つらくも楽しいお稽古の先には、驚くほど豊かな表現の世界がある~花柳楽彩(らくあや)東京都中野区~

つらくも楽しいお稽古の先には、驚くほど豊かな表現の世界がある~花柳楽彩(らくあや)東京都中野区~

本日は、花柳楽彩(らくあや)さんにお話を伺いました。

花柳楽彩さんは、花柳流の師範として東京都中野区に教室を開き、約15人のお弟子さんをお持ちです。先生としての活動のほかにも、舞踊家としてはほぼ毎年、国立劇場での舞踊会に出演しています。

平成31年各流派合同新春舞踊大会(日本舞踊協会が主催し、年に一度行われる、日本舞踊のコンクール)では最優秀賞を受賞するなど評価も高い舞踊家さんです。

最優秀賞を受賞した清元「梅の春」

しかし、本格的に日本舞踊をはじめたのは、意外にも高校を卒業した18歳からだったそう。

ご自身も、こう話されます。

日本舞踊は小さいときからやらないと間に合わないと思う人もいるかもしれませんが、私は踊りはじめたのが18歳で、それまでほとんど日本舞踊はしていませんでした。

大人になってからでも、十分楽しめますし、日本舞踊はいつから始めても、遅いということはありません。

その時の自分の身体と向きあって、自分の感情を表現できるのが、日本舞踊の良いところです!

楽彩さんがどのような経緯で日本舞踊と出会い、お稽古を続けてこられ、そしてこれからどのような思いで活動されるのかお話を伺いました。

花柳楽彩 (はなやぎ らくあや)

公益社団法人日本舞踊協会会員
花柳流師範 まゆの会主催

長唄三味線演奏家の父、日本舞踊家の母のもとで、幼少時より日本舞踊を始める。
平成10年より重要無形文化財(人間国宝)で芸術院会員であった故・二世花柳壽楽(じゅらく)師の内弟子として10年間修業を積み、現在は三代目花柳寿楽師に師事。
学校教育の中で、中・高・大学生、および留学生に日本舞踊を指導するなど、日本の伝統文化の普及に努める。

平成31年日本舞踊協会主催各流派合同新春舞踊大会 最優秀賞受賞

大東文化大学外国語学部非常勤講師
学習院女子中・高等科日舞部コーチ
よみうりカルチャー恵比寿講師

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うめざわ

はじめまして、梅澤です。今日はよろしくお願いします。

花柳楽彩さん

はい、お願いします。

日本舞踊はイヤでイヤでしょうがなかった?

菊づくし(6歳)

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うめざわ

楽彩さんの日本舞踊との出会いはいつですか?

花柳楽彩さん

母が花柳流の舞踊家でしたので、6歳からお稽古はしていました。

でも、そのころは発表会の前に2~3か月お稽古する、というようなもので、本格的にお稽古していたわけではありません。中学生、高校生のときは一切やっていませんでした。

18歳で本格的にはじめるまで、「菊づくし」「こうのとり」「道成寺(どうじょうじ)の所化(しょけ)」の三つしか踊れませんでした。

「菊づくし」「こうのとり」「道成寺の所化」・・・菊づくし、こうのとり、道成寺は日本舞踊の演目。所化とは、道成寺に出てくる僧侶の役。

花柳楽彩さん

それに、実はそのころは、日本舞踊はイヤでイヤでしょうがなかったんです(笑)

中学、高校の時は宝塚に入りたくて、バレエ、ジャズダンス、声楽など、宝塚のレッスンばかりで、日本舞踊はなにもやっていませんでした。

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うめざわ

意外ですね!

宝塚を目指していたのに、どうして嫌いだった日本舞踊の道に?

