日本舞踊の「安すぎる月謝」に師匠はどう向き合えばいいのか
「日本舞踊はお金がかかる」
半ば常識となったこの言説に、あえて異を唱えてみたい。
正確には、異を唱えているわけではなく、教室運営者の立場から見た、月謝と舞台費用からの収入のアンバランス、ひいては日本舞踊の収益構造が抱える「欠陥」について述べてみたい。
以前この記事で日本舞踊にかかる一般的な費用を紹介した(「日本人なら、日本舞踊をやるべき」なのか)
月謝 1万円
お浚い会参加費 3万円(年1回)
大きな発表会参加費 10~50万円(3年に一回)
年間単位で見ると、
月謝12万円+お浚い会費用3万円=15万円 月あたり12,500円
3年単位、大きな発表会の参加費別に見ると、
月謝36万円+お浚い会費用6万円(2回)+大きな発表会10万円=52万円 月あたり14,444円
月謝36万円+お浚い会費用6万円(2回)+大きな発表会50万円=92万円 月あたり25,555円~
ここでいう「大きな発表会」は、50万円と高額である。また、50万円以上かかることもしばしばあり、これは舞台の規模や衣裳や演奏の違い(生演奏だとさらに高額になる)、その中に含まれる師匠の取り分、つまり利益の額による。
「舞踊会を一回やると車が買える」と言われた時代もあった(おそらく今でも一部では)。主催者は百万円単位で利益がある仕組みなのだ。
ここだけ見ると、いかにもアコギな商売のように見える。しかし月謝についてもう少し詳しく見ると、1万円の月謝の稽古の中身はと言えば、ほとんどがマンツーマンレッスンだ。月に3~4回は稽古があるのが普通なので、マンツーマンレッスンの単価は2,000~3,000円台となる。これは安すぎる。
社交ダンスやバレエなど類似の習い事では、グループレッスンの単価が2,000~3,000円台ということはあっても、マンツーマンレッスンでこの金額はありえない。少なくとも5,000円、1万円以上かかってもおかしくはない。高度な技能を有する講師の時間を独占するのであるから、そのくらいが妥当だろう。
しかし日本舞踊では「マンツーマンレッスンの単価は2,000~3,000円台」は安すぎるという感覚は希薄で、「相場」という感覚だ。これでは師匠もうだつがあがるはずはない。
「日本舞踊はお金がかかる」、いやむしろ「日本舞踊はお金がかからない」とも言えるのだ。
なぜこの月謝水準が温存されているのか、理由は三つある。
一つ目は、月謝から得る利益が少なくても、大きな発表会で利益が多く出る仕組みだったからである。数年を通して見れば妥当な利益となるため、月謝は安くてもよいという考えだ。
二つ目は、単純に値上げの努力をしてこなかったことにある。この背景には、そもそも日本舞踊の師匠には経済的自立をしている人が少なく、副業として師匠業をしているパターン、兼業主婦的に家庭の副収入として稽古業をしているパターンが多く見られる。稽古業に経済的に依存していないがゆえに、値上げする切羽詰まった理由もないというわけだ。
三つ目は、「気遣い」からくるものだ。これは実際に町師匠から聞いたことだが、「師匠より高い月謝を取ることはできない」という言葉に端的に言いあらわされる。
これら三つが日本舞踊の収益構造上の「欠陥」となって、いま稽古業で経済的自立を目指す師匠の首を、真綿のように絞めている。いずれも根深い問題であるが、稽古業を収入の手段として成り立たせ、師匠の経済的自立を後押しするために、これら三つの理由についてしっかりと批判していきたい。
まず一つ目に関して、本来指導の対価として得るべき利益を安く受け取り、発表会の時に大きく受け取って、つじつまを合わせるこの方法は、明らかに「売上の先送り」であって、経営面からも非常に悪手である。いま誰もがこう思っているだろう。「弟子が発表会に出てくれなければ意味がないではないか」「途中で辞めたら売上が立たないではないか」その通りである。経営の観点からいえば、むしろ売上を先にあげることを考えなければならない。
二つ目に関しては覚悟を決めて値上げをするしかないだろう。値上げの理由がない師匠に値上げを強制はできない。稽古業で経済的自立を目指すなら値上げは避けて通れない。なぜなら、マンツーマンレッスンを前提とするなら、一人の師匠が抱えられる弟子の数はせいぜい40人、どんなに忙しくしても50人が限界だろう。月謝が1万円や1万5千円程度では月商で50万円~75万円である。ここから稽古場家賃や光熱費、着物代や自身の稽古費用、舞台費用そして給与をねん出するわけだから、けっして余裕があるとは言えないだろう。しかもこれだけの人数を指導していては休みはほとんどとれない。慣習にとらわれず、思い切った決断が求められる。
ここで三つ目の課題がネックになる。気遣いから来るだけにこの壁は大きい。一つは師匠に理由を明確に伝えて値上げに踏み切る方法だろう。私が話を聞いた師匠もそうだが、しっかりと話し合いをせずに遠慮・忖度して値上げに踏み切れないのだ。弟子の経済的自立を反対する師匠がいるとは思えない。
もう一つ期待したいのが「流儀(流派)」が価格を上げるスタンスを明確に示すことである。具体的には家元や幹部らが、一般の弟子に対しても高額の報酬を取り、町師匠が月謝を高くすることの抵抗を少なくすることだ。「師匠より高くできない」は突き詰めれば「家元より高くはできない」ということになる。家元が率先して高額の指導料を設定すれば、おのずからその下にいる指導者はそれに準じた指導料を設定しやすくなる。流儀が月謝をあげるための付加価値のあげ方を指導する方法もあるだろう。今までが安すぎたとはいえ、内容が全く同じで金額だけが上がったのでは弟子は納得しづらい。稽古場の環境を改善する、指導力を向上させる研修を行うなど、短期・中長期的に稽古場のクオリティを挙げていくことが必要だ。「対価に見合う中身がある」ことが値上げの大前提である。
日本舞踊の月謝が「安すぎる」問題は、教室運営者にとって大きな課題である。1万円前後の月謝でマンツーマン指導を行う現状は、類似の習い事と比較しても破格であり、師匠の経済的自立を妨げている。
この低価格が維持されてきた背景には、発表会収益でのつじつま合わせ、値上げへの無関心、そして師匠間の遠慮がある。これらの慣習は持続可能性を損なうものであり、持続的な運営には、適正な月謝設定と稽古場の質向上が不可欠である。