。

日高川(ひだかがわ)とは・・・「道成寺(どうじょうじ)もの」と呼ばれる作品群の一つ。僧・安珍を見染めた清姫が、安珍を追いかけ執心のあまり、日高川を蛇体になって渡り、ついには安珍を焼き殺すという物語(安珍清姫伝説)。その後日譚が能や日本舞踊の「道成寺」。

坂東冨起子(ふきこ)さん

韓国の脳神経学者で、演出家・女優でもあるジャッキー・チャンさんが私の稽古を見に来たときのことです。

彼女が「びっくりした!」と驚いて「いま、隣におじいさんがいると思ったら、若い娘さんがいた!」と言うんです。

日本舞踊は一つの演目の中で、一人の人が衣裳も化粧もかつらも変えずに、いくつもの役を演じ分けます。それがちゃんと違う役に見える。

坂東冨起子(ふきこ)さん

それを韓国人の彼女が見てびっくりしたんです。

「素」で色々な役を次々と演じて見せられるのは日本舞踊だけですよ。世界を見ても他にありません。

坂東冨起子(ふきこ)さん

大学でも日本舞踊を教えているんですが、学生たちに「新鹿子」を見せると「かわいい!」、「かつを売り」を見せると「かっこいい!」って驚くんです。歌舞伎も、日本舞踊も、時代劇も見たことがない子がそう言う。

それって「私」がかわいいのでもかっこいいのでもなく、「型」の力です。修得すれば誰がやってもかわいくもかっこよくも見えるのが「型」であり「型」の力なんです。

坂東冨起子(ふきこ)さん

江戸時代300年間の歌舞伎の歴史の中でいろんな役者がああでもないこうでもない、と試行錯誤してきた技の結晶が「型」の力ですよ。

表現したい中身がギュッと詰まって、はじめて本物の型になる。型だけを追うと、中身がなくなって型は形骸化しちゃう。

冨起子さんは創作にも意欲的に取り組み、歌舞伎「山椒大夫」から派生した悲劇の「鶏娘(とりむすめ)」、喜劇の「猫いらず」では芸術祭舞踊部門で二位となる得票を獲得した。

(クリックで拡大)

「おかしな創作ばかりでなく、古典もちゃんと踊れなくては」と出場した日本舞踊協会主催のコンクールでは3年連続で大会賞他を受賞。「うかれ坊主」では会場中で爆笑が起き「あんなにウケた古典はない」と評されたという。

コロナ禍の2020年には、貧困と感染病をテーマにした作品「(禁)パンデミック」を発表した。

坂東冨起子(ふきこ)さん

「いま、花鳥風月は踊れない」と思ったんです。

冨起子さんは日本舞踊の古典の「型」の力を大切にしつつ、現代を表現することも決して忘れない。

坂東冨起子(ふきこ)さん

日本舞踊は人口が減り、絶滅の危機にさしかかっています。どうしたら日本舞踊の面白さに気づいてもらえるのか・・・世界に例を見ない日本舞踊という芸能の真価を伝えたいと切実に願っています。

坂東冨起子さんに日本舞踊を習いたい方はこちら

坂東冨起子「ふきの会」

坂東冨起子 YouTube

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