解体寸前の伝統建築が 「日本文化による人間育成の場」へ!|有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)
歴史ある貴重な建築が、有志の手によって取り壊しから免れ、「日本文化による人間育成の場」として見事に蘇った出来事をご存じでしょうか?
今出川駅から徒歩約8分、京都御苑と西陣のちょうど間に「有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)」はひっそりと佇んでいます。江戸時代の学問所に端を発するこの弘道館、現在の建物は明治初期に建てられた数寄屋造りで、広間や複数の茶室を有し、美しい庭とともに訪れる私たちに実に様々な表情を見せてくれます。
その環境を生かし、「日本文化による人間育成の場」として、月釜(定期的に行われる茶会)や能楽体験、和菓子作り講座、聞香の会などがたびたび催されています。
しかしこの有斐斎弘道館、ほんの10年ほど前には、手入れもされず、荒れた庭には雑草が生い茂り、建物も取り壊され、マンションが建設される計画が進んでおり、敷地内にはショベルカーが入って、まさに更地となる寸前、という状況でした。
有斐斎弘道館は、なぜ取り壊しから免れ、まさに「市中の山居」と呼ぶにふさわしい素晴らしい姿を取り戻したのか、その経緯と、実際に訪れて感じた魅力とともにご紹介します。日本舞踊という伝統産業にご興味がある読者の皆様にも、多くのヒントがあるのではないかと持っています。
有斐斎弘道館とは・・・江戸中期、門弟3千人を有した、京都を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん)が創設した学問所。現在は公益財団法人として、季節の茶会や、能楽会、和菓子づくり講座などの催しを多数主催し、「日本文化による人間育成の場」として伝統文化を伝えています。「有斐斎」は皆川淇園の別号です。
京都の伝統的な建築物は消滅の危機にある

伝統的な建築物は、保存価値だけでなく、往時の雰囲気を伝え、現代に生きる私たちにも豊かな示唆を与えてくれる存在で、それらをいかに守り、後世に伝えていくのかは私たちにとって大きな課題です。しかし、伝統的な建築物の保存・活用は、日本が世界に誇る古都・京都であっても非常に難しいことです。
京町家は1日平均2.2軒、失われている

データを見てみましょう。上記グラフをご覧ください。京都の伝統的な家屋である町家は、1日平均2.2軒、無くなっているというのです。町家は古き良き京都の面影を受け継ぐ存在ですが、維持費がかかる、活用するにも改装費がかさむなど課題も多く、一部では、リノベーションされ宿泊施設や飲食店として活用される例もありますが、総じて空き家化と滅失が進み、調査によると実に1日2.2軒というペースで失われています(京町家を未来に(京都市))。
町家とは・・・昭和25年以前に建築された木造建築物で、伝統的な構造および、都市生活の中から生み出された形態又は意匠(格子、坪庭など)を有するものを「京町家」として定義しています。
このように、建物にかかる諸費用や相続税の負担、マンション等の住宅や観光客向けのホテル需要により手放してしまうケースは後を絶ちません。
現代の学問所「有斐斎弘道館」への道のり

弘道館も、実は、時代の流れに飲み込まれ消えていきそうになった過去があります。弘道館の歴史をご紹介しつつ、解説します。
有斐斎弘道館の歴史

当時の弘道館は、1854年、「嘉永の大火」と呼ばれる、京都御所とその西側2kmに及ぶ町を襲った火災によって消失してしまいます。一説によると、御所内で火を使って毛虫の駆除を行っていたところ、飛び火して火災となったということです。
その後、所有者の変遷を経ながら、明治から大正期にかけて現在の建物が作られました。
マンション建設のためショベルカーが敷地内に。まさに取り壊し寸前で・・・
度重なる所有者の変遷もあり、近年では庭も建物も荒廃が進み、弘道館を解体し、マンションを建設する計画が進んでいました。敷地内にはショベルカーも入り、まさに取り壊し寸前だった2009年(平成21年)、研究者や企業人らの有志の熱心な活動により、一次的な保存が成し遂げられました。
その後、荒れた庭の手入れ、建物の修復や空調等設備工事など、弘道館を「現代の学問所」とすべく再興を進め、2011年には公益財団法人に。寄付を募り、少しずつ土地建物を買い取っていく計画や、有志による日々の保全活動が続けられています。
有斐斎弘道館・見学レポート

