長唄「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」歌詞と解説
日本舞踊で人気の長唄「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」歌詞と解説です。
元禄文化を代表する絵師で、浮世絵の祖ともいわれる、菱川師宣「上野花見の躰」より
「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」の解説
1600年代の後半、京・大坂の上方の町人を中心に華開いた元禄文化は、井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、画家の尾形光琳ら多くの文化人、芸術家を生みだしました。
「元禄花見踊」は元禄時代を舞台に、武士、奴(やっこ)、若衆、遊女、町人などが、さまざまな風俗で集まり踊るという豪華な設定となっています。
当時、花見は一家総出の一大イベントで、特に女性は花見に合わせて晴着を用意する者も多く、その派手さ、豪華さ、趣向さを競ったものと思われます。
明治11年(1878年)6月、市川団十郎、5世尾上菊五郎、初世市川左団次、8世岩井半四郎、市川小団次らによって、東京新富座にて初演されました。
「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」の歌詞
吾妻路(あづまじ)を 都の春に志賀山の 花見小袖の 縫箔も 華美(はで)をかまはぬ伊達染や
斧琴菊(よきこときく)の判じ物 思ひ思ひの出立栄
連れて着つれて行く袖も たんだ振れ振れ六尺袖の しかも鹿の子の岡崎女郎衆
裾に八つ橋染めても見たが ヤンレほんぼにさうかいな
そさま紫色も濃い ヤンレそんれはさうぢゃいな
手先揃へてざざんざの 音は浜松よんやさ
花と月とは どれが都の眺めやら
かつぎ眼深に北嵯峨御室 二條通の百足屋が 辛気こらした真紅の紐を
袖へ通して つなげや桜 ひんだ鹿の子の小袖幕
目にも綾ある 小袖の主の 顔を見たなら なほよかろ ヤンレそんれはへ
花見するとて 熊谷笠よ 飲むも熊谷 武蔵野でござれ
月に兎は和田酒盛の 黒い盃闇でも嬉し 腰に瓢箪 毛巾着
酔うて踊るが よいよいよいよいよいやさ
武蔵名物月のよい晩は をかだ鉢巻蝙蝠羽織 無反角鍔角内連れて
ととは手細に伏編笠で 踊れ踊れや 布搗く杵も
小町踊の 伊達道具 よいよいよいよいよいやさ 面白や
入り来る入り来る桜時 永当東叡人の山 いやが上野の花盛り
皆清水の新舞台 賑はしかりける次第なり