@710ralha
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「令和ユートピア」時代が望まない形でやってくるかもしれない

「令和ユートピア」時代が望まない形でやってくるかもしれない

私が個人的に「江戸ユートピア論」と名付けている考え方がある。

江戸時代は理想的な時代だった――そう語る人は少なくない。向こう三軒両隣、長屋の住民は醤油や味噌を貸し借りしあい、助け合いながら生きていた。人情があった。江戸は循環社会でもあった。紙屑さえ買い取って資源として利用する、理想のリサイクル社会だったというわけだ。

私は落語が好きで、江戸の人情噺には特別な愛着がある。食えない若旦那に仕事を世話してやる「唐茄子屋政談」、やはり食えない与太郎に飴を売らせる「孝行糖」――ああいう噺に描かれた人間関係の温かみには、胸を打たれるものがある。

ものを大切にする心、人への情。豊かになった現代日本では、そういったことが忘れ去られてしまった――そう嘆く人は多い。

しかし果たして、本当にそうなのだろうか。

私はここで少し立ち止まって考えたい。江戸の人々が助け合わざるを得なかったのは、単純にものがなかったからではないのか。物資が乏しかったからこそ、リサイクルしなければならなかった。醤油を切らせば隣から借りるしかなかった。その必然の結果として、人情長屋が生まれ、もったいない精神が根付いたのではないか。

その証拠に、豊かになった日本人はあっさりと大量消費体質へと変わっていった。美徳は消えたのではなく、必要がなくなったから引き出しの奥にしまわれたのだ。

そして今、幸か不幸か、あの「江戸の理想社会」が再びやってくるかもしれない。

インフレ、石油輸入の先行き不安、物価高と物不足――こうした状況はしばらく続きそうだ。経済的な余裕がなくなっていくとき、人はどう振る舞うのか。限られた資源を奪い合うのか、それとも分け合うのか。隣近所で助け合う習慣が復活するかどうかは、私たちひとりひとりの倫理観にかかっているのかもしれない。

「令和ユートピア」は、望んで訪れるわけではない。だからこそ、その到来を前に私たち個人に問われるのは、「足りない」と人から奪うことを考えるのではなく、引き出しの奥にしまっていた「生きるための知恵」をもう一度取り出してくることだろう。