常磐津「紅売り(べにうり)」解説
紅(べに)とは今でいう「口紅」のこと。
「紅売り」の女性が、自らの恋の成就を願いながら、それを売り口上に紅を売り歩くという趣向の曲です。
紅とは?
「紅」伊勢半本店公式サイトより
曲の詳細に入る前に「紅」のことをお話しておきます。
「紅」は、紅花(べにばな)から作られる天然由来の化粧品です。透明感のある鮮やかな「紅色」が特徴です。
大変高価なもので、今の物価にすると、口紅に一回使うだけの量で500~600円ほどだったそうです。
おちょこや貝殻の内側に塗り乾燥させたものが販売されており、使うときは水をつけた指や、水を含ませた筆で溶かして使います。
唇に使えば口紅、頬に使えば頬紅、爪に使えば爪紅(つまべに)と、今のように豊富な化粧品がない時代、おしゃれな女性には欠かせないアイテムでした。
女性の憧れ。玉虫色に光る「笹紅」
「浮世四十八手」(渓斎英泉)
緑色の下唇は「笹紅」を表現している
紅は厚く塗ると緑色(玉虫色)に光るという不思議な性質を持っています。高価な紅をたっぷり下唇に塗り重ねて、玉虫色にする「笹紅」は当時、最高級の贅沢であり、女性たちの憧れでした。
黄色い紅花から紅色を抽出する気の遠くなる作業
紅花というと、現在では「紅花油」「紅花オイル」の方が有名かもしれません。スーパーでパッケージを見たことがある人は「あれ?紅花って黄色か、オレンジ色じゃない?なんで紅色の原料なの?」と思いませんでしたか。
実は紅花、見た目は黄・オレンジですが、その中に1%だけ、紅色を含んでいます。この1%の紅色を、何十という長い工程を通じて抽出しているのです。
ごくごく簡単に説明します。
紅花の花びらを水洗いする。
「紅餅」という団子を・作り、発酵させる。
さらに酢酸などを使い、紅の色素だけを分離させる。
さらに何重もの布でこして濃縮する。
筆で容器に塗り付け、販売される。
紅ができるまで(抜粋)伊勢半本店公式サイトより
*紅の詳しい製造工程の詳細は記事末にリンクあり
小さなおちょこ一つの紅に使われる紅花はなんと1,000輪!高価さの理由がわかりますね。
歌詞の意味
当世美人合踊師匠(香蝶楼国貞)国立国会図書館蔵
筆と指を使って目元に紅をさす、踊りの師匠
紅染の小指の爪や春の宵
春の日暮れに、紅をさしてたたずむ女性です。
「紅染めの小指の爪」とは、筆ではなく小指で紅をさしたために、爪に紅がついている様子を表しています。
紅色を「恋の色」と表現しており、春の桜や暖かなイメージと、恋のイメージと紅色が重なります。
たしなみは 夏秋冬を一筋に
染めしゃんせ 染めしゃんせ 恋の色
紅と白粉(おしろい)は昔も今も女性のたしなみに欠かせません。美しい紅は、春だけでなく一年中、女性を恋の色に染めます。
なんとした こん紅梅の 香をそえる 濃いも薄いも京育ち
濃くても薄くても、ほんのり紅梅の香りがする、京育ちの「紅」ですよ。
京都のものは質が良く、京都から江戸へ運ばれてきたものは「下りもの」といって高級品でした。
その逆、京のものではないものは「下らないもの」です。いまでも、「つまらない」ことを「くだらない」といいますよね。
蛤の貝 紅の貝 捨ててくれるな 片身貝
いつか二身の末掛けて 末摘花の浅じめり
ここで登場する貝は紅の容器です。蛤の貝殻の内側に紅が塗りつけてあるのでしょう。
紅の器の蛤は片方しかないけれど、捨てないでください、いつかは二枚(男女二人)そろっていつまでも、しっとりと過ごしたいのです、と、恋の成就を願っています。
「末掛けて」は、「末まで」つまり「いつまでも」という意味。
「末摘花(すえつむはな)」は紅花の別称です。「浅じめり」とは、朝露にしっとりと濡れている様子で、紅花を積むのが早朝である(紅花にはトゲがあり、朝露に濡れてトゲがやわらかくなっている早朝に摘みとられる)ことからの連想だと考えられます。
また、「末摘花(すえつむはな)」は、源氏物語に登場する女性の名前でもあります。不美人で、鼻の頭が赤かったために光源氏から「末摘花」と呼ばれたのですが、一途に光源氏を思い続けたことから、最後には妻として迎えられます。一途に恋の成就を願うこの女性は、最後に報われる「末摘花」に自分を重ねているのでしょう。
情けをこぼす いたずらも
来ると聞き夜は 三重染めの
唇ばかりか 贅こきな 足にも撒かんせ桜貝伊達の口紅買はしゃんせ 買はしゃんせ
好きな人が来る夜は、紅を三重に塗り重ねておめかししよう。
唇ばかり贅沢するんじゃなくて、足の爪にもいかがです?足元に桜貝を撒いたように、かわいくなりますよ。
さあ、あなたを彩る口紅を、どうぞ、どうぞ買ってごらんなさい。
ここから曲調が、それまでのしっとりした雰囲気から軽快な調子に変わり「紅売り」の売り文句になります。
冒頭で紹介した紅の重ね塗りが出てきましたね。紅は重ねると玉虫色の光沢を放つ「笹紅(ささべに)」となります。これは女性にとって最高級の贅沢です。さらに「爪紅(つまべに)」も勧めています。商売上手ですね。
作品情報
作曲者 | 常磐津文字兵衛 |
作詞者 | 小野金次郎 |
常磐津「紅売り(べにうり)」歌詞
紅染の小指の爪や春の宵
紅染の小指の爪や春の宵
よいよいよいやさ
たしなみは 夏秋冬を一筋に
染めしゃんせ 染めしゃんせ 恋の色
なんとした こん紅梅の 香をそえる
濃いも薄いも京育ち
蛤の貝 紅の貝 捨ててくれるな 片身貝
いつか二身の末掛けて 末摘花の浅じめり
情けをこぼす いたずらも
来ると聞き夜は 三重染めの
唇ばかりか 贅こきな 足にも撒かんせ桜貝
伊達の口紅買はしゃんせ 買はしゃんせ