私が有斐斎弘道館に興味を持ったのは、理事のお一人でもある、「有職菓子御調進所 老松」の太田宗達さんをメディアで拝見したことです。
「伝統文化をアップデートする」というテーマで行われたこの鼎談の中で、弘道館再興のお話がありました(動画3:27~)。ぜひ一度、訪れてみたいと思ったのがきっかけです。
ここからは、私が実際に有斐斎弘道館の見学に伺ったレポートをお送りします。
今出川駅から徒歩約8分。西陣エリアに隣接
弘道館がある場所は、今出川駅から徒歩約8分、京都御所の西側です。もう少し西へ進むと、西陣エリア。陰陽師・安倍晴明をまつった晴明神社や、日本舞踊でおなじみの常磐津「戻橋」が架かる堀川があります。


弘道館の周りは閑静な住宅街で、建物へ続く門も、一見見逃してしまいそう・・・しかし、ここに、まさに「市中の山居」が。

市中の山居とは・・・町中にいながらにして、山住まいを思わせるような空間(茶室)のこと。狭く人口密度の高い都市において、自然を感じさせる空間を作り出すことが良しとされました。

内側に植栽が整えられた竹の塀の間を進んでいくと、赤い暖簾の奥に玄関が見えます。

中に上がり、三畳間を抜けると一つ目の茶室「汲古庵(きゅうこあん)」があります。これは表千家八代目卒啄斎(そったくさい)の考案した七畳の茶室の写しだそうです。

西と南から庭が見える構造で、見学した午後2時ごろは、程よい自然光が心地よく入っていました。
廊下を挟んで広間へと続きます。奥に行くに従って天井が高くなり、開放感が高まります。十畳の主室には琵琶台と付書院が備わっており、軸や花が飾られています。


広間の奥には二つ目の茶室、六畳の「有斐斎(ゆうひさい)」があります。床の間の墨跡窓(軸が見やすいよう明り取り用に設けられた窓)は付書院風に張り出しているなど、工夫が凝らされています。

庭を見ながら考えたこと「文化の消滅と存続は紙一重」

広間で呈茶をいただくことができました。静かなお庭を前に一服をいただきながら、約10年前、ここが取り壊し寸前だったときのことをしばし想像していました。

計画通りマンションになっていたら、江戸から続くこの土地の記憶を伝える手段は永遠に失われていました。文化の消滅と存続は紙一重であること、存続へ舵を切るための有志の方々の努力が並々ならぬものであったこと、そして、これからも存続に向けて活動を続けること。同じく伝統文化である日本舞踊に曲がりなりにも関わらせていただいている私としては、大きな勇気をいただくと同時に、「協力者の巻き込み方」「公益財団法人化」「資産をどう生かすのか」といった、具体的な方法論の部分も、大いに学ばせていただきたいと思いました。

伝統に隠れた現代アートを探せ!?
さて、有斐斎弘道館には伝統的な建築や意匠以外にも楽しみ方を見つけました。現代アートともいえる、個性的なオブジェです。


このように、よくよく見ると、遊び心が満載なのです。花器、オブジェ、庭にさりげなく置いてある置物など、隠れミッキーを見つけるような楽しみがあります。訪れた際はぜひ探してみてください。
見学を終えて
古くから続く、貴重な建物がどんどん失われつつある中、有斐斎弘道館は多くの有志の方の尽力により、再興されました。しかも、ただ保存されるだけでなく、「人間育成の場」として活躍しています。
実際にその場所へ赴き、時間を過ごすことで、時代の流れの中で失われていく文化と、それを次世代へつなげる営みを同時に感じることができました。私は、日本舞踊という伝統から、いかに価値を見出して次世代へ継承していくのか?より具体的に考えるヒントをいただくことができました。
施設情報
有斐斎弘道館(ゆうひさいこうどうかん)
所在地:〒 602-8006 京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524−1(Googleマップを開く)
>施設見学:2,000円(呈茶つき、館内・庭園見学等)*3日前までに要予約
>開催中・開催予定の講座・催し・茶事/茶会
公式HP|Facebook|Instagram|note
参考記事
再興までの詳しい経緯:京都の数寄屋建築を保存した有斐斎弘道館。江戸時代の学問所址から日本文化の発信を(LIFULL HOME’S PRESS)
町家の現状について:1日に2軒消える京都の町家、市の奥の手保全条例の効果は(産経新聞)
町家の調査・条例・保全への取り組みなど:京町家を未来へ(京都市)
嘉永の大火について:京都御所の防災ー過去と現在ー(宮内庁)
有斐斎弘道館付近の日本舞踊ゆかりの場所:常磐津「戻橋(もどりばし)」歌詞と解説、常磐津「戻橋(もどりばし)」の舞台「一条戻橋」を訪ねました
参考図書
平成のちゃかぽん 有斐斎弘道館 茶の湯歳時記|著者 濱崎 加奈子、太田 宗達