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清元「玉屋(おどけ俄煮珠取・おどけにわかしゃぼんのたまとり)」歌詞と解説

清元「玉屋(おどけ俄煮珠取・おどけにわかしゃぼんのたまとり)」歌詞と解説

日本舞踊でおなじみ、清元「玉屋(おどけ俄煮珠取・おどけにわかしゃぼんのたまとり)」歌詞と解説です。

清元「玉屋」の解説

「玉屋」とは「シャボン玉売り」のこと。

シャボン玉が日本に伝わったのは、江戸時代。ポルトガルからと言われています。江戸時初期の寛文、延宝(1661~80)の頃にはすでに江戸の町で流行していたそうです。当時は石鹸は一般的ではなく、シャボン液には無患子(ムクロジ)の粉末などが用いられ、現代のプラスチックストローの代わりに細い竹や葦の茎を使っていました。

👇「江戸ノサボンウリ」の記述が見えます。

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「玉屋」のようなシャボン玉売りが文献に登場し始めるのは天保3年(1832)。いつの時代も子供たちを夢中にさせるシャボン玉。そんなシャボン玉を売り歩く「玉屋」は意外と最近まで活躍していたのかもしれませんね。

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曲は清元。二代目瀬川如犀作詞、初代清元斉兵衛作曲。振付は二世藤間勘十郎とも言われています。天保3 (1832) 年7月江戸中村座で,4世中村歌右衛門が『本朝丸艫舳稲妻』という狂言の大切 (おおぎり) に踊った四変化舞踊の一つとして初演されました。

踊りは、片手に傘、片手に吹き具、首から「玉屋」とかかれた箱を下げて、花道からシャボン玉売りが登場します。歌詞は連想遊びのように「玉」づくしの洒落づくし。途中には蝶々売りも登場して、賑やかにお祭り囃子の中、幕となります。

「玉屋」についてさらに詳しく知りたい方はこちら

日本舞踊「玉屋(清元)」のシャボン玉売りとは?詳しく解説!

清元「玉屋」の歌詞

〽︎サァサ寄ったり見たり 吹いたり評判の玉や

商う品は八百八町 毎日ひにちお手遊び 子供衆寄せて辻々で お目に掛値のない代物を お求めなされと辿り来る
(〽︎サァサァおなじみの玉屋でござる お子さま方のお慰み 何でもかでも 吹き分けてご覧に入れましょう 先ず玉の ャ始まりは)
〽︎今度仕出しじゃなけれどもお子様方のおなぐさみ ご存じ知られた玉薬 鉄砲玉とはこと変わり 当たって怪我のないお土産で〽︎曲は様々

大玉小玉 吹き分けはその日その日の風次第 まず玉尽くしで言おうなら〽︎たまたま来れば人の客 などとじらせば 口真似の こだまもいつか呼子鳥 たつきも知らぬ肝玉もしまる時にはそろばん玉の 堅いおやじに輪をかけて 若いうちから 数珠の玉 オットとまった性根玉 しゃんとそこらでとまらんせ

〽︎とまるついでにわざくれの蝶々とまれをやってくりょ

〽︎蝶々とまれや菜の葉にとまれ菜の葉いやなら葭の先へとまれ それとまった 葭がいやなら木にとまれ

〽︎つい染み易き廓の水〽︎もし花魁へおいらんと 言ったばかり で後先は恋の暗闇辻行燈の陰で一夜は立ち明かし〽︎格子のもとへも幾度か 遊ばれるのは初めから〽︎心で承知しながらも もしやと思うこけ未練 昼の稼ぎも上の空

〽︎鼻の先なる頬かむり〽︎吹けば飛ぶよな玉屋でも お屋敷さんのお窓下 犬にけつまずいてオヤ馬鹿らしい

〽︎口説きついでにおどけ節〽︎伊豆と相模はいよ国向かい 橋を架きょやれ船橋を 橋の上なる六十六部が落っこった〽︎笈は流るる錫杖は沈む 中の仏がかめ泳ぎ〽︎坊さん忍ぶは闇がよい〽︎月夜にはあたまがぶらりしゃらりとのばサ頭がぶらりしゃらりと こちゃ構やせぬ〽︎衣の袖の綻びも構やせぬ しどもなや

〽︎折も賑う祭礼の 花車の木遣りも風につれ 〽︎オーエンヤリョー いとも畏き御代に住む 江戸の恵みぞありがたき。

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