宝塚を目指すきっかけは二代目・花柳壽楽(じゅらく)先生

二代目 花柳壽楽先生と

花柳楽彩さん

もともと宝塚を目指すきっかけだったのが、宝塚の日本物を観劇したことなんです。その振り付けをされていたのが、二代目の花柳壽楽先生でした。

宝塚は落ちてしまったのですが、これからどうしようかなと思ったときに、せっかく踊りの家に生まれたんだから、踊りをしなさい、と壽楽先生の内弟子として修業することを勧めてくださった方がいたんです。

そのとき「あっ!あの壽楽先生だ!」と思って。

二代目 花柳壽楽(じゅらく)・・・昭和から平成にかけて活躍した舞踊家。重要無形文化財(人間国宝)。花柳流の伝統を継承して古典舞踊を伝えるとともに、創作舞踊にも積極的に取り組み、宝塚歌劇団の演目の振付なども行った。

花柳楽彩さん

なので、大きな覚悟を決めて、というよりは、人に勧められてこの道に入りました。先生も、壽楽先生じゃなかったら、ここまで続いてなかったかもしれません。

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うめざわ

内弟子に入る、というと、かなり大きな覚悟を決める、というイメージがありますが、そうでもなかったんでしょうか?

花柳楽彩さん

そうですね。たしかに日本舞踊はそこから始めたようなものですしね。

私の場合、ほかの方と至る経緯がちょっと違う気がするんです。

私は祖父が漫才師で、父が長唄三味線奏者で、母もOSKに入ったり、松竹新喜劇に入ったり、そこで振付をやったり、それ以外にも舞台やテレビで上方芸能をたくさん見てきて、自分の中に芸事に対するいろんな感覚が養われました。そういうところで育ってきたのがすごく大きいと思うんですよ。

OSK・・・OSK日本歌劇団のこと。宝塚歌劇団、松竹歌劇団と並んで三大少女歌劇団の一つといわれる。

お父様と

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うめざわ

芸能一家であることや、上方芸能に囲まれて育ってきた環境の中で「芸の世界で生きていく」、ということが、特別なことではなくて、自然なものとして感じられていたということですかね。

花柳楽彩さん

そうですね、自分もそうなるんだろうな、っていうのが心の中にあったんだと思います。なので内弟子に入る、っていうこともそんなに抵抗なく。

ですけど、来てみたら、「これは・・・!」って・・・。

東京で内弟子生活がスタート!

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うめざわ

実際に内弟子生活をスタートされてみてどうだったんでしょう?

花柳楽彩さん

昔ながらの芸事のお家、って感じで、壽楽先生の奥様が弟子を育てるということに対してはすごく厳しい方で。

私は父が早くに亡くなったので、母と二人で、ある意味、きままに生きてきたようなところがあるんですね、それだから余計に。

それに、お師匠さん一家とお手伝いさんや、いろんな人がすごい勢いで出入りするお家での共同生活に、なかなか慣れなくて大変でした。

先生のお家の方も、突然よくわからない女の子が入ってきて、いろいろ大変だったんじゃないでしょうか。

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うめざわ

そこから10年の内弟子修業が始まるわけですね。

内弟子時代に経験した貴重な、あるいは大変だったエピソードを教えていただけますか?

人間国宝に「供奴」を踊らせた内弟子!?

常磐津「年増」(2017年 国立劇場大劇場)

花柳楽彩さん

たまに、ほかのご家族がみんな出かけられて、お家に壽楽先生と2~3時間、2人になるときがあって。その時に、「いま時間があるから、お稽古見てあげる」って秘密でお稽古をつけてもらったことです。

普通、内弟子が大師匠に稽古つけてもらうってありえないんですよね。偉い先生ですから。お弟子さんでも、会があるとか特別な時にしか、普通は見てもらえない。

私はその時踊れる「供奴」とか「手習子」とか「玉屋」を見ていただいたんですが、先輩方に、そういう普段のお稽古の曲を、見てもらった人なんていないんだぞ、って少し叱られつつも羨ましがられました。「お師匠さんに供奴を踊らせた内弟子」と(笑)

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うめざわ

それは凄い経験ですね!

逆に大変だった経験はありますか?

先生の最後の稽古を目の当たりにして

花柳楽彩さん

大変だったというか、お師匠さんが晩年、身体を悪くされたんですよ。肺気腫っていうご病気で。

とても気力がおありな方だったので、毎年歌舞伎座で公演もされて、新作や、ご自分の踊りたい曲を発表してきた方だったので・・・いま思い出すだけでも胸が詰まるんですけど・・・。

花柳楽彩さん

最後のリサイタルの時、肺気腫だからお身体もだんだんしんどくなってこられて、これでもう最後だな、ってなんとなくみんなもわかっていて。その最後のリサイタルのときのお稽古が、本当に悲しかったです。

