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清元「お祭り(申酉(さるとり))」歌詞と解説

清元「お祭り(申酉(さるとり))」歌詞と解説

日本舞踊で人気の清元「お祭り(別名:申酉(さるとり))」の歌詞と解説です。

山王御祭礼図(歌川広重)

清元「お祭り(申酉(さるとり))」の解説

日枝神社(公式HPより)

江戸の三大祭(浅草の三社祭、神田の神田祭、日枝(ひえ)神社の山王祭)のうち、日枝神社の山王祭を題材にした演目です。

曲ができたのは1826年(文政九年)。その当時、共に「天下祭り」と呼ばれていた神田祭と山王祭は隔年で行われており、その年開催だった山王祭に合わせて、江戸三座の一つ、市村座で初演されました。

別名の「申酉(さるとり)」とは日枝神社のことで、江戸城から見て「申酉(西南西)」の方角にあることからそう呼ばれるようになりました。

日枝神社の場所。江戸城から西南西(申酉)に位置する

曲の中で、鳶頭が登場し決めのポーズをとると、大向こう(客席)から「待ってました!」と声がかかるのが定番となっており、それに対して演者が「待っていたとはありがてえ」と返す演出もあります。

清元「お祭り(申酉(さるとり))」の歌詞

猿鶏の花も盛の暑さにも、負けぬ気性と見かけから

言ずと知れしお祭の姿もすつかり其処等中

 

行届かせてこふもなく、此処では一つ彼処では頭々と  立てられて御機嫌ぢやのと町内の   家主方も夕日影、風も嬉しく戻り道

モシ皆さんも御苦労で御座やす、こんな中でうけさせるぢやあねへが、ほんの事だが聞て呉りや

自体去年の山帰、言ふは今さら過し秋

初の一座の連の内、面白さうな口合に

好いたが因果好かれたも、心に二つはないわいな

其の時彼奴が口癖に

あきらめて何の彼のと、ありや只の人、あか凡夫の我々なりやこそ、滅法けへに迷ひやす

 

お手が鳴るから銚子の替目と、あがつて見たればお客が三人、庄屋ぽんぽん狐拳

とぼけた色ではないかいな

よいよいよんやな

ヤレよい声かけやヤアひけやひけひけ引物にとりては  花に霞よ子の日の小松  初会の盃馴染の煙草盆  おしやらく娘の袖枕  嬶の履物  内裏女郎の召物  座頭の褌あやめに大根  御神木の  注連縄

又も引物は色色御座る、湯元細工のけん玉ぶり、そさま故なら心のたけを、しめし参らせ候べくの、人形筆うり此の首を、長く出したり縮めたり、何と鈍いぢや有まいか

実にも上なき獅子王の、万歳千秋限りなく、尽せぬ獅子の座頭と、お江戸の恵みぞ有難き