現在「日本舞踊のお困りごと」について匿名アンケート実施中です。ご協力いただける方はこのテキストをクリックしてください(フォームが開きます)。

「高尾ざんげ」のモデル、恋に殉じた悲劇の花魁二代目高尾太夫を祀った高尾稲荷神社【東京都中央区】

「高尾ざんげ」のモデル、恋に殉じた悲劇の花魁二代目高尾太夫を祀った高尾稲荷神社【東京都中央区】

「高尾」といえば、有名な吉原の花魁の名前ですよね。日本舞踊では長唄「高尾ざんげ」が有名です。

「高尾ざんげ」は、高尾の亡霊がこの世に現れて、生きていた時の思い出を語るという内容ですが、この作品に登場する高尾こそ、今回ご紹介する「高尾稲荷神社」に祀られている、二代目・高尾だといわれています(異説あり)。

といいうわけで、東京都中央区にある「高尾稲荷神社」に行ってきました。

歴代高尾の中でも、もっとも逸話の多い二代目・高尾。高尾稲荷神社にはなんと、高尾の頭蓋骨が祀られているといいます。なぜ高尾はこの神社に祀られることになったのか?悲劇的な最期とは?そしてこの神社の御利益まで、解説していきます。

恋に殉じた悲劇の花魁、二代目・高尾太夫を祀った高尾稲荷神社

現在、社殿立替のため仮社にて参拝者を受け入れている(2021年7月現在)

高尾稲荷神社の場所は「東京都中央区日本橋箱崎町」というところです。最寄り駅は水天宮前駅(徒歩約5分)、茅場町駅(徒歩約8分)、人形町駅(徒歩約11分)などです。

そもそも「高尾」とは?おさらいします

「高尾」は、もう少し正確にいうと、吉原の三浦屋という店で受け継がれていた花魁の源氏名です。吉原の遊女の中でも特に位の高い遊女を「花魁(おいらん)」と呼びました。さらのその花魁の中でも最高位のものに与えられた名が「高尾」なんです。

諸説ありますが、高尾は六代~十一代以上続いたとされています。今日ご紹介する二代目・高尾はその中でも最も多くの逸話が残っている人物です。

ちなみに、落語に詳しい方は「紺屋高尾」という落語をご存じかと思います。藍染屋さんに嫁いだ高尾の物語ですが、この高尾は五代目の高尾でした。

恋に殉じた悲劇の花魁!二代目・高尾の一生

二代目・高尾は、下塩原塩釜村(栃木県)の百姓・長介の娘・みよとして生まれました。みよは幼い時に両親を亡くし、親せきの家で育てられていました。みよは塩原温泉で物売りなどをして家計を助けていましたが、あるとき塩原温泉に滞在していた三浦屋の夫婦の目に留まり、スカウトされて江戸へ下ります。

江戸の大火によって吉原が日本橋から浅草北方へ移った(新吉原)ころ、みよは花魁としてデビュー。容姿端麗、和歌俳諧にも長け、書芸に通じていた彼女は二代目・高尾としてたちまち絶大な人気を誇るようになります。

古今名婦伝 万治高尾(歌川豊国)
二代目・高尾は「万治高尾」とも呼ばれた。

その名は全国にとどろき、仙台藩主・伊達綱宗の寵愛も受けていました。綱宗は大金を積んで高尾を身請けしようとしますが、高尾は「意中に想う人あり」と、この申し出を断ります。

激高した綱宗は、隅田川の「三又(みつまた)」と呼ばれるあたりで高尾を吊り斬りにして殺してしまいました。

名所江戸百景 みつまたわかれの淵(歌川広重)
高尾稲荷神社から500mほど上流のあたり(中央区浜町、江東区常盤付近)だとされる

数日後、隅田川河岸に流れ着いた高尾の亡骸を、近くで庵を結んでいた僧が手厚く葬りました。高尾の不憫さに多くの人が涙し、同情したことからここに社を建て高尾稲荷神社となったということです。

一方でこれはのちに語られた伝説で、高尾は19歳で病没し山谷の春慶院に葬られたとも言われています。いずれにせよ、若くして亡くなっており、悲しい最期ですね。

高尾稲荷神社は、非常に珍しいことに、高尾の実物の頭蓋骨が祭神として祀られています。そのためか、この神社のご利益は頭にまつわる悩み事(頭痛、ノイローゼ、薄髪等)などとなっています。

*2021年7月現在、社殿立替のため仮社となっています。新社殿は2022年春に完成予定だそうです。

懸願と御神徳

頭にまつわる悩み事(頭痛、ノイローゼ、薄髪等)商売繁盛、縁結び、学業成就、懸願にあたり、この社より櫛一枚借りうけをうけ、朝夕、高尾大明神と祈り、懸願成就ののちに他に櫛一枚そえて奉納する習わしが昔から伝わっています。

高尾が仙台候に贈ったといわれる句

「君は今、駒形あたり時鳥(ほととぎす)」

辞世の句

「寒風よもろくも朽つる紅葉かな」

「高尾稲荷社の由来」より

万治二年十二月(西暦一六五九年)江戸の花街新吉原京町一丁目三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で二代目高尾太夫傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にて、艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長け、書は抜群、諸芸に通じ、比類ない全盛を誇っていたといわれる。

生国は野州塩原塩釜村百姓長助の娘で当時十九才であった。

その高尾が仙台藩主伊達綱宗侯に寵愛され、大金を積んでつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人があり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中州)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ川中に捨てられた。

その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてここに手厚く葬ったといわれる。

高尾の不憫な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊高尾大明神を祀り高尾稲荷社としたというのが当社の起源である。

現在、この社には、稲荷社としては全国でも非常にめずらしく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。

江戸時代より引きつづき、昭和初期まで参拝のためにおとずれる人多く縁日には露店なども出て栄えていた。

 

住所

〒103-0015 東京都中央区日本橋箱崎町10-7

地図

日本舞踊の世界カテゴリの最新記事