端唄「紅葉の橋(もみじのはし)」歌詞と解説
日本舞踊で人気の端唄「紅葉の橋(もみじのはし)」歌詞と解説です。
端唄「紅葉の橋(もみじのはし)」解説

秋から冬にかけての季節の移り変わりを、天の川の故事を引用しつつ描く、雅な一曲です。
掛詞で言葉を紡ぎ、展開していく
歌詞の内容に深い意味はありませんが、掛詞で次々と言葉が紡がれ、展開していく、テンポの良い曲です。
「紅葉の橋のたもとから 袖を垣根の言いずてに」・・・「橋のたもと」と「着物のたもと」、「袖をかきあげる」と「垣根」が、それぞれかかっています。

カササギ
「ちょっと耳をばかささぎの」・・・「耳を貸す」と鳥の「かささぎ」がかかっています。
「霜もいつしか白々と」・・・かささぎの身体の「下」が白いことと、「霜が白い」ことがかかっています。また、ここで季節が秋から冬へ移っていることがわかります。
「雪をめぐらす舞の手や」・・・「雪がめぐる(宙に舞っている)」と「舞の手がめぐる(舞の中で手がひらめいている)」がかかっています。
天の川の故事がさりげなく入っている

実は、この曲には私たちにもなじみの深い、「天の川」の故事に関する言葉がさりげなく織り込まれています。それは「紅葉の橋」「かささぎ」「霜」です。
年に一度だけ天の川で会うことができるという、織姫と彦星。二人が会うのは天の川の橋の上ですが、この橋のことを「鵲橋(かささぎばし)」といいます。二人が会う橋は、かささぎが羽根を重ねて作った、という伝説によるものです。
百人一首には、「鵲橋」について次のような和歌が載っています。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける-大伴家持(おおとものやかもち)
(意味)天の川にかかる、かささぎの橋。そこに霜のようにきらめく白い星々を眺めていると、夜も更けたものだ、と感じるものだ
また古今和歌集にはこのような和歌も収められています。
天河(あまのがわ) 紅葉をはしに わたせばや たなばたづめの 秋をしもまつ-詠み人知らず
(意味)織姫が秋を心待ちにするのは、紅葉が天の川に橋をかけるからであろうか(たなばたづめ=織姫のこと)
「紅葉の橋」「かささぎ」「霜」の三つのキーワードが出てきましたね。このように、短い曲の中でにさりげなく、天の川の故事が入っているのです。なんとも憎い演出ですね。
アメリカ大統領を歓迎するため作られた踊りだった
1879年、アメリカ大統領グラント将軍が世界旅行の途中、来日。端唄「紅葉の橋」はその際に新富座にて行われた招待芝居のために作られ、披露されました。

東京名所之內 第一の劇場新富座(歌川廣重)
舞台の正面には日米の国旗、東西の桟敷から向こう正面まで紅白のだんだら幕を張り巡らせ、次のように口上(舞台の上で説明を話すこと)を述べたと言います。
「このたび将軍のお出で、毎日の饗応(酒や食事を出して人をもてなすこと)、招待の支度で市中はたいそう賑やか。今日はとりわけ芸者のべっぴんが総踊り」
この口上の後、幕が切って落とされ、現れた舞台は京橋から日本橋までの市街を見せる飾り付けでした。
踊りも豪華なもので、総勢70名ほどの芸妓が東西の花道から登場。その衣装は、アメリカの国旗をモチーフにした白地に赤く横段を染め出した単衣(ひとえ)、黒繻子の帯、浅黄地に白い星を抜いた襦袢、片肌脱ぎ、といういで立ちであったと言います。
この時来日したグラント将軍は、アメリカ大統領で初めて訪日した人物で、元・徳川将軍家の別邸の「浜離宮」(東京都中央区。現・浜離宮恩賜公園)へ宿泊しており、来日記念に、増上寺に植えた松は、「グラント松」として、今も残っています。
端唄「紅葉の橋(もみじのはし)」解説
紅葉の橋のたもとから
袖を垣根の言いずてに
ちょっと耳をばかささぎの
霜もいつしか白々と
積もるほどなお深くなる
雪をめぐらす舞の手や
ヨイヨイ、ヨイヨイ、ヨイヤサー
作品情報
| 作曲者 | 三世・杵屋正次郎 |
| 作詞者 | 河竹黙阿弥 |
| 初演情報 | 1879年7月16日 役者:芸妓による総踊り 劇場:新富座 |
| 大道具 | 京橋から日本橋までの市街 |
| 衣裳 | 白地に赤く横段を染め出した単衣(ひとえ) 黒繻子の帯 浅黄地に白い星を抜いた襦袢 片肌脱ぎ |
参考図書
郡司正勝・編「日本舞踊辞典」 東京堂出版 1977