もちろん、踊れるんです。小さな舞台とかではまだ踊られるんでしょうけど、信念をもって、人生これにずっとかけてこられた方だったので。

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うめざわ

壽楽先生は、どのような信念をお持ちだったのでしょうか。

花柳楽彩さん

「日本舞踊は歌舞伎から生まれたものだけど、歌舞伎に乗っかってちゃいけない。『日本舞踊』というジャンルを確立させたい」という熱い気持ちがおありの先生だったんです。

壽楽先生は、歌舞伎から題材や表現を得ることはあっても、「日本舞踊」としての演目を生み出してた先生だと思うんですよ。

花柳楽彩さん

それをずっと何十年も続けてこられて、その人生が詰まった最後のお稽古のテープかけをしていて、魂を絞り出すようなお稽古で・・・もう先生は息苦しくて、あんまり無理されるとご病気を悪化させてしまうくらいの状態だったと思います。

その、命を絞り出すような、命がけのお稽古を間近で見てきたので。ご家族もお師匠さんのためだけにまわっているような毎日だったので、その末端にでも加わらせていただいたのは、すごくいい経験、というか今でも胸が詰まる思いです。

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うめざわ

・・・大変貴重なお話をありがとうございます。

楽彩さんの心に残る舞台

舞踊講座 成果発表会の舞台裏で。花柳美喜さん、花柳綱仁さんと。

花柳流の講習会での舞台

10年くらい前に、四代目の花柳壽輔(じゅすけ)先生(当時。のちに二代目花柳壽應(じゅおう))が若手を育成する第一回舞踊講座をされたときの成果発表の舞台です。そうそうたる先生方がご覧になってて、あんなに怖い舞台はありませんでした(笑)

若手の精鋭みたいな人たちが参加した講習で、今も活躍している人たちが参加していたんですが、まだ内弟子時代、ひとりだけの無名の私が入れることになったんです。

朝から晩まで稽古

毎朝7時にお家元のお稽古場に行って、午前のお稽古、座学、またお稽古、夕方5時にいったん終わるんですけど、夜は自主練でみんな帰るのは終電ギリギリ、みたいな1週間でした。

そのあともみなさんは自宅やホテルでおさらい、私はお師匠さん宅に帰ってからおさらいをしていたら稽古場で寝てしまって、翌朝あわててシャワーを浴びてすぐ、お家元の家に飛んでいく、というようなこともありました。講師の先生方も大変だったのではないでしょうか。

選ばれて舞台へ

講習の課題が「まかしょ」と「松の羽衣」で、最終日に先生方の前で発表があるんですが、なぜか無名の私が松の羽衣の天女に選ばれてしまったんです。

こんなに怖い舞台はありませんでしたね。踊り終わったあとも、記憶がありません(笑)

「プロとして」ターニングポイント

大変だった半面、これを乗り越えたことで、私でもプロでやっていけるかな、と思えたターニングポイントでもありました。

受け取ったものを、伝えていきたい

日本舞踊教室(まゆの会)のみなさんと

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うめざわ

そこから教室を開く、教えるということに至った経緯を教えてください。

花柳楽彩さん

お師匠さんから大切なもの、魂、思いを受け取ったと思うんですよ。私なりに。

私にとって絶対的なお師匠さんの踊りとか、魂を、忘れてほしくないな、って思う気持ちが自分の中にあって、それを自分なりに伝えていきたいっていう気持ちが、だんだん大きくなってきたんです。

それで、お弟子さんをとって教えていくことは、受け取ったものの使命だな、っていう思いにいたりました。

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うめざわ

楽彩さんは2015年から教室を持たれ、毎年夏にはおさらい会も開かれていて、いまでは約15名のお弟子さんがいらっしゃいます。

お弟子さんには、どんな方がいらっしゃいますか?

花柳楽彩さん

いろんな方がいらっしゃいますよ。

会社員の方、学校の先生、大学研究者、ヨガのインストラクターの方などもいらっしゃいます。お子さんもいますよ。

日本舞踊が初めての方のほうが、多いですね。

教える上で大切にしていること

お稽古場にて(東京都中野区)

「お稽古は辛いけど、楽しい」

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うめざわ

楽彩さんがお弟子さんを教えるにあたって、気を付けていることやこだわりはありますか?

