【取材】「日本人って美しい!」日本舞踊に出会って芸妓さんになったバレエ少女~楳茂都 梅昭野(うめもとうめあや)~京都府京都市
京都で日本舞踊を教えていらっしゃる楳茂都 梅昭野(うめもと うめあや)さんを取材しました。
元・宮川町の芸妓さんという経歴をお持ちの梅昭野さん。芸妓さんを引退したあとも地元・京都の小中学生や海外のお弟子さんにも日本舞踊を教えています。
小さい頃はバレエを習っていたという梅昭野さんですが、当時、あるコンプレックスを抱えていたそう。しかし、ある出会いがきっかけで、梅昭野さんはそのコンプレックスを克服し、芸妓さんになるまで日本舞踊に夢中になりました。
その出会いとは?先生としてのこだわりは?そして、これからの日本舞踊に望むものとは?詳しくお伺いしました。
楳茂都 梅昭野(うめもと うめあや)プロフィール
・日本舞踊協会会員
・テンプル大学日本校 学士課程修了後、京都 宮川町にて芸妓となり約10年を過ごす。結婚により引退後、上方舞『楳茂都流』にて舞稽古を再開
・平成25年 楳茂都流師範となる
・平成27年2月より青少年育成団体として東山青少年活動センターにて上方舞体験教室をスタート
・平成31年7月ホテルスタッフ着物所作指導
・令和2年10月ホテルスタッフ着物所作指導
・文化庁、日本舞踊協会主催 各流派合同新春舞踊大会
楳茂都 梅昭野(うめもと うめあや)さん
バレエ少女が「京都の芸妓さん」になるまで

うめざわ

梅昭野さん

うめざわ

梅昭野さん
高校生の時に海外留学に行きたくて、外国に行くことを考えたときに、逆に日本のことを説明できないといけないな、と思ったんです。
その時に歌舞伎を見にいって、(坂東)玉三郎さんの舞台を見て、その美しさにショックを受けたのがきっかけです。
坂東玉三郎(五代目)とは・・・歌舞伎界を代表する女形。映画監督、演出家としても活躍し、世界的にも高い評価を受けている。重要無形文化財保持者(人間国宝)。
「日本人である」というコンプレックス

梅昭野さん
実は、そのころ、日本人であることに自信が持てていなかったんです。
私は1970年生まれなんですが、私の思春期、青春時代って、洋楽やハリウッド映画のように、海外のものがすごく、もてはやされていた時代だったんです。
身の回りにも海外のファストフード店が次々できたりして、「海外のものがカッコいい」という中で育ってきたので。

梅昭野さん
背も低いし、手足もそんなに長くないし、黒い髪で黒い目で、っていうことが、つまり日本人であるってことが、カッコいいことだとは思えなかったんです。
でも玉三郎さんをみて、日本人のままで、あんなに綺麗になれるんだ、自分もあんな風になるんだ!って思えました。そこから日本舞踊を始めました。

うめざわ
「私も毎日 白塗りして、お客さんの前で踊るんだ!」
店出し(芸妓としてデビューすること)

梅昭野さん
結局、留学はせず、日本にあるアメリカの大学の分校に入学したんですが、とにかく日本舞踊が好きで、これを仕事にしたい!と思って。で、調べるんですけどないんですよね。プロのバレエ団のようなものが日本舞踊には。
何年も探して、一番、日本舞踊を職業にする、っていうのに近いのが、京都の芸妓さんだとわかりました。
そして25歳のときに芸妓の世界へ入りました。

うめざわ
素朴な疑問なんですが、25歳から芸妓さんってなれるものなんですか?
舞妓さんは中学卒業してすぐぐらいじゃないと遅くて、それから17,8歳くらいで芸妓さんになる、ということを聞いたことがあります。
かなり若い時でないと、ああいう世界には入れないのかなと思っていました。


梅昭野さん
舞妓さんはそうですね。芸妓さんから花街の世界に入る人はちょこちょこいますよ。とはいえ、珍しかったですね。
当時のお師匠さんも反対されて、舞台に立ちたいなら、お稽古して少しずつ舞台に立ったら、と言われていたんですが、とにかく玉三郎さんへの憧れが強くて、「私も毎日 白塗りして、お客さんの前で踊るんだ!」という一念で。

うめざわ
芸妓さんになるのは、相当、難しいんでしょうか。

梅昭野さん
そうですね。芸妓さんになるには、まず10か月~1年、置屋(おきや)というところで、みんなと寝食を共にして見習い期間を過ごします。お客さんの前には出ずに、お稽古とかお手伝いとかをして、そろそろ及第点が取れそうだ、となると舞の試験があります。
芸舞妓さんになれるかどうかは、5年もの住込みともなりますので、最終的には置屋(おきや)のお母さんのご判断次第としか・・・。置屋のお母さんの面接に合格し、さらに技芸学校での舞の試験で合格となれば晴れて芸妓になれます。
それまでに、合わなくて辞めていく人もいます。


