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長唄「まかしょ」歌詞と解説

長唄「まかしょ」歌詞と解説

日本舞踊で人気の長唄「まかしょ」の歌詞と解説です。

長唄「まかしょ」解説

三代目坂東三津五郎のまかしょ 歌川国貞

「まかしょ」とは?

「まかしょ」とは江戸の大道芸人のようなもの。「願人坊主(がんにんぼうず)」とも呼ばれ、白衣の僧の格好で首から箱(げばこ)をかけ、絵札を撒いて金を乞います。子供たちは絵札欲しさに「まかしょ、まかしょ(撒いてくれ、撒いてくれ)」と囃し立てたことから「まかしょ」と呼ばれるようになりました。

お坊さんの格好をしていますが本物のお坊さんではありません。まかしょは神仏祈願や寒行を代わりに行う、といって金を取る場合もありますが、ニセ坊主なので当然お金だけもらって何もしません。あくまで「街頭芸人」なのです。

長唄「まかしょ」の概要

江戸末期の頽廃的な雰囲気を受けて作られたこの演目は、ダジャレ、おふざけ満載で、控えめにも上品な内容とは言えません。

一方で粋でケレン味(ハッタリやごまかしを利かせて粋である)溢れる作品となっており、現在でも大変人気のある作品の一つです。

長唄「まかしょ」の内容と意味

新吉原仁和歌之圖(歌川広重)

酒を飲んで街を練り歩く「まかしょ」が、流行歌、俗曲(遊郭で流行った歌など)、当時の酒の銘柄、神仏まで引き合いにして言葉を綴り、廓の情景を唄うというなんともふざけた内容となっています。

家々の門にある「無用の札(願人坊主お断りの札)」もなんのその。絵札を箱が出すまかしょからは酒の匂いがプーン…

「妙見さんの七ツ梅 不動のお手に剣菱の ぴんと白菊花筏」とは、なにやら神妙なことを言っているようですが、なんのことはない、当時流行った酒の銘柄(『七ツ梅』『剣菱』『白菊』『花筏』)を織り混ぜて、それらしいことをいっております。

「飛梅」は菅原道真の飛梅伝説(太宰府に流された主人を追って、梅の木が太宰府まで飛んで行った)からの引用、このあたりから廓の情景になります。「神おろし」とは巫女が神の声を聞くために神を体に招き入れること。神懸かりとも言います。巫女の真似事をしつつ、神づくしで文句を綴りますが、神様がかわいそうなくらいひどい扱いです。

「祭も知らず子(ね)の権現」とは、若い遊女が部屋内の情事などお構いなく屏風の外で寝ている」の意味。「誰を松の尾明神」は、誰を「待つ」と「松の尾明神」をかけています。「間夫は人目を関明神」とは、間男は人目の関を避けて(人目を気にしてこっそり)廓に通うという意味です。

まかしょの持つ錫の杖を振りながら、それに合わせて口法螺を「でれれんでれれん」と合わせながら、また酒を求めて歩いて行きます。

長唄「まかしょ」歌詞

まかしょ まかしょ 撒いてくりょ 

まっか諸方の門々に 無用の札もなんのその 

構ひ馴染の御祈祷坊主 昔かたぎは天満宮 今の浮世は色で持つ 

野暮な地口絵げばこから 引き出してくる酒の酔 

妙見さんの七ツ梅 不動のお手に剣菱の ぴんと白菊花筏 

差すと聞いたら思ふ相手に あほッ切 煽る手元も足元も 雪を凌いで来りける 

君を思へば筑紫まで 翼なけれど飛梅の すゐが身を食ふこの姿 

ちょっとお門に佇みて とこまかしてよいとこなり ちょっとちょぼくる口車 

春の眺はナア 上野飛鳥の花も吉原 花の中から 花の道中柳腰 

秋は俄にナア 心もうかうか

浮かれ烏の 九郎助稲荷の 角の長屋の年増が目につき 

ずっと上って門の戸ぴっしゃり しまりやすぜ 

あれあの声を今の身に 思ひ浅黄の手拭に 紅の付いたが腹が立つ 

そこを流しの神おろし 奇妙頂来敬って申す 

それ日本の神々は 伊勢に内外(ないげ)の二柱 夫婦妹背の盃も 済んで初会の床浦明神 

哀愍納受一呪礼拝 屏風の外に新造が 祭も知らず子(ね)の権現

櫺子(れんじ)の隙間漏る風は 遣手に忍ぶ明部屋の 小隅に誰を松の尾明神

地色は坂本山王の 廿一二が客取り増す花盛り 間夫は人目を関明神

奇妙頂来懺悔懺悔 六根罪障 拗ねて口説を四国には 中も丸亀名も高き 象頭山

今度来るなら裏茶屋で 哀愍納受と祈りける 

その御祈祷に乗せられて でれれんでれれん口法螺を

吹く風寒き夕暮に 酒ある方を尋ね行く 酒ある方を尋ね行く

参考:大道芸にまつわる日本舞踊

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