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外資系、日系企業勤務を経て・・・「本当に自分らしい生き方」を日本舞踊に見出す~川勝康智彩也・京都市東山区~

外資系、日系企業勤務を経て・・・「本当に自分らしい生き方」を日本舞踊に見出す~川勝康智彩也・京都市東山区~

京都府京都市(東山区)を拠点に、大阪、奈良など関西一円で活動されている川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さんにお話を伺いました。

同志社大学卒業後、外資系企業、日系企業とキャリアを重ねる中で「本当に自分らしい生き方は何か?」を考え、日本舞踊師範の道を選ばれた康智彩也さん。「気軽に通える、でも伝統はしっかり伝える」というポリシーの元、子供から大人まで、そして芸能事務所や日本語学校に至るまで、幅広く日本舞踊を教えられています。

一度は日本舞踊を離れて会社勤めも経験された康智彩也さんが、なぜ日本舞踊の道を選んだのか?その想いや、こだわりなどについて伺いました。

川勝 康智彩也(せんしょう やすちさや)プロフィール

​川勝流師範
・平成元年 京都にて生まれる
・平成10年 日本舞踊を習い始める
・平成14年 三世家元に師事
・平成15年 京都 南座にて川勝流襲名披露公演に出演。長唄「屋敷娘」
・平成18年 宮川町歌舞練場にて川勝流舞踊公演に出演。長唄「惜しむ春」
・平成29年 川勝智彩也を許される
・平成30年 川勝流舞踊公演にて名披露目。清元「幻お七」
・令和元年 師範となる

活動内容
・ジャパントータルエンターテインメント株式会社日本舞踊レッスン講師
・日本語学校 文化体験授業講師(京都)
・京都 南座、宮川町歌舞練場、ロームシアター京都にて出演

川勝(せんしょう)流とは・・・川勝流は昭和30年に京都府亀岡市にて初代家元・川勝康也によって創流された。現家元は三世・川勝康智也。古典は元より創作舞踊も各稽古場(京都・東京)にて指導。「川勝」の名称は、一滴の雫がいずれは大河へと流れていく様を流派の繁栄になぞらえていることも由来の一つ。

踊りが大好き。祖父の勧めで日本舞踊と出会う

舞台に限らず、出張ステージも精力的にこなす

うめざわ

康智彩也さんが日本舞踊を始められたきっかけは何ですか?

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

私は踊りが大好きな子供で、それを見た祖父が「踊りが好きなら日本舞踊があるよ」と勧めてくれたんです。『じゃあやってみよう』と小学校3年生くらいの時に日本舞踊を習い始めました。
 

 

詩吟が趣味だったおじいさまは、地元の盆踊りで歌い手を任されるほどの腕前。おじいちゃん子だった康智彩也さんは、よくおじいさまと一緒に盆踊りに行き、その歌に合わせて踊っていたそうです。

踊りも着物も大好きだったという康智彩也さんですが、受験勉強を機に一時期、日本舞踊から遠ざかります。勉強のかいあって京都の名門私立・同志社大学に合格。大学入学後は勉強やアルバイトなどで多忙な日々を送り、再び日本舞踊と向き合うのは社会人になってからでした。

外資系、日系企業でキャリアを重ね・・・そんな中、日本舞踊に「出会い直す」

うめざわ

大学卒業後はどのようなお仕事に就かれたのですか?

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

最初は外資系のホテルへ就職しました。上司や同僚にも外国人が多く、風通しが良くフランクな職場でした。

しかし、ホテルの仕事は非常にやりがいのある仕事である一方、肉体労働であり、夜勤もあります。結婚・出産も視野に入れると、ずっと働き続けることは難しいと感じました。また、接客以外のスキルもどんどん身につけていきたいと考え、転職を決めました。

長期的なキャリアを模索する中で、日系企業の事務職へ転職。これを機に、日本舞踊を再開します。

 

