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日本舞踊の動作と身体的快楽について。ダンスに関する先行研究から考える

日本舞踊の動作と身体的快楽について。ダンスに関する先行研究から考える

こんにちは、梅澤です。

日本舞踊だけに特別な魅力って何だろう?

この問いに、もう約5年くらい、ずっと悩んでいます。

歴史か?いや、歌舞伎や長唄も同じような歴史を持っているし、もっと古い歴史を持つ伝統文化はたくさんある。

稽古は楽しいぞ。体を動かして健康にもなる。いや、同じようなダンスサークルや教室はたくさんある。

コミュニティの魅力は?いやいや、それこそ、もっと手ごろな習い事、お教室にも、みんなコミュニティがあって、その楽しみを求めてみんなが集まっているのでは?

日本舞踊は舞踊と音楽、衣裳などの総合芸術だ!しかし、歌舞伎の方がもっとすごい。

このように、あれこれ考えては、見つからない答えに悶々としてしまうのです。

あなたは、「日本舞踊に特別な魅力」は何だと考えますか?

日本舞踊が持つ、普遍的、かつオリジナルの価値とはなにか?

日本舞踊の魅力を伝えることを目的の一つにしている「俺の日本舞踊」として、この問いへの執着を手放したことはありません。

「日本舞踊が持つ、普遍的、かつオリジナルの価値」を言語化することは、より多くの人が日本舞踊に興味を持つことにもつながります。

日本舞踊に独特の身体的快楽があるのではないか?

最近、おぼろげながら見えてきたのは「日本舞踊に独特の身体的快楽があるのではないか?」ということです。

これを考え始めたのは、「振り」について考えていたときでした。日本舞踊の振りには、具体的なものと抽象的なものがあります。

具体的とは、日常動作をそのまま振りにしたものや、自然や動物などの具体的対象物を体を使って表現するものです。「あて振り(あてふり)」ともいいます。

日常動作の一例としては「髪をかき上げる」、「キセルを渡す」、「魚を釣る」「船を漕ぐ」など様々なパターンがあります。

自然や動物は、「手(扇子)をひらひらさせて風を表現」、「おなかを叩いて狸を表現」のようなパターンです。

一方、抽象的な振りも多くあります。日本舞踊が「分かりにくい」と感じる一因でもあると思うのですが、なぜ抽象的な振りがたくさんあるのか。

振りは、他者と自分、両方に働きかける

その理由の一つは「表現」です。舞踊は、そのそのものが表現手段ですから、振りそのものに具体的な根拠や意味がなくても、それを見ることで伝わる「印象」があります。舞踊によって伝えたい情報を表す方法の一つとしての抽象表現であるというのが一つ目の理由です。

言い換えると、「振り」は舞踊家にとっての言語の一種であり、コミュニケーション手段です。つまり、「他者」に働きかけるものとも言えます。

私はここに、もう一つ加えたいと思っていて、それが「振りそのものが踊り手(舞い手)の精神に与える影響」です。ここでは「身体的な快楽」としておきます。これは「自分」に働きかけるものです。

表現|他者に働きかける(コミュニケーションの領域)

踊り手(舞い手)自身の精神への影響|自分に働きかける(身体的な快楽の領域)

身体と精神の関係性については多くの先行研究があり、その関連性が指摘されています。ダンス分野では、ダンスによってレジリエンス(危機に対する抵抗力)を高められる可能性についての研究が行われていて、前向きな結果が出ています。

ヨガや瞑想(マインドフルネス)も、呼吸や姿勢を整える、といった身体を通じての精神へアプローチと理解できます。昨今のサウナブームも身体から精神へアプローチし「整う」ことを目指す意味で、通じるところがあるかもしれません(筆者は整う経験がほとんどないのでこの程度の言及にとどめますが・・・)。

そもそも日本にも「心身一如」という言葉があり、両者を一体と捉えることは思想的にも馴染みがあるのではないでしょうか。

さて、精神に与える影響として、日本舞踊に特徴的なものはあるのでしょうか?

ダンスには多様な形態があり、その特徴は千差万別です。よく言われるのが、バレエとの比較で、「バレエは天を目指して上へ上へと跳躍するのに対し、日本舞踊は大地へ深く根ざすように、地に足をつけ重心を低く保つことに特徴がある」というような説明です。

この説明を読んだとき、私は半分納得、半分は納得がいきませんでした。これは、見た目の特徴を詩的に表現してはいますが、なぜそうなのか、という理由については説明されていないからです。

身体的動作が精神に与える、特徴的な作用があるのでは

なぜ日本舞踊はこのような特徴を持つに至ったのか?それは、この身体的動作が精神に与える作用なのではないでしょうか?

ダンスによって心身の統一を図る「ダンス・セラピー」という手法があるそうです。ダンス・セラピーにおいては、特定の決まった型のダンスを行うのではなく、個々人がその心身状態に合わせて自然発生的に行う動作を「ダンス」と呼びます。

その人に固有の、またその時々で異なる心身状態における最適な「ダンス」が異なるということは、つまり、「ダンス」が違えば、それぞれに異なる心身状態へ導かれることが示唆されていると私は考えます。

そうなれば、「天を目指して上へ上へと跳躍する」ときと、「大地へ深く根ざすように、地に足をつけ重心を低く保つ」ときでは、踊り手(舞い手)が到達する精神状態は必然的に異なります。ダンス後の精神状態は、それはダンス(身体動作)によって導かれるからです。

表現する喜びとは別の喜びがあるのではないか

私は、あらゆる表現活動は、抽象的な心のカオスを、なにかに翻訳することだと理解しています。言葉で表現するのが好きな人は言葉で(文筆家、詩人など)、ビジュアルで表現するのが好きな人はビジュアルで(画家、漫画家、映像作家など)、音で表現したい人は音で(作曲家、演奏家など)。そして身体表現が好きな人はダンスや舞踊を選択します。

ここでもう一つ、表現する喜びとは別の、喜びもあるのではないかということを考えたい。

それが今回のテーマでもある「身体的な快楽」です。表現活動には必ず他者が必要です。それは伝えることが目的のコミュニケーション的な要素があるからです。「舞台あっての、お客様あっての日本舞踊」といえば意図を組んでいただけると思います。

しかし、本当にそれだけだろうか?とも思うのです。見てもらう喜びだけで何十年も厳しい稽古が続けられるのか?と。

私はここに、日本舞踊特有の、身体的な快楽が存在していると思います。同じダンスというジャンルにカテゴライズされたとしても、バレエではない、フォークではない、ソーシャルではない・・・、日本舞踊が日本舞踊たる理由である、日本舞踊の身体動作から生み出される精神への影響が、日本舞踊の魅力なのではないでしょうか。ここでは「舞踊を見せること」ではなく、「舞踊そのものが目的」となります。

これは私の日常の体験から得た感覚と、先行するレジリエンスやセラピー研究を参照して考えた、いわば妄想仮説にすぎませんが、異なる身体動作をしたときの心身の状態を計測するなどして科学的に解明できる可能性は十分にあります。

また、動作と精神状態の関連が明らかになれば、心身的に課題を抱える人たちに、日本舞踊が貢献できる余地も現れるかもしれません。実際に発達に課題を抱える子供たちに日本舞踊を使ったトレーニングを行うことで、子供たちの行動変容につながった事例もあります。

日本舞踊に特有の魅力ってなんだろう?

その一端は身体動作が精神に与える影響にあるのではないか。おぼろげながらそう見えてきました。引き続き考えていきたいと思います。

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