うめざわ

梅昭野さん
両親には反対されましたね。なんのために大学に行ったんだとか。また父は、戦前の花街のイメージが強くて、「結核になっちゃうんじゃないか」とか「辞められないんじゃないか」とか。もちろん、そんなことはないんですけど。
芸妓の世界に飛び込んだあとも、母は理解を示してくれて、舞台など見に来てくれていたんですが、父はずっと来なくて。
10年くらいたって、私の芸妓の引退と結婚の話が出たときに、初めて父が舞台を見に来てくれまして。「なにがいいのかわからない」って言ってましたけど(笑)
楳茂都流との出会い、その魅力とは?
地唄「茶音頭」
梅昭野さんは京都五花街(ごかがい。祇園甲部、先斗(ぽんと)町、祇園東、宮川町、上七軒)の一つ、宮川町の芸妓さんでした。そこで当時、宮川町の座敷舞の流儀であった楳茂都流と出会います(現在は若柳流のみ)。
楳茂都(うめもと)流とは・・・江戸末期から始まる日本舞踊、上方舞四流のうちのひとつ(他は、井上流、山村流、吉村流)。天満に咲く梅に想いを込めて「楳茂都流」と命名されました。
平成20年、歌舞伎役者の片岡愛之助が四代目・楳茂都 扇性(せんしょう)を襲名し家元になりました。

うめざわ

梅昭野さん
抑制された、直接的ではない表現が魅力だと思います。
例えば、手拭いの「黒髪」で、「黒髪の結ぼれたる思いをば」という詩があります。
でも、「髪」だから、「髪をいじる」とか、「思い」だから、「胸を手で押さえる」、というような振りではなく、「合わせ鏡を、返す返す見る」という振りがついているんです。
直接的でない表現の中に、でも、言いたいことがすごく含まれている、そういうことをやる面白さがあります。
手拭いの「黒髪」とは・・・楳茂都流は「黒髪」という演目に複数の振りがあります。手拭い、扇、そして香合を扱う辰姫の黒髪のうち、ここでは手拭を使う黒髪の振りについて説明されています。

梅昭野さん
あとは、舞でも踊りでもない、難しさというようなところがありまして、舞だと手数が少ない印象があると思うんですが、楳茂都流はすごく多いんですね。多い中で柔らかみがある踊りでして、もちろん踊りすぎてもいけない、抑制された舞なんですね。
私にとってはチャレンジなのですが、その難しさが私にとって魅力でもあります。
芸妓時代からの師、梅昭(うめあき)先生と(現在はご引退されている)
現在の師、梅咲弥(うめさくや)先生と
芸妓さんと舞踊家の違いとは?

うめざわ

梅昭野さん
最近では、各流派合同新春舞踊大会で踊った「閨の扇(ねやのおうぎ)」です。すごく難しい曲で、扇を投げて取る動作が10回あるんです。
芸妓のときと、舞踊家を目指すようになってからとで一番違うのは、稽古にかけられる時間なんです。芸妓さんの舞台は新作も多いですし、役者さんのようにスピード感が求められ、舞台がお稽古の一つのような所があります。
今は舞台よりお稽古が中心です。
「閨の扇」は1年かけてお稽古しました。稽古でも百発百中ではなかったし、もともと本番にすごく弱いんですが、本番では扇をすべて取ることができましたし、お稽古の力を感じられ、とても達成感を得ることができました。
各流派合同新春舞踊大会とは・・・(公社)日本舞踊協会が主催し、年に一度行われる、日本舞踊のコンクール。
地唄「閨の扇」
楳茂都流・日本舞踊の先生として

うめざわ

梅昭野さん

梅昭野さん
子どもたちは、私の息子を通わせていた児童館の、夏休みの講座がきっかけで来てくれました。児童館のスタッフが熱心な方で、保護者の人に、お料理でも、ダンスでもなんでもいいので、なにか1日先生をやってください、という講座の企画がありまして、それで日本舞踊を教えました。
それを受けてくれた子どもが、通いたいということで、その子がまた友達を連れてきてくれたりして教えています。

梅昭野さん


先生としてのこだわり「できなくても簡単に先に進まず丁寧に」

うめざわ

梅昭野さん
小さい子供でも、一対一で、ちゃんと教える、ということを意識しています。
「子どもだから、とりあえず振りを覚えればいい」ではなく、丁寧に、ちゃんと胸を使って、とか、厳しいかもしれないけど、ちゃんと教えてあげるようにしています。

梅昭野さん
実は、最初は、振りだけなぞれればいいかな、って思ってたんです。最初からうるさく言って、日本舞踊を嫌いになってほしくもなかったですし。
でも91歳になる師匠(梅昭先生)に、子どもでも、最初からできないかもしれないけど、最初が肝心なんだから、身体の芯を使うとか、胸を使うとか、ちゃんと教えてあげないとダメ、と怒られたんです。
いまは、遠慮なく、口うるさく、かんたんに先に進まずに教えています。お稽古中は小姑になる覚悟を決めて(笑)でも、中学生くらいになると、それが面白いと思ってくれるみたいで、ずっと通ってきてくれています。

うめざわ

梅昭野さん

日本舞踊を仕事にできる世の中の実現を

うめざわ

梅昭野さん
純粋に日本舞踊が好きな人が、踊りで食べていけるようになったらいいなと思います。
花街の舞妓さん・芸妓さんも、選択肢のひとつだとは思うんですが、舞妓・芸妓は、芸とサービス業が一体になっているところがあります。

うめざわ

梅昭野さん
はい。ダンスやバレエでも、「踊り」を仕事にできる人はひとにぎりかもしれませんが、それでもみんなが憧れるスターがいます。
日本舞踊にも、みんなが目標にできるようなトップスターが必要なのかなと思ったりしています。
日本舞踊に興味がある人へメッセージ

うめざわ

梅昭野さん
興味があるという人は、いちど体験してみてください!
私はとにかく、お稽古に行くっていうことで、気持ちが上がったり、今日は自分がどう変わるんだろう、って思えたり、ワクワクしたりします。
そういう体験をして、日本舞踊を始める人が一人でも増えたら、日本舞踊がそういう存在になったらいいな、って思います。

うめざわ
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