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

「そういえば日本舞踊が好きだったな、もう一回お稽古してみようかな」と思ったんですよ。再開してみたら、すごく楽しくて。

仕事が終わり、お稽古に行くのはいつも夜の7~8時以降。疲れていたはずなのですが、そんなことは気にならないくらい、いつも楽しみでした。自分が子供のころから習ってきた踊りが体に染みついている、そのことに大人になってから気づけたことも、嬉しかったですね。

働きながら挑戦した大舞台「幻お七」

清元「幻お七」。寺小姓・吉三へ恋情を募らせ、ついには町に火を放つ八百屋の娘・お七の情念を描く

うめざわ

「出会い直し」ともいえる経験ですね。子供の時と大人と比べて、一番大きな変化はなんでしたか?

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

子供の時は受け身で、ただ習っているだけでした。

大人になってからは、習ったものをどう自分で消化して工夫して表現するかという面白さに目覚めました。

うめざわ

2017年に名取、翌年に清元「幻お七」で名披露目を行い、2019年には師範を取得されました。会社員として働きながら、なかなか大変なことだったと思います。

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

名披露目は、日本舞踊の面白さに気づき、本格的に踊りに向き合いお稽古してきた集大成でした。働きながら、どう毎日の稽古の時間を作ろうかと試行錯誤して、まだまだ未熟ではありましたが、その時自分が持っていた力は全て出し切れたのではないかと思います。

初めての人も、日本舞踊の世界へ引き込みたい!

うめざわ

表現の面白さというお話しがありました。日本舞踊の表現を考える際に意識されていることはありますか?

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

私たちはミュージカルや映画を見ているとき、その世界に引き込まれて、その世界の中から物語を見ている感覚になることがあります。

同じように、日本舞踊をご覧になる方を、いかに物語の世界へ引き込めるかを考え表現しています。

日本舞踊の魅力を再発見していく中で、康智彩也さんは再び自分のキャリアについて考えを巡らせることになります。

語学学校で外国人の留学生さんに日本舞踊を教える康智彩也さん

コロナ禍では国内外にオンライン稽古もスタート。外資系勤務経験で培った英語力やコミュニケーション力が活きる

自分らしく、幸せでいられるために

体験レッスンの様子

うめざわ

いよいよ日本舞踊の道へ進もう、と決断された経緯を教えていただけますか?

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

生きていく上で自分が一番自分らしく、幸せでいられるのはどんな仕事なのか?ということをとことん考えました。そして、私にとって心から楽しいと思える日本舞踊をこの先も続けていくことが自分に合っている、と思うようになったんです。

うめざわ

そして、2020年1月に日本舞踊の師範として独立されました。ご自身の教室へのこだわりはありますか?

教室は気軽に、しかし伝統はきちんと伝える

川勝康智彩也(せんしょう やすちさや)さん

ポリシーは、気軽に習っていただける教室でありながら、日本舞踊の伝統はきちんとお伝えする、ということです。

京都ならではかもしれないのですが、両親や祖父母世代が日本舞踊を習っていたという方がたくさんいらっしゃるんです。日本舞踊は敷居が高いイメージですが、昔は今でいう、お習字を習うような、塾に行くような感覚で踊りに触れる方が多かったのではないかと思います。

日本舞踊に触れてみたい、子供に習わせてみたいという方に気軽に教室へ来てほしい。そして、日本の伝統である川勝流の日本舞踊や、日本人として身に着けてほしい、挨拶の仕方や言葉遣い、所作なども学べる、そういう教室でありたいですね。

うめざわ

康智彩也さんは、ご家族に日本舞踊経験者がいらっしゃるわけでもなく、すごく小さなときから休まず日本舞踊を続けてこられたわけでもありません。一度は日本舞踊を離れて会社員として就職もされています。そのようなご経歴は、日本舞踊の先生としては少数派かもしれません。

しかし、逆に様々なご経験をされてきたからこそのバランス感覚や、日本舞踊を多角的に捉える視点をお持ちだな、という印象を受けました。

今度も多方面でのご活躍を期待しています!ありがとうございました。

川勝康智彩也さんに日本舞踊を習ってみたい方はこちら

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