カナダの空の下で気付いた、私の根本を成すもの|花柳舞麻(東京都台東区浅草)
観光客で賑わう雷門から徒歩約10分、浅草三筋(みすじ)は、喧騒とは無縁の静かな場所だ。今回はここで日本舞踊家、指導者として歩む花柳舞麻(まあさ)さんを取材した。母である花柳玉舞(ぎょくぶ)師のもと、4歳で初めて舞台に立ってから今日に至るまで、彼女の歩みは決して単純な一本道ではなかった。一度は伝統の世界から距離を置き、海外へと飛び出した舞麻さん。彼女が再び舞踊の道に戻った理由、現在の活動、これからの展望を聞いた。

花柳舞麻(まあさ)プロフィール
幼少期に母・花柳玉舞に入門。
学生時代はストリートダンスに没頭。
2012年 カナダに渡り、1年間異文化を体験。
海外生活で日本の伝統芸能の美しさを再認識し、2014年 日本舞踊の学びを再開。花柳玉舞へ師事。
2016年 花柳舞麻の名前を許される。浅草こども教室やインターナショナル幼稚園にて指導アシスタントを開始。
2021年 専門部取得。専門部取得後、花柳園喜輔師に師事。
以降 日本舞踊、ストリートダンス 双方を通じ身体表現を探究。次世代へ繋ぐ活動を展開している。
母に連れられ始めた踊りと「離別」

▲演目『常磐津 お夏狂乱』に登場する里の子を踊った時の一枚
舞麻さんの日本舞踊との出会いは4歳のころに遡る。指導者は50年近く教えの道を歩んできた母である花柳玉舞師。
国立劇場や武道館という大きな舞台での出演も経験したが、小学生の頃、舞麻さんは一度踊りから離れる決断をする。

▲日本武道館で開催されていた公演に、こどもたちの群舞の一員として数次にわたり出演
-なぜ辞めたのか、実ははっきりとした理由は覚えていないんです。でも、母が先生であることの難しさがあったのかもしれません。
舞麻さんはそう振り返る。当時、彼女にとって日本舞踊は「当たり前すぎて特別な価値を感じないもの」だったのかもしれない。
高校に入ると、彼女はストリートダンス(ヒップホップ)に夢中になる。自由に自分を表現するダンス、仲間との即興のセッションの楽しさは日本舞踊にはないものだった。
カナダの友人に気付かされた自分自身の「根本」
ダンスを通じて海外の文化に強い憧れを抱いていた舞麻さんは、大学生の時、休学してカナダへワーキングホリデーに旅立つ。憧れの海外の文化を全身で感じ吸収する日々。しかし、同時に…
-現地での交流の中で、日本の文化に詳しい友人と出会い、逆に私は日本のことを何も知らない、と気づかされました。
外の世界を知ることで、逆説的に自分の中の「日本人としての文化的アイデンティティ」の不在を痛感し、その魅力を再認識した。この経験は、舞麻さんを帰国後再び日本舞踊の道へと導いていく。

▲留学生に向けた日本舞踊体験
自由なダンスとの違い――「型」があるからこその魅力
▲名披露目「長唄 京鹿子娘道成寺」(2017年)
再開した日本舞踊に舞麻さんは、かつてとは違う意味を見出していく。
-ヒップホップの自己表現にはルールがありませんが、日本舞踊には継承されてきた『型』があります。緊張感とプレッシャーがある一方で、先人から長い歴史を経てその芸を受け継いでいるという感覚はダンスにはないものです。
2016年に名取を取得、2021年には専門部に合格し、一歩ずつ自分自身の踊りを積み上げていった。
「答えを急がない」子どもたちへの眼差し

▲文京学院大学と神奈川県藤沢市の産官学連携プロジェクト「GLOBAL BLUE HANDS PROJECT」
現在は、会社員としても働く傍ら、玉舞師とともに子ども教室の指導にも力を注いでいる。舞麻さんが大切にしているのは「安易な答えを求めないこと」だ。
-子どもたちの小さな疑問も受け流さずに拾い上げて言葉にして共有することを心がけています。一方で、すぐに正解を教えすぎないようにも気をつけています。体や心でじっくりと感じ取る時間も大切ですから。

▲地域のお子様のために玉舞師が開設したこども教室は30年以上続く。かつては舞麻さんも生徒の一人だった
子どもたちは必ずしも自分の意思でお稽古を始めるわけではない。時には自分の意思とは関係なく連れてこられることもあるだろう。そんな子どもたちの目がふとしたきっかけで日本舞踊に向き始めるのに気づくのが嬉しい、と舞麻さんは語る。
その言葉から、子どもたちの小さな声に耳を傾け、時にはじっと待ちながら、成長や気づきをそっと後押しする思いやりが垣間見える。
実演家として、プロデューサーとして、自然と共存する一個人として
これからは指導のみならず、舞台での実演家としての活動や、舞台のプロデュース活動も増やしていきたいという。

▲舞麻さんプロデュース初の試み「日本舞踊×コンテンポラリーダンス」(2022年 監修:花柳玉舞)
その中で大切にしていきたいと考えるのが「自然との共存」というテーマだ。
日本舞踊の古典作品には必ずと言っていいほど豊かな自然が描かれ、それは、日本人がいかに自然と共存し、その美しさを愛でてきたかの証だ、と舞麻さんはいう。
日本舞踊には自然を表現する「型」がいくつも存在する。例えば「風」「波」「花」「月」「雪」「雨」…と枚挙にいとまがない。
-古来、私たちは自然の恵みとともに生きてきましたが、今、その調和を揺るがす環境問題に直面しています。環境問題に対し、一人の舞踊家として何ができるか。その問いを持ち続けています。この先も長く日本舞踊を繋いでいくために、ときには何百年と続く慣習を疑うことも恐れず、受け継ぐべき精神性を守りながら、環境課題とも向き合っていきたいと思っています。
舞麻さんの指導方針からは、自らが一度日本舞踊を離れた経験があるからこその思いやりや寄り添いが感じられた。
そして海外文化やストリートダンスへ傾倒したからこそ、慣習を疑うことも恐れず芸の継承に向き合う姿勢や、自然との共存にまで広がる視野が得られたのだろう。日本舞踊家としてのキャリアからは一見遠回りに見えるものが舞麻さんにしかない個性を生んでいる。
自然や社会と同じく伝統芸能も変わらず継承されていくものであると同時に、変化し続けるものである。舞麻さんのような視座を持つ舞踊家からこそ、新たな日本舞踊の表現や舞台が生まれてくるのではないだろうか。