【取材】アクション俳優から日本舞踊家へ180°の転身!~千翠珠煌(せんすいたまき)/千葉(市川市・八幡)~
千葉県の市川市、八幡の日本舞踊教室「千翠珠煌舞踊研究所」へ取材へ行ってまいりました。
千翠先生はアクション俳優から日本舞踊の世界へ。伝統を大切にしつつ指導者として、そして表現者としてさまざまな挑戦をされています。
ぜひ、最後までお読みください!
基本情報
教室名:千翠珠煌舞踊研究所(せんすいたまきぶようけんきゅうじょ)
代表:千翠珠煌(せんすいたまき)
教室:千葉(市川市・八幡)
2018年はデザインフェスタ出演がきっかけでマレーシア公演が実現
マレーシアの路上でパフォーマンス。名取で娘の千翠梓渚(あずさ)と
-教室のことをお伺いする前に、先日行われたと伺っております、海外公演の様子を教えていただけますか?
(千翠)2018年5月、東京ビックサイトで行われた、デザインフェスタのステージで創作舞踊を披露しました。たまたまそれを見ていただいたことがご縁でお声がけいただき、名取の娘と、和太鼓集団の方たちと組んで、マレーシアで日本舞踊公演を行いました。現地日本食店のオープニングイベントでしたが、2週間に渡る大規模なものでした。会場だけでなく路上パフォーマンスなども行いまして、現地の方から想像以上にたくさんお声かけいただきました。
-「千翠流舞」という看板も掲げられていますよね
はい、千翠流舞はパフォーマンスを行う団体で、ショーやイベントも請け負っています。
倉田保昭にあこがれてアクションクラブへ。スーツアクターとしても活躍
アクション俳優時代のお写真
-千翠先生は、古典的な日本舞踊はもちろん、創作舞踊や殺陣(たて)なども得意とされているんですよね。それはなぜですか?
(千翠)実は私のルーツは最初から日本舞踊ではなくて、13歳の時、倉田保昭さんに憧れて入った、アクションクラブにあります。3時間のレッスンを週に3回。殺陣、現代アクション、空手アクションなど、本当に楽しくてしょうがなくて、レッスンがない時でも友達と自主的に練習するほどでした。テレビのお仕事もしていて、スーツアクターとして「バトルフィーバーJ」などに出演したこともあります。
(倉田保昭…アクション俳優。日本だけでなく香港でも活躍。代表出演作品に「Gメン’75」など)
(バトルフィーバーJ…1979~80年にかけて放送されたスーパー戦隊シリーズ作品)
アクションに燃え尽きた・・・その後の日本舞踊との偶然の出会い
長唄「藤娘」
長唄「越後獅子」
-子供の頃からご活躍さなっていたんですね。それでは、千翠珠煌先生が日本舞踊をはじめたきっかけはなんですか?
(千翠)アクションにどっぷりつかっていた私ですが、高校三年の時に、これまで情熱を注いできたアクションやお芝居に、ふと息切れをおこしてしまったと言いますか、燃え尽きたようになってしまったんです。そんなとき、たまた東映のプロデューサーをしていた知人の紹介で出会ったのが日本舞踊でした。
最初は下に見ていた(?)日本舞踊に、のめりこんでいった理由
(千翠)トレーニングを重ねてアクションを追究している人たちから見て、日本舞踊はゆったりしていますし、言ってしまえば下に見ているわけです。でもそんな日本舞踊にしだいにのめりこんでいきました。
-なぜでしょうか?
(千翠)私のついた先生は、あまりはっきりと教えない人でした。自然とできてしまうので、なぜできるのか、どうやったらできるようになるかを先生が説明できない。「自然とそうなるんだよ」と言われますが、自分はどうやっても同じようにならない。上手くいかないからこそ、それにのめりこんでいったのかもしれません。結局、知り合いの勧めで始めた日本舞踊でしたがその流派で師範までとりました。
一方で、私は創作や、現代曲で踊ったり、他のジャンルの方とのコラボレーションなどにとても興味がありましたが、その流派の主流は古典で、披露できる機会を持つのがどうしても難しかったので、最終的には流派をやめ、自分の道をいくことにしました。
-すぐに千翠流を作られたのですか?