花柳楽彩さん

身体の使い方や所作の意味を、なんのためにそうなっているのか、そうすることで、どう心情が表現されるのか、などを伝えるようにしています。

私が小さいころ、なにもわからずいきなり「お腰を入れるんですよ」って肩をぎゅーって押さえつけられたとか、そういうので日本舞踊がイヤになっちゃった、みたいなところがあるんです。

わかってる人が「お腰を入れる」って聞けば、それは一番大切なことだ、ってわかるんですけど、初めての人が訳も分からず、ただそうしなさいって言われると、辛いな、って日本舞踊のイメージが悪くなってしまうのが残念で。

花柳楽彩さん

でも楽しいだけじゃないんですよ。辛いんです。辛いんだけど、楽しいんですよ、お稽古って。

最初は腰を入れるのが辛い、次は振りを覚えるのが辛い、振りを覚えたら感情をどう入れればいいのかわからない・・・いろんなレベルで、その時々の辛さ、楽しさがあって、お弟子さんには長く続けてほしいから、「日本舞踊って大変なんだけど、こんなに楽しい、豊かな表現がある」ってことを伝えられるように教えることを心がけています。

教えることで気づかされたこと

自分と違う人との出会いが芸につながる

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うめざわ

お弟子さんを教えるようになって、変化したことなどはありますか?

花柳楽彩さん

あります!

教わるだけ、受身でいたときは、わからなかったことにいろいろ気づかされました。

内弟子時代は、4人の先生に代稽古をつけてもらっていたんですけど、先生によって言っていることが違ったり、同じ先生でも昨日と今日とで言ってることが変わったりするんです。それに対して「なんで?」って反抗期みたいな時期があったりとか(笑)

でも、先生方の目指しているところは同じで、私ができないから、いろんな教え方をしてくださってたんだな、って、教えてみてはじめてわかりましたね。

長唄「時雨西行」(2018年 第一回まゆの会 三代目花柳寿楽先生と)
寿楽先生からは、内弟子時代から教えを受けていた

花柳楽彩さん

あと、自分ではない人を受け入れることの大切さにも気づけました。

いろんなお弟子さんがいるんです。普段は感情豊かだけど、踊りになると出ない人、普段は感情を出さないけど、踊りになるとすっごく感情豊かに踊る人・・・。そういう自分とは違う人たちに出会って、教える経験が、自分の芸にもにつながっているっていうことを実感しました。

これからやってみたいこと

地方さんの生演奏で踊る楽しさ

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うめざわ

これからやってみたいことはなんですか?

花柳楽彩さん

おさらい会を続けていって、いつかは自分の舞踊会を開いてみたいですね。

花柳楽彩さん

教室では、お弟子さんたちに地方さんで踊る楽しさを知ってもらいたいです。

もし限られた予算のなかで、衣裳か、地方さん(生演奏)かってなったら、ほとんどの人は衣裳を選ぶと思うんですよ。それもすごくわかるんですけど、踊りに音楽ってすごく大事で。

花柳楽彩さん

私自身、踊りがひどく行き詰ったときがあったんです。身体は動くんだけど、なんかダンスみたいだな、っていうか。その時にあらためて長唄を習ったんです。

私はそれまで踊りは三味線で踊るって思ってたんですけど、そこで唄の節でも踊れるんだ、って気づいて、唄の節で踊ってみよう、って意識したら踊りにも少し抑揚がつくようになって、すごくいいものを勉強させていただきました。

衣裳というファッションを選ぶのもいいんですけど、踊りと生の音楽とのセッションという楽しみも知ってほしいなと思います。

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うめざわ

本日は、たくさん貴重なお話を、どうもありがとうございました!

最後に、日本舞踊に興味を持っている人に、メッセージはありますか?

花柳楽彩さん

日本舞踊はいくつになっても、楽しめるものです。私自身、18歳まではほぼ経験ゼロに等しいと思っています。

大人になってからでも、たとえおじいちゃんおばあちゃんから始めたとしても、その時の自分の身体と向き合って、感情を表現していける、それが日本舞踊の楽しさです。

始めるのに遅すぎるということはありません。いま興味がある人は、ぜひ一歩踏み出してみてください!

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うめざわ

舞踊家としても、お師匠さんとしても、これからのご活躍がとても楽しみな花柳楽彩さん。アメブロやInstagramでも発信されているので、ぜひフォローしてみてください。

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