常磐津「独楽(こま)」歌詞と解説
常磐津「独楽(こま)」解説
浅草寺(せんそうじ)の境内に独楽売りの万作がやってきて、独楽の由来を物語ります。独楽を回して見せるうちに踊りに興じ、最後には自分が独楽になってしまうという趣向の演目です。
全体の流れとして、しっとりとした物語から、軽快な曲芸、そして最後のは独楽への変身と意表を突いた構成は、独創的な発想で今日も興味をそそる内容といえます。
独楽売り万作が登場!
場面はお正月、人で賑わっている浅草寺。「評判の独楽じゃ独楽じゃ」のセリフで独楽売りの万作が花道に登場します。
「商う品は大独楽小独楽」「回らば回れ門礼も」と独楽の入った掛け箱を首から吊るして「廻る汐」「帆が回る」「眼が廻る」と「回るものづくし」の歌詞にのせて踊ります。
そして「大通りを吹く春風につられてここへやってきたのだ」と花道から本舞台へと歩いてゆきます。
立方:花柳美寿一朗(みずいちろう)
独楽の由来は菅原道真ってホント?
万作は、改まって衣紋(えもん。着物の後ろ襟)をつくろい「そもそも独楽の始まりは」と独楽の由来を語り始めます。
独楽が、歴史上の偉人である菅原道真に由来するという逸話をベースに、まず、醍醐天皇の御代の、藤原時平と菅原道真の抗争を仕方話(しかたばなし。身振り手振りを豊富に加えた話)で見せます。
そして「東風(こち)吹かば 」の菅原道真の有名な一節を用いながら、道真恋しさに京都から大宰府へ飛んできた梅の木が枯れると、道真が手遊びに独楽にしたのが、独楽の一番初めの始まりだ、と語ります。
梅の木の話は“飛梅伝説”(とびうめでんせつ)”とも呼ばれています。藤原時平の陰謀により大宰府へと左遷されてしまうことになった菅原道真は、京都を離れる日に梅の木に詠いかけました。
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るるな(春な忘れそ)
菅原道真が大宰府に着くと、主人(菅原道真)を慕った梅の木は一夜のうちに飛んで来たといわれています。
さらに歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」を引用して、道真の物語を踊ってみせます。
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)は菅原道真の伝説をもとにした演目で「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」とならぶ歌舞伎の三大名作のひとつ。常磐津「独楽」では「賀の祝(がのいわい)」というシーンが引用され、梅王丸・松王丸・桜丸の三つ子の兄弟、三人の女房のことが描かれています(冠(かぶ)りの紐を~色香を添へてなまめかし)。
なお、独楽は数千年前から世界中で自然発生的に生まれていたとされ、菅原道真が独楽の起源とする逸話は、独楽売りの方便(おおげさな売り文句)です。
独楽に変身してしまう!?