先生と教室の皆さん
(千翠)いえ、実は流派を辞めてからすぐに娘が生まれ、2年ほどは育児にかかりきりになり、踊りは一切やっていませんでした。でも、子供をあやしていると、勝手にあやし方が踊りの振りになるといいますか笑。そういうこともあって、また踊りをやりたいという気持ちになり、舞踊家としての活動を再開しました。最初は、近所の30人ほどのフリースペースでミニ公演からスタートしました。少しずつ回を重ねるうちに近所のママさんが教えてほしい、と言ってくださるようになり、教室を開きました。最初は流派なども特に名乗るつもりもなかったのですが、日本舞踊というと必ず、「何流ですか?」という話になるので、ないのも逆に不自由だということで「千翠流」としました。実はあまりこの名前に深い意味はなく、画数と言葉の響きで決めています笑
受け継いだものを大切に自分のものを重ねて本物を目指す
-千翠流日本舞踊教室のこだわりはありますか?
(千翠)子供には日本舞踊を通じて「礼儀作法」を身につけてほしいと思っています。もちろんそれだけではなく、お子さんには楽しんで踊ってもらえるように、音やリズムを重視して曲を選んでいます。「かっぱなにさま?かっぱさま!」や「うめぼしのうた(ダントツ人気!)」のような曲がお子さんには人気がありますよ。
千翠流では「本物」を目指していきたい
イラヨイ月夜浜(加藤登紀子編曲)
(千翠)千翠流では「本物」を目指していきたいという思いがあります。日本舞踊は、決まったものを継いでいくというより、重ねていくものだと思っています。絵画でも、画家は一人一人違うものを描いているようで、技術や画法は積み重ねられてきたものを学んで、そこからオリジナルを出していますよね。日本舞踊も同じです。積み重ねられてきた技術や伝統に、自分のものを重ねると、それが唯一無二の「本物」になると思っています。
-これからやりたいことはありますか?
白鳥の湖(葉加瀬太郎編曲)
舞踊家としては、同じような感性を持った人と交流していきたいです。例えばいろんな和楽器の人とコラボするとか。また、若い人に見に来てほしいとも思っているので、例えば渋谷の「La.mama(ラママ)」で踊ったら面白いだろうな、など考えています。
教室としては、まだまだ少人数なので、30人くらいの教室へ、仲間を増やしていきたいです。
(La.mama(ラママ)…渋谷にあるライブハウス)
-夏には地元で公演をされるそうですね(*取材当時。公演は終了しております)
「千舞祭」と題しまして、日本舞踊と創作舞踊ショーの公演をやります。
仲の良い他流派の先生方や東京表現高等学院MIICAの生徒さんたちにも協力してもらっています。小学生からこの教室に通い続けて、来年大学生になる弟子がこの度、名取になりますので、その名披露目(なびろめ)も兼ねております。
-いろんな方が参加され、演目も多彩で「舞踊会」ではなく、「祭」という表現がぴったりですね
-インタビュアーの感想
千翠先生には、京成八幡駅から徒歩5分ほど、閑静な住宅街にあるご自宅のお稽古場でお話を伺いました。殺陣などもご指導される関係から、天井の高い、素敵なお稽古場でした。
千翠珠煌先生は日本舞踊の古典の概念にとらわれず、ピアソラのリベルタンゴやバッハのバイオリン協奏曲など邦楽の枠すら飛び越えて自ら精力的に振りをつけて踊っていらっしゃいます。千翠先生と話していると、「表現者」として前例にとらわれず「あんなことやこんなことをやってみたい」という好奇心、そして「指導者」として踊る楽しさを知ってほしいというお気持ちをともに強く感じました。
千翠珠煌先生に習ってみたい方はこちら
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体験レッスン詳細
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住所:千葉県市川市菅野
電話番号:080 6749 0180
mail : 1436yamk@jcom.zaq.ne.jp
アクセス:JR八幡駅から徒歩約10分、京成八幡駅から徒歩約5分