副業舞踊家は「ヌルい」のか。舞踊家と経済的自立
今日考えてみたいのは、副業舞踊家についてだ。
副業舞踊家を、舞踊で経済的自立をせず、他の仕事と両立しながら舞踊活動を続けている人「副業(込みで生計を立てている)舞踊家」、と定義する。会社員をしながら週末だけ稽古や指導をしている人もいるし、時短社員やアルバイトをしながら活動している人もいるだろう。対して、「専業」とは、日本舞踊関連の仕事だけで経済的に自立している状態とする。
ある伝統芸能従事者から言われた、忘れられない一言がある。それは自分の中で一種の原動力ともなっているのだが、当初は憤りを持って受け止めたものだった。
それは「ほとんどの日本舞踊の先生は『ヌルい』」というものだ。その方はある芸能の中堅どころとして活躍されている方。他の分野でもある程度名の知れた方である。経済的に自立しておらず、舞踊家として、または町師匠としてもう一歩踏み込んで活動したいのだが、どうしていいかわからない先生のサポートをしているという話を私がしたときに頂戴した言葉なのである。
「ほとんどの日本舞踊の先生は『ヌルい』」
ひょっとしたら少し違う意図、表現も若干違ったかもしれないが、私は、「やりようはいくらでもあるのに、副業をしながら燻っている人はそもそもやる気が足りないのだ」という意味に受け取った。
理解できるところもある。
営業や集客に関する情報や機会は探せばいくらでもある。日本舞踊を仕事にしたい人全員が経済的に自立できるわけではないが、個人で見れば経済的自立の可能性は十分にある。行動しないのはその人の問題かもしれない。
そして行動以前に「舞踊家(芸能人)たるもの、経済的に自立を目指し、果たさなければならない」という価値観があるように思う。
果たしてこのような人は「ヌルい」のだろうか。
そもそも「舞踊で経済的自立を果たすこと」が「勝ち」で、それ以外は「負け」なのだろうか?
私はそうは思わない。むしろ、この価値観のせいで日本舞踊界は大きな損失を被っていると感じる。
「舞踊家たるもの、経済的に自立を目指し、果たさなければならない」というおそらくほとんどの舞踊家が共有している価値観(なかば諦めとともに)は、絶対的なものではない。
考えるヒントとして舞踊家を他の似た職業に置き換えてみよう。専門性が高いと世間的に思われている職業でも、意外と専業ではない場合があるものだ。
舞踊家に必要な能力のうち、身体性・技術・創造性について考えてみよう。
卓越した身体を持つアスリート、高い技術と創造性を発揮する芸術家はどうだろうか。
オリンピアンでも企業に所属し、会社員をしながらアスリートをしている人は多くいる。最近ではパリ2024オリンピックやり投げで金メダルを獲った北口榛花(きたぐちはるか)選手はJALのアスリート社員である。会社業務をしながら、練習や試合に優先的にコミットできるような仕組みだ。実業団選手もみなそうである。
文学も世界もそうだ。森鴎外が医者であったことは有名だし、近年では芥川賞、川端康成賞受賞の上田岳弘氏は会社役員との兼業である。そもそも専業作家の始まりは日本では十返舎一九の時代と言われ、それまでは別の仕事をしながら文章を書くのが当たり前だった。世界的に親しまれている源氏物語を書いた紫式部も本業は家庭教師である。
歴史的にみても副業芸術家は意外と見つかる。画家のアンリ・ルソーは20年以上税関職員として働きながら絵を描き日曜画家と呼ばれた。パウル・クレーは一時期音楽家として稼ぎながら絵を描いている。
体の限界に挑戦する活動であれ、創造的な活動であれ、専業かそうでないかは必ずしも関係ないということが言えるのではないだろうか。
また、専業であっても、スポンサーや後援者まわり、業界のPR活動などの業務があり、必ずしも練習や試合に全ての時間を割けるわけではない。仮にやりたくない仕事でスケジュールが埋まってしまうのであれば本末転倒である。
専業への憧れやメリットももちろんあるだろう。しかしそれは大成の「必要条件ではない」のだ。
「舞踊家たるもの、経済的に自立を目指し、果たさなければならない」という価値観のもう一つのデメリットを考えてみたい。それはこの価値観ゆえに、職業舞踊家を諦める人たちの存在である。
「日本舞踊は食えない」は、半ば舞踊業界で合言葉のようになってしまっている。
ここまででわかったように、「食えなくていい」のだ。
正確には「舞踊だけで食えなくていい」。働きながらやれる範囲で活動すればいいし、だからといって活躍できないわけではない。そのようにしているアスリートや芸術家の例は、ここで挙げたもの以外にも探せばいくらでもある。舞踊家だけできない理屈はないだろう。実際に多くの副業舞踊家たちで舞踊界が成り立っていることがそれを証明している。
「舞踊家たるもの、経済的に自立を目指し、果たさなければならない」
「専業を目指さなければヌルい」
「食えないから舞踊は諦める」
このような価値観が、
「経済的自立は目的ではない」
「副業舞踊家でも創造的な活動ができる」
「舞踊だけで食えなくてもなんら問題ない」
このような価値観へと更新されれば、舞踊文化はもっと多様で豊かになることだろう。