独楽の起源の話が終わると、今度は実際に独楽を回して見せます。
広げた扇子の上を渡らせたり、紐付きの独楽を投げると長い煙管の上で回して見せます。その後も独楽づくしで綱渡り・つばめ回し・風車・衣紋流しと曲独楽(曲芸用の独楽)の振りが続きます。
あたかも本物の曲芸師のように独楽を操るのも、踊り手の腕の見せ所です。
この間に引き抜き(一瞬で衣裳を変化させる仕掛け)を行って、独楽をデザインした衣裳へ早変わり、自らが独楽の姿となって回ります。
一度舞台袖へ引っ込み背景が変わると、舞台いっぱいに白刃の上に独楽売りが立っています。最後は、袖を広げ独楽が刃渡りをするようにぐるぐると回っていきます。
作品情報
作詞は木村富子、作曲は三世常磐津文字兵衛。振付は二代目花柳寿輔。
初演は、昭和3年(1928年)9月歌舞伎座にて。先代市川猿之助が六代目尾上菊五郎と共演した時「小品舞踊五種」と題して踊ったうちの一曲。初代猿之助が踊ったものを、二代目猿之助が再演しようとしたが台本、曲が見当たらなかったため新作。家の芸「猿翁十種」の一つに加えられました。
変化舞踊の一つであり、今日ではいろいろな流派で踊られています。
なお、二代目花柳寿輔は、再建した歌舞伎座の座付き振付師となったのち、二代目市川猿之助と提携し多くの作品を残しています。
作曲者 | 三代目常磐津文字兵 |
作詞者 | 木村富子 |
初演情報 | 初演年月 1928年(昭和3年)9月 役者 市川猿之助 劇場 歌舞伎座 振付 二代目花柳寿輔 |
大道具 | 1.浅草雷門の場。正面には版画もようにて、初春の浅草仁王寺あり。観世音の本堂を望みたる中遠見、左右は仲見世などを描く張物にて見切る 2.刃渡りの場。あばれのし幕をバックに、廻転装置ある刃渡り台を置く *1、2.のつなぎはふり落し、又は暗転その他の方法による |
小道具 | 首掛けの箱、コマ三ケ、長ぎせる、扇子、麻裏草履 |
衣装 | 着付 ちりめん地に納戸色の縞(かぶせ仕立)、東からげ 襦袢、黒襟、赤袖 袖なし羽織、薄柿色に好みの柄 帯 黒繻子吉弥結び 足袋(紺)、紐付手甲(紺色)、折頭巾(紺色) 引き抜いて、繻子色に銀、朱、緑、黄、各色の独楽模様の首抜き |
常磐津「独楽(こま)」歌詞
賑ひは 花の東の浅草寺 金竜山(きんりゅうざん)の名にしるき
ご利生も 身に澤潟屋(おもだかや)
八百八町ごひいきを めぐりくるくる 独楽売が台詞 「サァサァ 是はかくれもない坊様方のお手遊び 評判の独楽ぢゃ 独楽ぢゃ」
(※お子ども衆のおなぐさみ/お子供のお手遊び 等 とすることもある)商う品は大独楽小独楽 廻らば廻れ門礼も
屠蘇の機嫌の調子よく
沖じゃエェ沖ぢや 朝夕 廻る汐
さしたり引いたり帆が回る 舟にゆられて眼が廻る
しょんがえ身は 気散じな世渡りや
大路をわたる初東風に 浮かれうかれて来たりける台詞 「えへん 古めかしくも 伝立ては そもそも独楽のはじまりは」
古りし延喜の御代かとよ
時平の大臣の よこしまより
筑紫へ遠くさすらいの 菅丞相が愛樹の梅
東風吹かば 匂ひおこせ と詠み給う君が情けの通ひては 花もの言はねど都より ひと夜のうちに飛び梅の
その枯木にて 手ずさみの 姿も優な小松ぶり冠(かぶ)りの紐をきりりとしやんと巻いて 投げては えいと引く
さっさ引け引け 五色の独楽や御所車
ありやありや こりやこりや やっとな
酒がすぎたか目元が桜 梅は笑へど常の癖味に 拗ねたる松の振り三つ子の親は七十の 賀の祝ひとて なますやら
米炊し 味噌摺り あたふたと
きざむ嫁菜の姉妹 色香を添へてなまめかし約束かたき心棒に やがてもうけし 子持独楽
孫彦玄孫(まごひこやしゃご)と末広に
黄金銭(こがねぜに)独楽 うなり独楽
ごんごん独楽(ごま)の鳴りもよく 天下とるとる 投げ取りの
曲はさまざま それ 綱渡り(つなわたり)燕廻(つばめまわ)しや 風車 めぐる月日が縁となり
一寸(ちょっと)格子へ 煙管(きせる)の火皿(ひざら)が 熱くなるほど登りつめ
二階で廻る さんさん盃(さかづき)とんだりはねたり 雷門(かみなりもん)の助六さんでは無けれども
紋流し(えもんながし)の居続けは しんぞ 命の雪見酒
おっとそこらで とまらんせ
止めても止まらずくるくると 寿命は尽きぬ 独楽(こま)しらべめでたかりける 次第なり